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      体験的報告
      新型コロナ後の世界を読む(第四回)
      地域づくりと気候変動対応での障害克服のために   ​境毅

 

はじめに

 

 この間、ラトゥールに注目し調査報告を作成してきましたが、一応全体像を把握することができました。それで、今回は、私がなぜ彼に注目したか、ということについて述べておきましょう。私は補論のように、20年前に環境危機に対応する協同組合運動の課題についてまとめたことがあります。そこで提起した協同組合運動にとっての諸課題が、この20年間で、思ったようには解決されていないことがずっと気になっていました。ラトゥールの『地球に降り立つ』での「新しい政治」という問題提起を知ったときに、20年前の提起がなぜ進展しないのか、ということについて直感的に理解できて、それで以降も彼の膨大な著作の紹介をしながら、自身の学習を進めていったのでした。でもそのような事情をご存知ない読者の皆様にとっては、勝手な情報提供だとみなされていたかもしれません。

 20年前の私の問題提起は、当時の協同組合運動の問題意識ある関係者たちにとっては周知のものではなかったかと理解しています。そして、日本では協同組合運動は総体としては大勢の人たちを組合員としながらも社会への影響力という点から見れば、問題にならないくらいの低いものでした。実はこの問題を解決していく方策として、ラトゥールの問題提起は役立つのではないかと考えて、私自身の活動を素材として、その実例を示すことにします。

 

1.環境問題とのかかわり

 私の環境問題についての関心は、1970年代初頭に脚光を浴びた食品公害問題でした。当時東京にいた私は、渋谷にあった自然食品センターでよく買い物をしたものです。また自然食レストランも併設されていたようで、玄米食を食べたりもしていました。

 1988年から、生協設立のための研究会が始まったことで、京大農学部の石田紀郎さん(エル・コープ初代理事長)が、農薬で息子を亡くした和歌山のミカン園の仲田さんを応援して、裁判だけでなく、省農薬ミカン園のミカンを売りさばくという販売もしていたことを知り、あらためて、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を読んだり、また1971年に設立されていた有機農研の会員になったりし、また日本政府の農業政策の研究などにも手をつけました。

 1992年にリオサミットで地球環境問題が大々的に取り上げられ、日本政府も対応することを決めたことで、1994年に環境基本計画が定められ、地方自治体が環境基本計画に基づく行動計画を策定するようになり、従来市民が手弁当でやっていたさまざまな活動のうちの主要な活動を、自治体が財政と人員を保証されて遂行するようになり、その結果、ボランティアで活動していた市民運動が下火になってしまう事態が生まれました。

 1997年というと12月に京都議定書(COP3)が策定された年ですが、私はこの年の1月から、大企業に勤めている友人たちの提案もあり、地球環境問題について、それに対応する道を探るための研究会を始めました。社会システム研究所を名乗り、1999年に『社会システム研究』という冊子を発行しています。そしてそののち、環境問題についての研究を「21世紀の協同組合運動の課題」という文書にまとめ、2020年2月に研究会で冊子を作成し配布しました。いまから読んでみると、情報の出典が記されておらず、当時依拠した共立出版の地球科学の書籍を探してみましたが、わからずじまいでした。

 最近では気候変動が大きなテーマとなり、本もたくさん出版されています。しかし、環境問題の歴史について調べようと考えてネットで検索してみても大した書籍や文書がありません。政府や企業の文書もいっぱいあり、情報過多ですから一人の手で歴史をまとめることは恐らく不可能なのでしょう。そういうことなら個人史的な振り返りも意義あるのではないかと考え、作業を進めました。20年前の文書の概要は、補足として末尾に収録することにします。

 他方エル・コープ設立にかかわったことで地域づくりという課題をずっと考えてきました。そして現在の日本の地域社会の変化を見ると、地域は気候変動と同様に手の打ちようもない地平に来ているように思われます。気候変動への対応と地域づくりをセットで考えて施策を考えなければならないのです。

 

2.統計に見るこの20年間の日本の地域社会の変化

 

① 共働き世帯の推移

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本の地域社会の変化を見るために最低限の統計を集めました。最初は、男女共働きの増加のグラフです。これは家族が地域に関われる時間の現象を意味していて、地域での相互扶助的な助け合いの時間が失われて行っていることを示しています。

 政府は「1億総活躍社会」や、「女性が輝く社会」、ということで共働きを推奨していますが、女性の家事負担が世界一過酷な現状を考慮していないし、また、職場に所属することで地域での様々な活動の担い手を減少させていっていることに配慮がありません。

政府の見解「我が国の構造的な問題である少子高齢化に真正面から挑み、『希望を生み出す強い経済』、『夢をつむぐ子育て支援』、『安心につながる社会保障』の『新・三本の矢』の実現を目的とする『一億総活躍社会』の実現に向けて、政府を挙げて取り組んでいきます。」

現実「あるメディアが実施した女性向けアンケートでは、安倍政権が掲げる『女性が輝く社会』というキーワードにイラッとする(不快感を感じる)人が、8割を超えているのだそうです。」(ネットより)

国際的な比較でも、日本の女性の家事負担率は、主要41ヵ国のうち、料理:88.4%で1位、洗濯:86.3%で8位、そうじ:78.3%で3位、買物:71.1%で1位、家族が病気の時の世話:68.3%で1位、となっています。(ダイアモンドオンライン、2017年)

「女性が輝く社会」ではなくて、男性の家事進出を可能にするような男性の働き方を実現することが問われています。

 

② 人口ピラミッドの推移 2000年と2020年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に年齢構成です。2020年は予測値ですが、人口減少と高齢化が恐ろしいスピードで進行していることがわかります。

 このような少子高齢化については、すでに1967年の人口予測で明らかになっていました。厚生省人口問題研究所は、現在の事態をほぼ予測していたのです。政府はいろいろな施策を繰り出しましたが、歯止めをかけられませんでした。同じことは農村の過疎地化の問題もそうで、当時の農林省は予測しながら改善できませんでした。

 私は今回のラトゥールの研究で、ホッブズとボイルの論争をと取り上げましたが(会報298号)、印象的だったのは、ホッブズが国家を人工物と捉えて自然とは区別していたことでした。人工物だから社会契約が必要だったのです。この観点から日本政府の対応を考えてみると、政府や日本人は、社会の変化をまるで自然災害のようにとらえているのではないかという問題意識が生まれました。国家や社会を人工物としてではなく、ある種の自然現象と見做せば、単に予測し、そして結果に対応するということしか考えつかないのです。原因が社会契約にあったと考えればそれを作り直せばいいのですが、そういう思考が欠落しているのですね。

 ここで気候変動への対応とセットで考える必要があるという問題について触れておきましょう。先日実施された生活クラブ連合会の気候変動の学習会で講師の江守さんが言ったように、外国では気候変動への対応策が生活の向上や豊かさと矛盾するものとはとらえられていないのですが、日本人の場合、気候変動への対応は我慢すべきもので生活水準を落とすものだと捉えられているという話がヒントです。ここから、気候変動についても人工的なもので設計しなおせるものとしてではなくて、自然現象としてしかとらえられていないことが推測できます。自然災害だから耐えるしかないというわけです。

 このような現状をどう変えていけるか、協同組合での自治の経験にもとづいて地域づくりと気候変動への対応策を生みだしていくという二つの課題を解決していけるようなモデルづくりに取り組んでいく必要があるように思います。でもそのような活動にはさまざまな障害があります。その障害の具体例を自身の活動経験から示しておきましょう。

 

3.この20年間の私の活動を振り返って

 20年前に私は、地球環境問題に対応できる協同組合運動の課題として、次の四つを上げています。

 1)問題解決型の運動 2)消費が生産を選択する 3)賃労働に代わるもう一つの働き方 4)信用制度に代わる支払決済システムの共同化

 最初の二つは消費生協への期待と特徴付で、次はワーカーズ・コレクティブなどの働く人の協同組合の役割でした。最後は貨幣と市場に代わる交易システムの萌芽としての地域通貨への期待でした。以上の課題は、以降の私の活動指針でした。この指針に従った私の活動を振り返ってみましょう。

 

① はじめてのNPO体験とワーカーズ・コレクティブづくり

 私は1998年10月に友人が始めた「不登校の大学生を考える会」に参加し、これが70名余りの出席者で企画の継続が求められたので、毎月例会を開催するようになりました。後に法人化してNPO法人ニュースタート事務局関西(以下ニュースタートと略記)となり、引きこもりの若者を支援する活動に取り組むことになったのですが、それに関わりました。活動理念としては「家族を地域に開く」で、事業としては、最初は月一回の例会と鍋の会(鍋をかこんで食事をする会)でしたが、千葉にある本部では、寮を作って、入寮者が大勢いるということもあり、関西でも2001年に寮を設置しました。その頃からNPO活動の中に有償の活動(訪問活動と寮の管理)が生まれ、これを働く人の協同組合として育てていこうということで私は、別途NPO法人ワーカーズ・コレクティブ・サポートセンターを立ち上げ、中間支援組織としての活動をはじめ、その動きと連動して、ニュースタートで働く人たちのワーカーズ・コレクティブの結成されることになり、NSワーカーズを名乗りました。この新しく作ったNPO法人は、中間支援組織としての活動の定着が困難なため、解散しています。教訓は、シンクタンクをめざしたのですが、日本の場合、国か大企業の支援のない場合の独立のシンクタンク活動は非常に困難だということでした。

 2004年に『5周年記念誌』が発行されていますが、それによれば、ニュースタートの2002年度の事業規模は総収入が1450万円、うち人件費が650万円でした。NPOとしてはそこそこの事業規模です。

 

② 地域通貨つながりからコミュニティビジネスへ

 90年代に流行した地域通貨もニュースタートの活動の一環として位置付けて2000年にキョウトレッツを立ち上げています。最初の頃は毎月一回レッツ市を開催し、活気もありましたが、食べ物が交換に出されない(農家や商店の参加がない)ことで持続性に陰りが出始め、使っていたヤフーのMLは停止になったときに、別のMLへの移行も検討したのですが、結局MLはなくなり、以降は塩漬け状態です。この活動は日本銀行券がハイパーインフレになったときの対策の事前学習として、役立つでしょう。コロナ禍によって財政がパンクしそうなかなかで、意外と地域通貨の復活がみられるかもしれません。

 ところで2004年には地域通貨を使った街おこし事業への助成が大阪府によって企画され、ニュースタートがこれに応募して助成金200万円が下りたので、高槻市富田にリサイクルショップを開きました。もともとニュースタートの事業計画には寮だけでなく店舗も持ってそこを働く場にしようという構想がありました。そしてこの助成金の事業が始まるときに地域通貨つながり(当時は多くの地域通貨の団体があり、ニュースタートの友好団体に限定してもキョウトレッツのほか、大阪レッツや、地域通貨Qがありました)で40~50代の男性がそれまでの勤め先などをやめてニュースタートに関わるようになりました。それには当時コミュニティビジネスが脚光を浴び、その拠点を作りたいという想いが参加者たちにあったからでした。

 ニュースタートの思惑であった働く場づくりと、地域通貨つながりで参加してきたコミュニティビジネス志向の人たちとの合同の事業会議で、リサイクルショップだけでなく、カフェを開業しようという話になり、ナマケモノ俱楽部が東京都の府中市でやっていたカフェスローをモデルに高槻市富田に場所を決め、内装はセルフビルド、資金も1000万円のうち、ヒューファイナンスからの200万円の借り入れとニュースタートからの200万円以外はそこで働く3人が身銭を切りました。

 カフェは、カフェコモンズと名づけられ2005年秋には開店しますが、同時にこの事業を運営する主体としてNPO法人日本スローワーク協会が設立され、NSワーカーズのメンバーは出資金ともども新しいNPO法人に参加してきます。

 店は設計をナマケモノ倶楽部の辻信一代表の実兄の方の力を借り、ストローベイルという麦わらを土で固めた工法で壁際の椅子とカウンターの椅子を手作業でつくりました。テーブルとイスも無垢材を使い、非常にくつろげる空間ができました。もともと事務所専用のビルで、しかも5階で、エレベーターは2階からしかない、というバリアフリーとしては不十分な施設でしたが、近所に適当な物件がなかったのです。

 カフェコモンズのウリは、高槻市の森林組合が製造している木質ペレットを燃料にする手作りの石窯で、これでパン職人の店長がピザを焼いたのです。ビルの5階で富田の南側の景色がひらけ、淀川の向こう岸にある枚方公園の観覧車まで見えるという贅沢でおしゃれな店として開店当初は繁盛しました。またそれを見て昼のランチをやってみたいという近所の女性が現れて、昼はオープンキッチンとすることになり、昼のランチも好評で、他方スタッフが関わる夜の営業もイベントが結構入って経営的にも軌道に乗りそうでした。しかし、2008年のリーマンショック以降、客足が遠のき、昼のランチの担当者も独立してパン屋を開業したりで、借入金の返済もあって継続のめどが立たなくなりました。その後の経過は後述します。

 

③ 花開くNPO活動と社会的企業法制化運動

 私は2004年に市民セクター政策機構の柏井さんの紹介で、生活クラブ東京のイタリア社会的協同組合の視察研修旅行に参加させてもらい、イタリアの精神病院解体以降の事業の展開を目の当たりにすることができました。そしてこの研修旅行の後の2005年に、柏井さんから、社会的企業の研究者ジャンテ氏を招聘して、社会的企業についての講演会を東京、大阪、水俣で開催するという企画への参加を求められ、大阪の実行委員会に参加しましたが、その時に障害者団体の共同連の斎藤縣三さんも参加していて、そこではじめて、日本の障害者団体の人と出会うことができたのです。この実行委員会は後に近畿労金が中心になって共生型経済推進フォーラム結成の動きとなり、関西でのNPO活動のひとつの焦点を形成します。私はこのフォーラムの活動とカフェコモンズのコミュニティビジネスのメンバーを引き合わせて、活動を外に開いていけるように努力しました。

 このころの大阪のNPO業界は非常に活気がありました。いまからは想像もできませんが、NPO同士が横につながりあって地域でのいろいろな企画を実施していたのです。もう詳細は忘れましたが、大阪の南港で大きなイベントがあり、スローワーク協会も場所を確保していろいろな出し物をしました。

 近畿労金には地域共生推進室が設けられ、いろいろなNPO団体の横つなぎの活動を展開しており、新しく立ち上げた共生型経済推進フォーラムもその起動力として位置付けられていました。私は障害者団体の共同連と知り合えたことで、社会的経済と社会的企業促進のための政策提言の重要性に気づき、フォーラムとして政策提言作りに取り組むことになったときに調査活動を実施し、その報告を政権交代時の2009年に『誰も切らない分けない経済』(同時代社)として出版しました。また共同連が韓国の障害者団体と交流があり、韓国で開催された日韓社会的企業セミナーにも参加することができました。

 

④ 障害福祉サービスの事業へ

 リーマンショック以降、カフェコモンズの経営が大変になったことまでは述べましたがコミュニティビジネスとは別の選択肢ができていました。街中にカフェコモンズを開業したことで、地域の精神科単科の光愛病院から、病院内売店・喫茶を運営しないかという話があり、それを受託しましたが、その時に働くメンバーに病院の患者さんを受け入れてほしいという条件があました。カフェコモンズが営業不振になったときにも経営的に安定しており、しかも働いているメンバーが10名くらいになっていたこともあって、突然、障害福祉サービスという選択肢が現れたのです。

 共生型経済推進フォーラムで共同連と知り合いになっていなければ決して考えつかなかったでしょうが、働く障害者が10名まとまれば、障害者自立支援法に基づく障害福祉サービス事業が開始できることを教えられ、それに向けて準備をしようということになりました。NSワーカーズの会議で、もう店をたたむかそれとも障害福祉サービスを準備するかで検討を重ね、最後は投票で僅差で店の継続が決まりました。

 共同連に指導してもらいながら、申請し、2010年には就労継続支援A型事業所(現在はB型)として認められ、新しい形での出発となりました。

 

4.活動上の障害の体験的報告

 いまから振り返ると、大阪でのNPO活動の発展は大阪での維新の会の登場と2011年の橋下市長の誕生でおしとどめられました。それまでNPO活動に積極的に取り組んでいた大阪市の労働組合、市職と市従が市長による攻撃を受けて動けなくなりました。

 もう一つは地方自治体が、人々の自治的な活動を嫌って、横つなぎを断ち切るような施策を巧みに展開したことがあります。NPOは当然意志ある市民が作った自由な結社(アソシエーション)であって、協同組合とも連携していける存在です。そして最初の頃は中間支援組織もボトムアップで作られたケースもありました。高槻市の例で言うと、行政に息がかかった、高槻市市民公益活動サポートセンターのほかにもうひとつ、NPO法人たかつき市民活動ネットワークがあり、後者は高槻市のNPOの横つなぎをめざしていました。しかし、高槻市は、これを嫌って事務所などのいろいろな支援をしなかったのです。あと、全国的にみても中間支援組織を自治体職員の天下り先として確保しようとして、実際にNPOを縦割りの組織にして、行政の下請け化を実現してしまいました。

 現在行政の天下り先である社会福祉協議会(社協)も、最初の頃は自治的な組織でしたが、自治体が予算の執行権を掌握して、これを下請け機関とし、天下り先にしてしまったという経過があるのですが、NPO業界でもこのような経過を追ってしまったのです。

 あとは、民主党政権が発足した頃が活動のヤマで、民主党政権が官僚組織を使いこなせず、また内部での対立があり、鳩山首相が交代させられた頃には活動は下り坂に向かっていました。そして2011年の大震災と原発事故です。さらに、2012年末には総選挙で民主党が敗北し、第二次安倍政権が発足して、自民党政治が復活します。

 ただ、民主党政権の置き土産として、浜岡原発の停止のほかに、障害者福祉の分野での政府の審議会への障害者の参加がありました。従来は学識経験者で構成されるのですが、民主党政権では、障害者団体の代表者が過半を占めて、有益な議論ができたことです。最終的には厚労省がまとめましたが、障害者自立支援法は民主党政権の時に制定されています。この法律は改正され、現在は障害者総合支援法となっています。

 

5.まとめ

 平均的日本人は、日常生活以外の事柄で問題が起きるとお上に要求して解決してもらおうと考えます。お上はこの要求に応えるべく、あらゆる問題についての対応策を用意しようとします。新たな問題が出てくればそれに対する対策を講じるのです。

 少子高齢化が進んだ2010年代になると、医療法人や社会福祉法人が急速に成長していきます。行政主導で様々な補助制度を作って、高齢者向けの住宅や施設を作っていったのです。私はこの事態は経験していない事柄なので詳しいことは分かりませんが、自分の生活圏を見回してみても、高齢者の施設と送迎の車両が目立ちます。

 子育て支援も様々になされています。

 しかし、行政の施策は結果に対する対応であって、未然に防ぐという発想はありません。社会は人工物で設計し直せるという考えが定着してはいないのですね。ではどのようにすれば設計し直せるのでしょうか。地域づくりに関して言えば、地域住民が自治組織で相互扶助の仕組みを創り出すことが問われるでしょう。

 他方気候変動に対しては個々人の取り組みでは解決不能で国レベルでの対応策を打ち立てることが必要でしょう。

 このような構想を実現しようとする際に、従来は自治体や政党に要求するという方法しか考えられませんでしたが、それはそれとして、別の方法もある、というのがラトゥールが提案した「新しい政治」でした。それは、私たちがなじんでいる代理制、あるいは自主管理、直接民主主義といった次元とは別の次元で作り出される政治です。それは、生活圏(テレストリアル)にいる人々が自分たちの生活圏の詳細な調査を行い、それを周囲に発信して世論にしていくという方法です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (フィンランドの首相と閣僚と日本のそれの写真です。フィンランドは、人口とGDPの規模が日本の北海道とほぼ同じですが、人々の幸福度は世界の国々の中でも上位に数えられています。生協の理事と同年代の女性たちが政治の中枢にいます。京都新聞に出ていましたが、ツイッターでも拡散されています。)

 

補論 環境危機と21世紀の協同組合運動

 

 はじめに

20年前の文書とは、「21世紀の協同組合運動の課題」と題するものです。これは、2万4千字の文書なので、まず目次を上げておきましょう。なお、この文書のタイトルは「環境危機と、21世紀の協同組合運動の課題」に変更して文化知普及協会のサイトに掲載しています。

 

《第1部 自然圏の生産と再生産》

はじめに

第1章 生物の環境形成力

 1)大気 2)地表 3)水

第2章 物質の循環

 はじめに 1)炭素 2)窒素 3)硫黄

第3章 生物圏での循環

 1)生態系と食物連鎖 2)生物体内での循環 3)循環の撹乱のメカニズム

《第2部 人間圏の生産と再生産》

第1章 人間社会の環境破壊力

 1)自然圏の内部での人間圏の形成 2)人間圏形成の新たな段階 3)人間圏による環境破壊の目録

第2章 人間圏での循環

 1)賃労働の形成と普及 2)価値の循環 3)価値の循環の問題点

第3章 グローバル経済の問題点

 1)グローバルな経済とは 2)グローバルな経済の問題点 3)グローバルな経済との対抗 4)生活者の欲求を声にしよう

第4章 協同組合運動の課題

 1)問題解決型の運動 2)消費が生産を選択する 3)賃労働に代わるもう一つの働き方 4)信用制度に代わる支払決済システムの共同化

 

1.環境危機に関するこの文書の概要

 まず私が注目したのは、生物の環境形成力でした。石油が太古の植物由来であることは旧知のことですが、他にも生物由来の環境となっている物質はたくさんあったのです。この事態は、人間も巨大な環境形成力(というよりも環境破壊力と言った方がいいかもしれませんが)を持っているということを推論できます。

 次に、すべてが循環しているということでした。物質循環の事例として炭素、窒素、硫黄を取りあげています。他方生物圏での循環には、生態系と食物連鎖があり、他方では生物体内での循環があります。後者についてはDNAの発見がそのメカニズム解明に大いに役立ちました。そしてこの循環は、一般的にみても非常に脆弱な基盤の上にあります。循環を作り出している連鎖の一つが断ち切られてしまえば、それで循環は失われるのです。とりわけ、従来の自然界には存在していなかった化学物質が、合成化学工業の技術の進歩によって膨大に作り出されましたが、それらの生体内で果たす有害な機能がたくさん発見されています。これらの有害な物質は、人間の体内循環に影響を与えるのです。

 これで自然圏の考察を終えて、人間圏に移りますと、もちろん人間圏も自然圏の内部にあるのです。人類は、当初は自然の懐に抱かれていましたが工業の発展と都市化の進展で、自然圏の循環を大きく撹乱するようになりました。人間社会の環境破壊力が発揮されるようになったのです。最初は局地的だった環境破壊も、だんだん地球大に拡大していきます。そして1980年代には地球環境問題という言葉が定着しました。当時の目録は「オゾン層破壊、地球温暖化問題、酸性雨、熱帯林減少、砂漠化、野生生物種減少、海洋汚染、有害廃棄物越境移動、発展途上国公害、地下水をはじめとする淡水の汚染など」でした。

 ところで自然圏同様に人間圏も循環しています。人間圏での循環について解明したのが、この文書の特徴です。工業化と都市化による人間圏の拡大を保障したものが資本主義でした。働く人々を雇用することで商品を生産し、それを販売して剰余を獲得するというこのシステムで、循環しているものは資本(お金、抽象的には価値)です。雇用された働く人々には賃金が支払われ、それで食品などの生活に必要な商品を市場で買わねばなりません。こうして働く人々にとっても、商品やサービスを生産する資本にとっても市場が不可欠の存在となります。このように現代の人間圏の循環は資本によって担われているのですが、この循環は価値(お金)を循環させることが目的で、自然圏の物質循環には関心はありません。資本が作り出した商品は財であり、自然界の物質を材料に加工したものですから、自然圏の物質循環には入り込むことが困難な財もたくさん生産されてきます。自動車や家電製品は腐敗もせず簡単には分解もしないので、環境破壊力として働くことになります。そしてこの破壊力をなんとか軽減しようとして、さまざまな市民の活動があったのです。

 ではこの資本の循環の問題点はどこにあるのでしょうか。これについては少し長くなりますが引用しておきましょう。

 「生産を物質の生産と見た場合、それは、農産物であれ、鉄であれ、石油であっても同じ事ですが、生産された物質は、分配、消費、廃棄された後、自然界で分解されます。人間がゴミを焼却するのは、それ自体が環境破壊を引き起こしていますが、この自然界での分解を早めるものです。

 ところで、農産物や鉄や石油が、商品として取引されるのはどの時点でしょうか。最終消費財が商品として消費者に売られていることは目につきますが、それ以外にも、例えば、自動車のメーカーは多くの部品メーカーや中間製品をつくるメーカーと取引しています。また、賃労働者は、自分の労働力を商品として企業に売っています。つまり、相互に独立して営まれる私的生産者達の生産物やサービス、そして、労働者の労働力が、商品として、国や企業や家計などの経済主体の間で交換されているのです。

 今日の社会では、財は、私有制となっています。トヨタが生産する自動車はトヨタの私有物であり、ダイエーの店舗で売っている野菜もダイエーの私有物です。このそれぞれ持ち主のある私有物を社会の成員が利用できるようにするシステムとは、私有物に価格をつけてそれを商品とすることでした。つまり、それぞれの私有物が貨幣を尺度として価格をもつのですが、このとき価格の大きさを決めるもとになるものが、それぞれの私有物に共通な労働生産物であるということでした。

 そうです。今日の社会では、生産者たちは、他人に消費してもらうため、自分たちの私有物を生産するのに社会的に必要な労働時間を土台として、お互いに交換し合っているのであり、商品に価格をつけるときに、労働時間を尺度としているのでした。

 この尺度からすれば、泉のわき水や空気は、何らの労働を要することなく手に入れられますから、無価値となり、商品にはなりません。泉のわき水を商品にしようと思えば、それをボトリングするという労働を加えなければならないでしょう。もともと人間にとっては自然自体が財でした。農業は、太陽光や空気や水や土や微生物の働きがなければ成り立ちません。しかし、農作物を商品にしようとして価格をつけるとき、太陽光や空気や水や土や微生物の働きは何ら計算に入らず、ただ人間の労働だけがカウントされることになります。

 商品の価値が、その自然的質(使用価値)とは関係なく、ただそれに含まれる労働だけを土台としているという事態は、自然から人間圏を分離し、人工の生態系を作り出すことに大きな力を発揮してきました。資本家的生産が、工業を支配することで、工業の分野では大成功を収めました。しかしそのことで、人類は、地球上での生物の生存の危機を作り出してしまったのです。」

 商品は使用価値(物質的素材)と価値(社会的労働)とからなる二重物ですが、現代社会では価値の循環は実現しているのですが、他方の物質循環は考慮の外になってしまうのはこのような問題点があるからでした。たとえばプラスティック容器の問題でいえば、川上での製造をやめればいいのですが、それに踏み切れずに、川下で消費者や自治体がさまざまな削減活動を担っているという現状が今も続いています。もっとも最近では紙容器への転換を図る企業も増えていっていますが。いずれにしても人間圏の循環に関してはこの20年間大きな変化はありませんでした。

 

2.協同組合運動への期待とその点検

 人間圏での循環を考察した後、1990年代後半から急速に進展したグローバル経済の問題点について述べていますが、その紹介は省略して、最後の協同組合運動の課題に移りましょう。ここでは「問題解決型の運動」「消費が生産を選択する」「賃労働に代わるもう一つの働き方」「信用制度に代わる支払い決済すステムの共同化」という四点にわたっています。項目ごとに中心的論点を引用しておきましょう。

 「問題解決型の運動」では、1970年代になって、産業廃棄物や工場から出される排水や排ガス、自動車からの排出されるガスに対して政府が法律によって規制を始めたこと、1992年の地球サミット以降は自治体の環境基本計画策定とともに企業にも環境マネジメントの導入がなされたことについて述べた後に、価値の循環には手を触れてはいないことを指摘し、運動体の変遷に触れたうえで次のように述べています。

 「そして、今日では、NGOやNPOがもてはやされ、それの土台として協同組合が評価されるようになってきていますが、それは、協同組合自体が一つの経済システムであり、資本の循環が中心となっている市場のシステムに代わる、より良い経済システムを構想しうるのではないかと期待されていることを意味しています。協同組合運動が問題解決型の運動だということは、この問題とかかわっています。」

 このように、協同組合を資本の循環に代わる経済システムとし位置づけています。

 次の「消費が生産を選択する」では、消費者主権を主張したアメリカのラルフ・ネーダーの消費者運動が掲げたグリーンコンシューマや、グリーンファンド、グリーンバンクなどを紹介したうえで日本の消費生協について次のような期待を述べています。

 「消費生協の力が強い日本の場合、産直運動によって、農工格差を是正することが課題となっています。安全な食品や環境の保全を求める消費者が、消費生協に集まり、生産者と産直することで、価値の循環がなされている一般市場とは別の、もう一つの流通をつくり出しています。これは、農業保全のための環境づくりとして意味をもち、工業中心の日本の経済システムを変えていく力となっています。」

この試みはある程度は進んでいますが、まだ世間の体制を占めるまでには至っていません。というのも政府の農業政策が、大規模農業促進で企業の参入も認めるような方向で進んでいて、地方創生も掛け声にとどまっていて、現に活動している人々やグループに寄り添ってはいないからです。

 「賃労働に代わるもう一つの働き方」はどうでしょうか。

 「日本では、消費生協の周辺に、ワーカーズ・コレクティブが生み出されています。これは、資本家に雇われて資本の循環に一役買わされてしまう働き方とは別の、社会的に意義のある仕事を、生産協同組合によって遂行しようとする試みです。生協の店舗の経営から始まったこの運動は、パン屋や惣菜屋だけでなく、高齢化社会に対応して、家事サービスや介護サービスの担い手へと急成長しています。」

 一時期は、生活クラブのワーカーズ・コレクティブは拡大していきましたが、働く女性が増大していくことで、担い手の減少がみられています。働く人の協同組合について法制化されていないことがずっと指摘されてきました。仕方なくNPO法人や企業組合という既存の法人格を取得して活動してきていますが、たとえばNPO法人だと出資も認められておらず、この法人格で協同組合的に運営していくには非常に困難です。「労働者協同組合法案」が超党派の議員連盟で検討されてきましたが、やっと法案がまとまり2020年6月12日、全党・全会派の賛同により衆議院に提出された、という段階です。

 「信用制度に代わる支払い決済すステムの共同化」

 「従来、協同組合社会の構想は、たびたび打ち出されてきましたが、商品と貨幣に代わる交換のシステムについては、明らかに出来ていませんでした。いわゆる市場は、経済主体が自分の利益だけを考えて行動すれば良いシステムで、それが市場競争でバランスがとれていくというものですが、これに対置された計画経済は、全ての経済主体の利益を考慮することは出来ませんから、上からの指令経済にならざるを得ず、効率という点で、市場に敗北したのでした。

 ところが、商品と貨幣が流通する市場に代わるもう一つのシステムは、意外と身近のところにありました。信用制度とは、貨幣による債権・債務関係の決済を行うシステムですが、これが、今日の経済主体のほとんどを組織しつくすことで、既成の信用制度とは別の次元に経済主体の口座の共同管理を可能とする、もう一つの支払決済システムを創造する道をひらいたのでした。

 それぞれの経済主体が、自らの口座を共同で管理し、支払決済を安価な事務費で行うことが出来れば、市場における商品交換とは別の交換システムを形成し得たことになります。というのも、この支払決済システムに参加している人たちは、相互にコンピュータの口座決済によって、地域で財やサービスを循環させていますが、それは、決して、財やサービスを商品化するものではないからです。

 従来、生産物を商品にしないという脱商品化の方向性は、様々な団体で試みられてきましたが、それは、常に、閉じた共同体の形成へと向い、社会に開かれたシステムにはなり得ませんでした。それに対し、地域通貨の試みは、全生活の脱商品化ではなく、地域で循環し得る財とサービスに関してのみの脱商品化であり、それは、市場全体を考慮すれば、商品や貨幣や資本にがんじがらめにされた生活からの脱出であり、それらに支配されることからの脱出です。協同組合が中心になって、家計の経済の3割位までの地域通貨化を押し進めることが出来れば、協同組合地域社会の構想は、地に足のついたものとなるでしょう。」

 日本での地域通貨の試みは、NHKでエンデの遺言が放映されたことがきっかけでした。これは後に書籍としてまとめられ、地域通貨を発足させるための手引書として大いに役に立ち、私もいくつかのグループに参加しました。そういうこともあって、地域通貨に期待したのですが、今世紀に入ってからはこの活動も停滞しています。

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