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            環境危機と21世紀の協同組合運動の課題(案) 境 毅(2000年2月10日発表)

 

目次
《第1部 自然圏の生産と再生産》
はじめに
第1章 生物の環境形成力
 1)大気 2)地表 3)水
第2章 物質の循環
 はじめに 1)炭素 2)窒素 3)硫黄
第3章 生物圏での循環
 1)生態系と食物連鎖 2)生物体内での循環 3)循環の撹乱のメカニズム

《第2部 人間圏の生産と再生産》
第1章 人間社会の環境破壊力
 1)自然圏の内部での人間圏の形成 2)人間圏形成の新たな段階 3)人間圏による環境破壊の目録
第2章 人間圏での循環
 1)賃労働の形成と普及 2)価値の循環 3)価値の循環の問題点
第3章 グローバル経済の問題点
 1)グローバルな経済とは 2)グローバルな経済の問題点 3)グローバルな経済との対抗 4)生活者の欲求を声にしよう
第4章 協同組合運動の課題
 1)問題解決型の運動 2)消費が生産を選択する 3)賃労働に代わるもう一つの働き方 4)信用制度に代わる支払決済システムの共同化

 

第1部 自然圏の生産と再生産

 

はじめに


 遺伝子組み換え作物・食品に反対する運動に取り組むなかで、私たちは、遺伝物質がDNAであることを知りました。そして遺伝情報がDNAに存在する四種類の塩基の配列によって決まるという法則が、ウイルスからヒトまで基本的には同じであり、どんな生物も共通の遺伝情報をもっていることを理解しました。
 従来、生物は、私たちの眼に見えない微生物、そして、植物と動物というように分類され、生態学では、生産者(植物)、消費者(動物)、分解者(微生物)というように、その生活上のちがいを教えてきました。それは、それぞれ異なる生物が、異なる役割をはたすことで1つの生態系をなしていることを明らかにするものでした。しかし、遺伝子を植物や動物に組み込む遺伝子組み換えは、全ての生物の根源的な共通性を実証したのでした。
 つぎに、合成化学物質がごく微量環境中に存在し、生物の内分泌を撹乱する内分泌撹乱物質として作用することが明らかにされました。いわゆる環境ホルモンを封じ込める運動を開始していくことで、私たちは、生命の生理作用が、非常に微妙なバランスの上で進行していることを知りました。
 いのちに対するいとおしさ、この感覚は、ミクロのレベルの事象を知ることで、ますます強まっています。この感覚からもう一度私たちの世界を振り返ってみましょう。

 

第1章 生物の環境形成力


1)大気

 地球については、生命誕生後、ずっと生命が生存できる環境が維持されてきたことでもって、あたかもそれが一個の生命体であるとのごとく捉える、地球ガイア説が唱えられました。でも現時点で明らかなことは、地球環境を形成してきたひとつの要因が、生物の存在であることではないでしょうか。地球自体がひとつの生命体である訳はなく、むしろ、多様な生物の相互作用が、地球にある物質や太陽光と結びついて、地球環境を形成維持していく要因となっているのです。この生物の環境形成力に注目してみましょう。
 地球には太陽からエネルギーが光の形で放射されています。これは、反射されたり吸収されたりしますが、生物のいる地球では、植物による光合成が行われ、二酸化炭素と水から有機物と酸素がつくられます。地球の大気は、窒素が78%酸素が21%で、二酸化炭素は0.03%です。これに対して、生命の存在の可能性が信じられた火星は、二酸化炭素が95%、窒素が2.7%、酸素は0.13%にすぎません。
 もともと酸素は、活性の強い元素で、大気中にあればすぐ他の物質と化合し酸化させてしまいます。生物のいない火星の大気は、化学的平衡状態にあると言えます。ところが地球では、光合成によって酸素が大気中に補充され続けているので、動物が4億年にもわたって生存できるだけの酸素が大気中にずっと存在し続けているのです。
 ところで、光合成でつくられた有機物は、分解すれば、もとの炭酸ガスと水になります。従って、植物がつくり出した有機物が全て分解されてしまえば、酸素の増加はありません。しかし地球上では、光合成された有機物の一部が、分解されずに地中に埋没されています。27億年前から始まったとされている光合成、それによってつくられた有機物は、地中に大量に埋蔵されており、その残りが大気中に放出されたとみられています。そして、現在の大気中に残された酸素量は、この間の余分の酸素量の3.4%にすぎないと見積られています。残りの96%を超す酸素は、海域、陸域の酸化に使われ、鉄資源などの鉱物資源の鉱床を形成したり、石炭や石油などの化石となったものと考えられています。
 また、大気中の酸素の増大は、地球にオゾン層を着せることになりました。フロンガスがオゾン層に穴をあけるということで大問題となりましたが、このオゾン層は太陽からの紫外線をカットし、紫外線に弱い生物が陸上で生活できるようにしたのでした。
 こうして、過去の生命活動の蓄積として形成されている今日の大気は、温室効果によって、地表が冷えるのを防ぎ、また、有害な紫外線を吸収し、そして、大気の循環によって、熱と物質の輸送をし、地上に気候をつくり出しています。

 

2)地表

 地球は、大気に囲まれています。そして、地表の70%は海であり、残り30%が陸地となっています。そして、この地表も、ごくゆっくりした速度ですが移動しています。
 地表の移動について統一的な説明を与えたのは、1960年前半に説かれたプレートテクニクス理論でした。今日では、地表は、1枚の板となっているのではなく、移動する巨大な地殻のプレートによって構成されており、それが、地球の中心で行われている核分裂の熱によって溶かされたマントル層の中間で、マントル層内の対流や地球の自転運動などの諸力を受けて移動しているという見解が支配的になっています。
 地震や火山活動も、このプレートの境界で押し合う力によって、一方のプレートの地表が、もう一方のプレートの地表の下に潜り込んでいくときの衝撃や熱の発生から説明されるようになりました。こうして、地球の地表自体が、不動のものではなく、地球内部のマントルとの間に循環していることが、明らかとなりました。
 つぎに、陸上の岩石に注目してみましょう。陸上の岩石は、雨や風、それに植物や微生物の力で、細かく砕かれ、風化し、そして、川で流されて平野を形成し、やがては海に行きます。地球上での生物の存在は、この岩石の循環に大きな変化をもたらしました。それが、土壌の形成です。土壌は、粘土と鉱物質と有機物とから成っていますが、今日の表土をつくっているものは、微生物の働きです。普通の畑には、10アール当たり約700キロの土壌微生物がいます。このうち70~75%をカビ、20~25%を細菌が占め、ミミズなどの土壌動物は、通常5%以下であり、1グラムの土壌当たりのカビと細菌の個対数については、カビで200~500メートルの菌糸となり、細菌で、10億個くらいとなります。他方、水田では、微少藻類や原生動物が多く、また、嫌気性細菌が圧倒的部分を占め、酸素を必要とするカビは、急激に減少してしまいます。この土壌の中の微生物が、植物や動物の死骸を分解し、土壌を豊かにしていきます。まさに、土壌は、生物がつくり出したものであり、過去の生命活動の蓄積です。この他、サンゴが作り出した石灰岩など、生物が直接つくり出した岩石もあります。

 

3)水

 地球上での水の存在こそが、生命の源となりました。地球の太陽からの距離が、水の三態間の転換を可能としています。金星では、水は、地表では水蒸気としてしか存在できないし、火星では氷としてしか存在できないでしょう。水の循環は、生物が存在しなくても行われるでしょう。しかし、生物の欠如で、大気の組成が化学的平衡状態となり温室効果を失うと、地球は寒冷化し、地表の水は全て氷となり、今日のような水の三態が地表で見られるという事態は、失われるでしょう。この意味で、地表での水の三態間の循環は、生物の環境形成力にもとづいています。
 地球上では、水が、気体、液体、固体へと相互転換しうることで、水の特性を発揮し、さらに、生命誕生後は、生命活動とからみあって、今日の地球環境を成立させてきました。
 水の特性とは、融点と沸点が他の類似の物質に比べ異常に高く、かつ、この差が大きいことです。次に、固体の氷の方が水よりも軽く、水に浮きます。また、温めにくく、冷めにくく、畜熱性が大きい。さらに、潜熱が大きく、三態間の変化によるエネルギーの出入りが大きい。(水が溶ける時に大量の熱を奪い、水蒸気になる時にも大量の熱を奪う。)さらに、物質をよく溶かし、光を吸収します。
 生命の誕生が海でなされたこと、地球の気候のおだやかさに、生物によって捕捉された水が大きく作用していること、これらは、水の特性によります。しかし、生命と水との親和性は、これにとどまりません。それは、人体の65%が水分であることとともに、体内での水分の循環に示されています。人間が1日に分泌する消化液は、8.2リットルに達し、腎臓が濾過する水分は、170リットルに達しています。これらは、体内を循環しており、尿として排出されるものは、1.4リットルにすぎません。また、心臓が送り出す血液は、1日に7.2トンもあります。まさに、生物とは、体内に水を循環させるシステムであるかのようです。

 

第2章 物質の循環


はじめに


 大気と地表と水、これが環境の三つの土台をなしています。そして、これらの存在の様式は、生物の活動と大きくかかわっていることが明らかとなりました。次に、この環境の三つの土台を舞台に展開されている物質の循環をたどり、そして、今日の人類の活動が、どの程度の規模で、この循環に作用しているかを見てみましょう。
 

1)炭素

 炭素は、生物体の乾燥重量の40~50%を占める最も重要な元素です。地球上の炭素の循環は、三つの領域に分けることができます。まず、最も長い時間をかけて循環する深層海水と岩石圏、次に、土壌圏、そして、最も短いサイクルで循環している生物圏です。
 ここでは、生物圏での炭素の循環を、二酸化炭素を軸にして見てみましょう。
 大気中に0.03%しか含まれていない二酸化炭素も、大気全体の炭素原子に換算すると6700億トンに達します。 他方、陸上に生息する生物(大部分が植物)中に含まれている炭素の量は、8300億トンに達し、大気中よりも多い。さらに、陸上の生物の遺体中の炭素量も7000億トンに達しています。また、海洋中の生物量は、意外に少なく、炭素換算で、15億トンほどですが、しかし、ここでは、遺体が分解されにくいので、遺体の量は、1兆トンに達し、さらに、無機の炭素が35兆トン以上溶け込んでいると考えられています。
 光合成により植物体中に固定される炭素量は、陸上では1年間に1000億トンに達し、大気中の炭素は、7年に1回は陸上植物体中に固定されている計算になります。また、海洋では、500億トンが光合成によって固定されています。
 このように、二酸化炭素は、大量に固定されていますが、他方、植物が固定した炭素の半分は、植物の呼吸で再び、二酸化炭素として放出され、また残りの有機物質の炭素も微生物による分解や火事による焼失等により、大気中に放出され、ほぼつり合っていたのです。
 人類の最近の経済活動で化石燃料の使用が増大し、また、熱帯多雨林の消失が進みました。これは、従来の炭素の循環にどれ位の影響を与えているでしょうか。観測によって明らかなことは、大気中の二酸化炭素の濃度が、急ピッチで増大していることです。1970年から80年までの10年間で、炭素換算すると、230億トン分大気中に増大しています。化石燃料の消費が12億トンですから、これでは不足します。
 他方、熱帯多雨林については、1ヘクタールが開墾され、耕作地に変わると、炭素換算で200トンの炭素が放出され、また二酸化炭素固定能力は、年間7トン低下します。毎年、1700万ヘクタールの熱帯多雨林が伐採されていると言われていますから、これが、耕地に変えられたとしても全体で34億トンの炭素が毎年大気中に放出される計算になり、また1億トンの炭素固定能力の消失となります。
 この計算では収支が合いません。というのも、自然は複雑で、長期間定常状態にあった大気中の二酸化炭素の量が、短期間で急速に増大していった場合、海域などでの吸収も増大するからでしょう。海域での吸収が増大していったら、海はどうなるのか、この辺はまだ明らかではありません。
 とまれ、生物圏での炭素の循環に人間の活動が大きな撹乱要因となってきていることは明白です。

 

2)窒素

 生物圏での物質循環のうち、人間の活動が占める割合が一番大きいものは、窒素の循環でしょう。大気中の78%は窒素ですが、非常に安定した気体です。これが、窒素化合物へと固定されるすじみちの一つが根粒バクテリアなどの生物による固定で、これが年間5400万トンと見積られています。あと、大気中でカミナリのエネルギーにともなう化学反応で固定された窒素が雨で地表に運ばれるものが760万トン、火山から噴出されるものが20万トンで、この計算がなされた1970年度の工業による窒素固定量は、3000万トンに達していました。
 他方、生物界には、硝酸を窒素ガスに還元する脱窒素バクテリアがいて、8300万トンが大気へと返されていると見積られています。
 その後、肥料工業の発達によって、1975年には、工業による窒素固定量が自然界のそれの半分となり、そして2000年には、1億トンを超えて、ほぼ等しくなると予想されています。
 従来は循環していた窒素のサイクルは、工業による固定量が増大することで、分解されない窒素化合物が増大し、都市部への人工集中による生活廃水の増大にともなって、河川や湖の富栄養化をもたらしています。そして、この窒素の循環の歪みが何をもたらすのか、まだ十分わかっていません。

 

3)硫黄

 窒素と同じく人間活動が大きく影響を与えているものが、硫黄の循環です。工業が発達する以前の硫黄の循環には生物は大きな役割を果たしていませんでした。
 まず、陸上から河川をへて海に運ばれる分量が1億トン強、次に、陸や海から大気に放出される分量が、陸からは、4000万トン、海からは、2億トン、そして、大気から陸に降下する分量が3200万トン、海に降下するものが、2億トン、陸地上空から海の上空へ移動するものが、1000万トンと見積られています。
 1980年代中期には、人間は化石燃料や工業原料として、1億5000万トンの硫黄を掘り出し、産業廃棄物として9300万トンを大気中に、2900万トンを水に流しています。その結果、硫黄の循環量に大きな変化があらわれました。一つは陸地への降下が3倍近く増えました。また、陸地上空から海の上空へ運ばれるものは、6倍にもなっています。
 大気中に放出された硫黄は、硫酸ミストをつくり、大気と雨の酸性化をもたらします。ヨーロッパの中央部では、工業に由来する酸性雨が森林を枯らし、一部の湖に生物が住めないようにしました。

 

第3章 生物圏での循環


1)生態系と食物連鎖

 

 生物を群れという単位で観察する生態学の見地からは、生物全体が、光合成をする植物を生産者、動物を消費者、微生物を分解者、という三つに分類され、そして、全ての生物が食物連鎖のネットワークでつながっていることが明らかにされました。
 原発事故で環境に放出された人工の放射性ヨウ素や、また、DDT などの合成農薬が微生物や植物に吸収され、それを食べた動物が、毒物と判断できず、また、排泄する方法も知らずに体内に蓄積し、それらを濃縮していくことが知られることで、食物連鎖は環境問題をとりあげるときになじみの深いものとなっています。
 さらに、今日では、生物多様性が注目されるようになりました。日本の里山には、杉やヒノキの商品木材が植林され、植生が単純化されていますが、これが、雑木林と比べて、生物の種を著しく減少させているだけでなく、保水や表土の維持という点でも欠陥をもち、雪融け時の洪水や、山での地滑りの原因となっていることが指摘されています。
 生態系が地球環境に適応しつつ、地球環境自体をつくり出していますが、しかしそれは、食物連鎖を中心とした循環に支えられています。循環は、微妙なバランスの上に成立しており、このバランスを崩す要因が現れたときには極めてモロイものです。
 例えば、イギリスでは、11世紀に導入されたウサギが野性化して増えつづけ、作物や植林を食い荒らしていました。1953年にウサギを減らすため、ウィルスが導入され、15年間ほどウサギがほとんどいない状態が続きました。すると草原が森に変わっていったのです。
 ウサギが一掃されるとカケスが地面に埋めたドングリから実生のイングリッシュオークが育ち、1970年代半ばには若いイングリッシュオークの森林が形成されたのです。ウサギがあまりにも増えすぎたことで、草原から森林への生態遷移がおしとどめられていたのでした。
 また、私たちにおなじみのマルハナバチについて見てみましょう。マルハナバチは花から花へと渡って蜜や花粉を集めますが、その時に植物は受粉の確立が高くなります。お互いに共生しているのですが、マルハナバチとすれば4月から11月の間、花暦が途切れない場所でなければ繁殖できません。開発によって、花暦が途切れてしまえばハチは生存不能となります。
 人類による、環境破壊が進むなかで、野生生物の絶滅が急速に増大していますが、クジラやバッファローのように人に乱獲された動物たちだけでなく、生活の循環の輪のどこかを切断されたために、人知れず地球上から姿を消した生物種が増えていっているのです。

 

2)生物体内での循環

 

(1)DNAの複製機能

 個々の生物は、多くの種に分かれており、そして、同種の個体も皆それぞれ異なっています。ところが、アメーバのような単細胞の生物も、人間のような兆の桁の細胞をもつ生物にも共通なことは、いずれも1個の細胞から発生しているということです。
 人間の場合も、最初の受精卵のなかに、それが細胞分裂をして分化し、胎児からやがて出産によって母体から出てき、成長して大人になるまでの細胞の分化と、個体としての恒常性の維持についての必要な情報が全て含まれていなければなりません。
 メンデルが、1866年、生物に見られる遺伝の法則を明らかにし、それをつかさどる因子(後に、遺伝子と名づけられる)の存在を明らかにしたとき、それは想像上のもので、物質として特定されたものではありませんでした。その後、技術の発達による測定機器の進歩によって、人間が五感で知れる範囲が拡大し、従来見えなかったミクロの領域が観察できるようになり、1900年頃には、細胞分裂の際に色素によく染まる染色体と遺伝子との関連が明らかにされました。でもまだこの染色体がどのような物質から成るかは不明のままでした。1944年に、オズワルド・アベリーが、染色体がDNAから成ることを発表しましたが、当時は一般に受け入れられず、やっと8年後の1952年のハーシーらの実験によって、学界の定説になりました。
 従来遺伝子としての力をもつ物質はタンパク質であると信じられ、DNAは、1869年にミーシャーによって発見されていながらも、それを遺伝子と結びつける研究者は出現しませんでした。しかし、学界の定説になった1年後の1953年4月、ワトソンとクリックが、DNAの二重らせん構造の仮説を提出したことで、その後のDNA研究の爆発的な発展が始まったのでした。ワトソンとクリックのモデルはDNAの複製の機構を示唆していました。DNAは、若干の例外はありますが、全ての細胞に含まれています。(例外である赤血球には含まれていませんが、そのかわり、赤血球は、増殖できません。)最初は1個の細胞から増殖し、分化してきた生物の細胞は、いずれも、最初の細胞のDNAの複製をもっていることで、DNAで示されている情報が全ての増殖可能な細胞にゆきわたっていることが判明したこと、ここに、生物の発生と遺伝の仕組を解明していく決定的な地平が切り開かれたのでした。

 

(2)DNAとタンパク質の生成

 植物は、接ぎ木や挿し木ができますが、バイオテクノロジーの発達で、成体のどの細胞からでも全体を再生できるようになりました。これに対し動物の場合、成体の細胞は自分自身の再生は可能ですが、分化してもとの動物をつくるまでにはいたりません。
 この細胞の分化はタンパク質の種類のちがいにもとづいており、そのちがいは、DNAの塩基の並びのちがいからきています。クリックのセントラルドグマによれば、細胞内でのタンパク質の生産は、まず、DNAの情報(4種の塩基の並び)がRNAに写し取られ、このRNAの情報がタンパク質のちがいを作り出すアミノ酸の配列情報に翻訳され、細胞内に存在しているアミノ酸の独特の配列がつくりだされて、特定のタンパク質が生成されます。
 こうしてDNAは、自己を複製し、自己増殖していくとともに、RNAを仲立ちにして、酵素やホルモンを含む多種多様なタンパク質を最適状態でつくりだすことで細胞分化を成功させ、生物を一個の細胞から成体にまで生長させるだけでなく、たえず細胞を再生させていくことで生物の恒常性を保障しているのです。

 

(3)ホルモンと神経系と免疫

 DNAの二重らせん構造のモデルの提唱は、すでに述べたように、生物の発生と遺伝についての研究に新しい知見をもたらし、また、分子生物学とバイオテクノロジーを急速に発達させました。しかし、その知識は、対象を切り刻んで分析するという科学の方法にもとづくもので、生命をトータルに捉える、という点では限界がありました。
 そこで、今日では、生命をトータルに捉えようということで、一つは、生命の誕生からの歴史をたどる方向性が出され、もう一つは、細胞総体としての生命体の働きを明らかにしようとする方向性が出されています。
 個体としての生物の生命体としての特徴は、恒常性の維持ということです。外界から食物や空気などの物質を取り込み、消化吸収して、排泄する生物の新陳代謝は、個々の組織や器官を働かせることによってなしとげられていますが、動物の場合、その調節は、神経やホルモンや免疫によってなされています。
 ホルモンは、細胞外からの信号であって、ホルモンを分泌する組織細胞は遠く離れた臓器の標的細胞に信号を送り、その細胞の性質を変化させます。細胞表面にはアンテナの役割を持つレセプター分子が林立し外部からの信号を受けとめます。ホルモンの種類は、哺乳類では50種類ほど明らかにされていますが、特定のレセプター分子には特定のホルモンが結合します。受信体であるレセプターはホルモンと結合すると性質が瞬時に変化し、その結果レセプターやその近くにある別のタンパク質の活性に変化を起こさせます。
 ホルモンの働きには、よく、相互作用がみられ、フィードバック機構と呼ばれる調節作用が存在しています。例えば、血液中の血糖量の調節は、ホルモンと神経とが協調して行っています。食事の後、消化が進んで血糖量が増大すると自律神経である副交感神経の一つに刺激が伝わり、膵臓からインシュリンというホルモンの分泌を促進させます。インシュリンは細胞のインシュリンレセプターと結びつき、細胞内で糖からグリコーゲン合成が進み、その結果、血糖が減少します。他方、血糖値が下がりすぎると、交感神経が副腎髄質を刺激し、アドレナリンというホルモンの分泌を促進させます。アドレナリンは、肝臓細胞に働きかけて、グリコーゲンをブドウ糖に分解させて血液中に出させ血糖量を増大させます。
 このように、生物体の恒常性は神経とホルモンによるフィードバック機構としてあらわれている循環に与えられているのですが、この細胞のレセプターにホルモンとは別の、人間が合成した化学物質がとりつき、このフィードバック機構のなかでの循環を撹乱するものが環境ホルモンでした。
 免疫の働きは、臓器移植の際の拒絶反応や、また、エイズ・ウイルスによる免疫力低下などで広く知られるようになりました。免疫とは、外部から体内に侵入してくる異物を認識し、速やかにこれと反応して、効果的に排除する生体防御のことです。
 免疫をつかさどる細胞は、白血球の中のマクロファージ(貪食細胞)とリンパ球で、マクロファージはアメーバーのような細胞で、細菌などを細胞内に取込んで消化してしまいます。リンパ球のうち、胸腺という器官にとどまって成熟した後、体内をめぐるようになった細胞はT細胞、胸腺を経由せずに成熟したものはB細胞とよばれています。B細胞は体内に入った異物と特異的に反応するタンパク質を抗体遺伝子につくらせます。抗体をつくらせる異物は(多くはタンパク質)抗原と呼ばれますが、抗体は抗原と結合して集合体をつくり、これにマクロファージが集まって消化することで異物を排除するのです。他方、T細胞の方は、抗原を認識すると増殖してB細胞を活性化させます。
 この免疫の仕組みは非常に敏感で、MHC(主要組織適合抗原)遺伝子が似ていなければ、臓器移植の際に激しい拒絶反応が起きることが知られています。また、エイズ・ウイルスは、T細胞に入り込みT細胞にウイルスをつくらせ、最後に細胞を死なせます。そして増殖したウイルスは、他のT細胞に取りつき、順次T細胞を減らしていくことで免疫力を低下させていくのです。
 また、最近急速に増大しているアトピー性皮膚炎は、まだ原因が突き止められているわけではありませんが、免疫の仕組みの狂いによって発症していることは確認されています。

 

3)循環の撹乱のメカニズム


 生物の自己増殖と恒常性、この仕組が、DNAのレベルから解明されていくことで、いわゆる、環境問題が、生命の根源であるDNAを傷つけ、生物体内での循環を撹乱していることが明らかとなってきました。
 20世紀に入って人類は原爆の投下や原水爆実験、そして、原発などから大量の人工放射性物質を環境中に排出しました。また、農薬や食品添加物や合成洗剤やプラスチックなどの合成化学物質を大量に生産し、消費し、廃棄してきました。その上に、遺伝子組み換え食品も加わっています。
 これらは、従来自然界にはまったく存在しなかったものですから、生物には遭遇する機会はなく、これらに対する防御機能をまったくもっていなかったのです。DNAを傷つける物質については変異原性や発癌性のテストで調べられます。変異原には、物理的変異原と化学的変異原とがありますが、変異原が作用することで、DNAの鎖が切れたり、特定の塩基に作用して塩基対を変えてしまったり、DNAを不安定な状態にするものなどさまざまですが、こうした作用の結果として、遺伝情報が変わって、さまざまな突然変異を生じることになります。これが、ガンを誘発する原因となります。
 原発の事故で大量に廃出される人工放射性物質、ヨウ素131は、生物によって急速に体内にとりこまれ、人間の場合は食物連鎖で濃縮されたものを甲状腺にため込み、体内被爆を受け続けてDNAを傷つけ、ガンを誘発することが問題にされています。自然界にも天然の放射性物質が存在しますが、生物はそれに適応し、体内に取込まないようにしてきました。ところが、天然のヨウ素は100%非放射性のものであり、しかも、環境中には稀少のため、生物はすばやくとりいれて、体内にためてしまします。生物にとっては、ヨウ素131と天然のヨウ素とを分別するすべは持っていませんから、原発事故の際には、放出されたヨウ素131が空気中から植物体内に200万ないし1000万倍にも高濃縮され、それはまた、その植物を食べた家畜を通して、人間が取込むことになるのです。
 合成化学物質をつくりだす化学工業の場合、従来塩素を始めとするハロゲン族の元素を多用してきています。ハロゲン族は反応速度が速く、色々な種類の化学物質が製造可能であり、出来たものは安定で、しかもコストが安いのです。ダイオキシンやトリハロメタンで示されているように、有機化合物に塩素が取りつくと猛毒をもち、また環境ホルモンとして作用する物質になります。
 原発はもう増やさない、化学工業はとりあえずハロゲン族依存の体質をあらためる、こうした産業政策が進められねばなりません。

 

第2部 人間圏の生産と再生産

 

第1章 人間社会の環境破壊力

 

1)自然圏の内部での人間圏の形成


 人類の誕生の時期は、化石の発見によって、推定されてきました。最近では、分子生物学の成果で、人類が類人猿から分かれ出たのは500万年前とされています。他方、化石の発見の方も、440万年にまでさかのぼれるようになりました。化石による人類と動物との区別は、道具や火の使用にもとづき、発見された化石の周辺に道具が残されていたり、火の使用の証拠があげられたりすることで、その化石を人間の祖先だと判定します。
 でも今問題なのは、人間が自然に働きかけて自然を人工の生態系に変えることです。この観点からすれば、採取、狩猟の時代は、まだ人間は他の動物たちと同じように、自然のふところに抱かれたままでした。
 しかし、1万2000年から7000年位前のころから農耕が始まり、ついで、家畜を飼育することを覚えました。食料の増産は、人口の増加をもたらし、森林や草原が農地や牧場に変えられ、やがては農耕に従事しない都市住民が生み出され、自然の生態系の一部は人工の生態系に改変されていきました。この過程で、人間は血族の群れ社会から、原始の農耕共同体をつくり出し、余剰の富の蓄積が進むにつれて、階級への分裂が始まり、階級支配の機関としての国家も形成されてきます。
 人類の哲学発生の地の一つ、ギリシャの山は、不毛なハゲ山となっています。これは、2800年前に形成された都市国家から成る古代社会が、人口増による乱開発によって、この地域の森林を失ってしまった結果だと推測されています。古代の都市文明ですら、人工の生態系を増大させることで環境破壊をもたらし、ひいては都市を解体し、都市文明を消滅させました。
 古代ギリシャやローマの場合、戦争と階級闘争の歴史はよく語られています。この場合、都市の支配階級が打倒され、都市文明の継続が停止されたことで、環境破壊が極限にまで進まなかったケースと見なせるのではないでしょうか。ヨーロッパでは、古代の都市文明の後、「暗黒」の中世封建制が成立したとされますが、中世にあっては、古代の巨大都市が解体され、人口が分散することで、人工の生態系の環境破壊力はかえって小さくなっています。その要因として、耕作者が、土地を占有しており、農地の地力を改善することが経営の目的とされていたことがあげられています。
 中世の身分制社会のなかで商品経済が発達し、労働者を雇用する資本家的企業が生まれてきます。また、中世の長い歴史のなかで農業の生産力も増大し、都市も栄えるようになってきて、市民階級が形成され、貴族や封建領主たちとの利害の対立も激しくなってきます。産業革命は市民階級の立場を強め、ついに市民階級を始めとする被抑圧諸階級は、封建制を打倒し、基本的人権を土台とする民主国家を樹立します。
 ここに新たな都市文明の幕がひらきました。農業の時代から工業の時代へと都市文明の時代の転換が始まったのです。

 

2)人間圏形成の新たな段階


 工業も、石器や青銅器などの道具の製作にまでさかのぼれば、人類社会の出現とともにあったでしょう。この工業が専門化され、職人の生業をへて工場が出現したとき、工業が成立し、そしてそれはやがて農業を従属させるようになりました。
 工業はまず、巨大なエネルギーを必要とします。最初は人力や水力や風力や木材に頼っていましたが、産業革命によって蒸気機関が動力として実用化されることで、化石燃料の大量の使用が始まりました。又、機械を機械で製造できる機械制大工業の時代に入ると電力が開発され、発電のために石油や石炭が、ますます大量に使用されるようになりました。さらに、自動車による交通革命は、ガソリンの大量消費をもたらし、石油の枯渇が現実の問題となってきました。機械工業の発達は鉄などの金属資源を大量に必要とするようになり、農業の時代には、鉱山を軸にして小規模の人工の生態系が形成されていたに過ぎませんが、今日では、原料―製造―製品―廃棄という物質の巨大な流れがいく重にも重なり合って自然の生態系の上にのしかかるようになりました。
 次に、工業がつくり出した土木技術は、コンクリートを使った巨大建築物の製造を可能とし、運輸、交通、通信手段の発達によって巨大都市が出現し、これは気候にも影響を与えるようになっています。
 更に、合成化学工業が発達し、石油などを原料として、種々の人工の合成化合物がつくられました。石油からガソリンを分離したあとの残り物から、プラスチックや合成洗剤が大量に製造、使用、廃棄されるようになりました。
 また、これら工業技術の開発を促進したものが戦争に他なりませんでした。近代の工業技術のほとんどは軍事研究から出発しているといって過言ではありませんが、その頂点には原爆の開発がありました。原子力については、廃棄物の処理まで含めると膨大な石油エネルギーを喰うムダなものであり、かつ、人類は核物質の制御を行うことが出来ないにもかかわらず、国策によって原子力発電所が稼動し、電力の3割を占めるようになり、住民は核の不安に不断にさらされるようになっています。
 そして淡水の枯渇です。地球は水の惑星とも呼ばれていますが、その97.5%は海水です。人間が利用可能な淡水は、湖沼水と河川水と地下水ですが、地下水を除けば0.02%にすぎず、しかもその4分の1はバイカル湖にあります。砂漠化が問題となっていますが、水資源は偏在しており、しかも、地下水や湖や川の汚染が進んで、良質な水は本当にわずかになってきています。日本の水道水もそのままでは飲めなくなり、ミネラルウウオータの売上が急増してきました。近い将来世界中で水争いが起きることが予想されています。水が戦争の原因になりかねないのです。

 

3)人間圏による環境破壊の目録


 従来、人間圏による環境破壊は、局地的なものと見なされていました。鉱山や工場からの産業廃棄物による中毒や原水爆実験による放射能汚染や農薬による中毒は、60年代までに社会問題となっていました。だが、人間圏の拡大とともに環境破壊のエリアはだんだん拡大していきました。コンビナートの煙や自動車の排ガスによる光化学スモッグなどの大気汚染は、都市全体に波及し、また、合成洗剤や農薬による水汚染は、水系全体に広がり、さらに残留農薬や食品添加物による食品公害は都市住民を直撃しました。
 でもまだこのレベルでは国民経済の枠での出来事でした。80年代に入ると環境破壊は地球規模に広がっていることが周知の事となり、地球環境問題という言葉が定着してきました。今日、地球環境問題とされているものは、次のように分類されています。
 オゾン層破壊、地球温暖化問題、酸性雨、熱帯林減少、砂漠化、野生生物種減少、海洋汚染、有害廃棄物越境移動、発展途上国公害、地下水をはじめとする淡水の汚染など。
 汚染源は、原発からの放射性物質や農薬など合成化学物質から成る毒物や重金属、硫酸ミストなどですが、90年代に入って判明した内分泌撹乱物質(環境ホルモン)の出現は、従来無害とされていたプラスチック類も汚染物質であることが判明し、汚染源となる物を増大させました。

 

第2章 人間圏での循環

 

1)賃労働の形成と普及


 近代になって新しく形成された人工の生態系は、150年という短期間のうちに、地球の環境を、もはや回復の見込みのないところにまで追い込むほどの巨大な成長をとげました。
 生物としての人間の土台であるはずの地球環境をズタズタにしたにもかかわらず、何故、近代社会は成長してこれたのでしょうか。その秘密は、商品や貨幣や資本にあります。
 人類が、採取、狩猟の段階にあったときは、私有財産もなく、従って、財が商品として交換されることもなかったと推定されています。ところが、農耕が始まり、定住して、血縁の共同体から地縁の共同体が生まれ、また、家畜を飼う遊牧民が社会的分業を形成したとき、共同体と共同体との間で剰余生産物が交換され始め、これが繰り返されることで、財が商品化され、そして、商品の価値を尺度する貨幣も生成されてきます。
 共同体が地縁の共同体となる過程で、血族から家族が生まれ,共同体と共同体との間で始まった商品交換は、共同体の内部に波及し、家族を単位とした私有財産制を形成し、そして、社会的分業を促進していきます。
 このように、元来商品は、私有の財を相互に交換するシステムでした。そして近代社会が成立するまでは、食料や道具や住居などの財の生産は、奴隷制や封建制によってなされてきました。封建制の場合、食料は農民によって生産され、領主は支配下にある農民に賦役を課したり貢納をさせて、農耕にたずさわらない貴族や武士の食糧を調達していました。この頃の商品交換は、都市住民の間で支配的だったにすぎず、圧倒的多数を占めていた農民は、ほとんど共同体の内部で自給自足していたのです。
 ところが、ヨーロッパの封建社会の中期以降発達した都市間の商品交換と、富んだ商人の出現が、従来独立して行われていた職人の手仕事を仕事場に集中し、やがてそこから工場制度を生み出していきました。職人は、独立して働く代わりに、資本家に雇用され、資本家のために働いて、賃金を受け取ることになりました。労働力が商品化したのです。
 賃労働の起源は、旧い時代にまでさかのぼることが出来るでしょうが、近代社会のなかで形成された賃労働は、産業革命によって実現された機械制大工業の担い手として、社会の経済発展の中核を占めていったことに特徴がありました。
 食糧の生産にたずさわらない工業の分野で、賃労働者が増大していけばどうなるでしょうか。それは、社会の中で食糧や衣類や住居などを商品として購入しなければ生活してゆけない人々の増大を意味しています。そして、工業の発達によって多種多様の生活財が安価に供給できるようになり、従来自給自足で成り立っていた農村にも、商品交換が支配的となっていきます。
 こうして、今日のように資本家的生産が支配的となり、働く人々のうち賃労働者が多数となっている社会では、人々の生活は衣食住の全てにわたって商品交換のシステムに取込まれてしまい、従って、社会の財が商品化されることが支配的となります。

 

2)価値の循環


 農家の生活も商品交換のシステムに取込まれることで、農業と工業との社会的分業の関係に変化が起きました。農耕を中心にして組立てられていた社会が、都市を中心にした社会へと大転換し、欲望を刺激する消費社会が成立したのです。
 社会の財が商品化していきましたが、商品はおおむね資本家が経営する企業によって生産されています。株式会社をはじめとする営利企業の目的は、商品を販売して資本を回収し投下資本を増やすことです。これが出来ない企業は倒産せざるを得ません。こうして、企業は生死を賭けた競争の中におかれ、商品の販売のための競争の結果、大量生産、大量消費、大量廃棄の社会が成立していったのです。
 商品交換が支配的な社会で唯一循環しているもの、これは、資本です。投下資本が増加して回収されること、この循環で、現代社会の経済は成り立っています。この資本の大きさは、お金(貨幣)で計算されます。そして、お金は、商品の交換価値を表わします。そこで、資本の循環は、結局は商品の交換価値、つまり、価値が循環していることを意味することになります。別の言い方をすれば、価値の循環が剰余をともなってなされるとき、それは資本となるのです。
 財は、物質としては自然界の循環の法則に従っています。例えば、生産された自動車は、ユーザーによって消費され、使えなくなれば廃棄されます。自動車は多くの部品から成り、多くの種類の物質から成り立っていますが、廃棄されたものは自然界の法則に従って分解されていきます。ところが、プラスチックや合成ゴムなどの塊である車は、容易には分解されません。従来、企業は、車を売って資本を回収すればそれで価値の循環が終了しているので、生産物の分解に到るもう一つの物質の循環に何の注意も払ってきませんでした。使用中の排ガスについては、法的規制がなされた結果改善が見られましたが、廃車の分解については、一部でリユース、リサイクルが取り組まれていますが、まだ、手がつけられていません。
 今後、環境問題はますます深刻になっていくでしょうから、種々な法的規制がなされ、物質循環に配慮した技術も開発されていくでしょう。しかし、価値の循環が支配的となっているという事態をそのままにしておいては、根本的な改善は困難でしょう。

 

3)価値の循環の問題点


 今日の経済で循環しているものは、価値であり、そして、この価値の循環は、価値の増殖が目的で、物質の循環については関心がありません。この事実について注目してみましょう。
 人間は生きていくためには外界から物質を取り入れて、新陳代謝を行い、廃物を外界に出さなければなりません。人間が集団を形成する場合、それは社会となり、社会での物質代謝は、生産と分配と消費と廃棄という流れに区分できます。
 生産を物質の生産と見た場合、それは、農産物であれ、鉄であれ、石油であっても同じ事ですが、生産された物質は、分配、消費、廃棄された後、自然界で分解されます。人間がゴミを焼却するのは、それ自体が環境破壊を引き起こしていますが、この自然界での分解を早めるものです。
 ところで、農産物や鉄や石油が、商品として取引されるのはどの時点でしょうか。最終消費財が商品として消費者に売られていることは目につきますが、それ以外にも、例えば、、自動車のメーカーは多くの部品メーカーや中間製品をつくるメーカーと取引しています。また、賃労働者は、自分の労働力を商品として企業に売っています。つまり、相互に独立して営まれる私的生産者達の生産物やサービス、そして、労働者の労働力が、商品として、国や企業や家計などの経済主体の間で交換されているわけです。
 今日の社会では、財は、私有制となっています。トヨタが生産する自動車はトヨタの私有物であり、ダイエーの店舗で売っている野菜もダイエーの私有物です。このそれぞれ持ち主のある私有物を社会の成員が利用できるようにするシステムとは、私有物に価格をつけてそれを商品とすることでした。つまり、それぞれの私有物が貨幣を尺度として価格をもつのですが、このとき価格の大きさを決めるもとになるものが、それぞれの私有物に共通な労働生産物であるということでした。
 そうです。今日の社会では、生産者たちは、他人に消費してもらうため、自分たちの私有物を生産するのに社会的に必要な労働時間を土台として、お互いに交換し合っているのであり、商品に価格をつけるときに、労働時間を尺度としているのでした。
 この尺度からすれば、泉のわき水や空気は、何らの労働を要することなく手に入れられますから、無価値となり、商品にはなりません。泉のわき水を商品にしようと思えば、それをボトリングするという労働を加えなければならないでしょう。もともと人間にとっては自然自体が財でした。農業は、太陽光や空気や水や土や微生物の働きがなければ成り立ちません。しかし、農作物を商品にしようとして価格をつけるとき、太陽光や空気や水や土や微生物の働きは何ら計算に入らず、ただ人間の労働だけがカウントされることになります。
 商品の価値が、その自然的質(使用価値)とは関係なく、ただそれに含まれる労働だけを土台としているという事態は、自然から人間圏を分離し、人工の生態系を作り出すことに大きな力を発揮してきました。資本家的生産が、工業を支配することで、工業の分野では大成功を収めました。しかしそのことで、人類は、地球上での生物の生存の危機を作り出してしまったのです。

 

第3章 グローバル経済の問題点


1)グローバルな経済とは


 一時期経済のグローバル化ということが流行語になったことがありました。政府や企業をはじめ誰もかれもがグローバルスタンダードをめざし、規制緩和に賛成していました。このグローバル化の流れは、その後一体どうなったのでしょうか。
 まず、一国の枠を超えたグローバルな経済が成長してきました。これまでも、多国籍企業のように世界各国に事業所をもつ巨大企業がありましたが80年代に入って起きた事態は、もっと異なっていました。コンピュータの発達で金融機関のネットワークをオンラインシステムにすることが可能となりました。このオンラインシステムが国を越えて張り巡らされたのです。
 国際金融市場がオンラインシステムで結ばれることによって、それが従来の各国金融市場とリンクした世界単一の資本市場となる、という全く新しい事態が生み出されたのです。デリバティブとかヘッジファンドといった言葉がお茶の間にも入ってきましたが、金融派生商品(デリバティブ)や金融先物取引(ヘッジファンド)は、世界の資本市場が単一化されたため、急速に発達することが出来たのでした。
 単一化された国際金融市場とそれにかかわっている多国籍銀行、そしていまや世界の国家の国民総生産と肩を並べるようになった巨大多国籍企業、これがグローバルな経済のなかみです。93年には、製造業で最大の企業であるGMの売上高は、インドネシアの国民総生産に次いで24番目に入っています。第4位のフランスの10分の1を占めていました。

 

2)グローバルな経済の問題点


 経済のグローバル化で利益を得たのは、グローバルな経済の方でした。日本政府や日本の金融機関は、このグローバルな経済の競争に負け、80年代半ばには日本の銀行は世界一と評価されたこともありましたが、今では、バブルの崩壊で不良資産を抱え、また、デリバティブやヘッジファンドの技術について行けず、国際取引から引きあげる大銀行も出てきています。そしてこの日本の銀行の国際金融市場での競争の敗北が日本の今日の長期不況の原因の一つとなっています。
 では、グローバル化した経済は、今後どうなるのでしょうか。それはますます金儲けの論理に徹していき、巨大企業間での競争を激化させ、そして、世界的規模での独占企業を作り出すでしょう。そしていくつかの企業は、先進国並みの国民総生産の規模となるでしょう。そうなれば、商品の値上げをねらって独占価格が打ち出されるでしょう。
 また、国際金融市場も多くの問題をかかえています。それは、外国為替取引が貿易の額の60倍となっていることに象徴的に表されています。もともと国際金融市場は、貿易にともなう信用取引とそれから、株式会社が資本を調達する場でした。ところが、資本市場はオンラインで世界単一となったのに各国の通貨がちがっていますから、実際の貿易や資本の調達の上に、それに派生して、外貨を売買する投機が急速に成長してきたのです。そして、多くの巨大銀行は、その利益の多数を貸付金による金利よりも投機による益であげるようになってしまっています。国際金融市場での取引はいまや架空の取引がほとんどとなり、こうして投機家の売り買いが各国経済に大きな影響を与えるようになりました。例えば97年夏以降タイの通貨危機を契機にアジア金融市場からドルが流出し、アジア諸国に経済危機がおとずれ、それがまた10月にはホンコン株式市場の急落となり、それが東京、欧州、そしてニューヨーク株式市場の記録的な暴落を引き起こしましたが、こうした事態を止めようがありません。
 グローバルな経済は国民国家と国民経済を超えており、国民経済に対して企業としての社会的な責任をもつ根拠がなくなっています。だから、それは栄えれば栄えるほど国民国家と国民経済を弱めることになります。このことがこの間の事態の推移のなかで明らかになっています。

 

3)グローバルな経済との対抗


 グローバルな経済は国家の枠にしばられていませんから、これを規制するものも今のところありません。でも、よく考えれば、グローバルな経済といえども私たち最終消費者に商品を買ってもらわなければ成り立ちません。だから、グローバルな経済が好き勝手にしようとしたとき、消費者がどうするかが大きな問題であり、したがってこれを規制できるのは、消費者が生活者として現われたときでしょう。この意味でそれは協同の経済の対極にあります。
 消費者が食と農のことを考え、もう一つの働き方や地域づくりを求めて生活者となり、協同の経済に参加していくとき、グローバルな経済の成長に歯止めがかかっていくでしょう。このように考えたとき生協にとって協同の経済の要となる産直運動の新たな意義が浮かび上がってきます。

 

4)生活者の欲求を声にしよう


 お金と商品が第一のものであり、第二のものであり、第三のものでもあるというこの市場社会に多くの人はあいそをつかし、人間性と人間的なつながりを求めています。価値観を変えることから始まり、宗教に入信したり、癒しを求めてセラピーに参加したり、と色々な試みがありますが、どこかウソっぽい。
 それは肝心の生活と働くことをそのままにして、それ以外のところで人間的なものを求めようとしているからではないでしょうか。生活や働き方や、人と人との関係を人間的なものに変えていくと言うことが問われているのではないでしょうか。それはわかっているけどむつかしい、と思われるかもしれません。でも、今日では、このことは誰でもが参加でき、しかもそこで楽しめるものとなってきています。もちろん、一挙に全体を変えていくことはできません。
 とはいえ、今必要なことは、この生活者の立場から、自分達の欲求について、社会に対して大きな声を出していくことではないでしょうか。
 相変わらず、グローバルスタンダードと規制緩和の声は大きくひびいています。それに対して、生活者の側からの声はまだひとつのものになっていず、聞き取りにくいものです。何が問題となっており、何を解決しなければならないのか、このことを明らかにすることで、生活者の声を大きくしていくことが問われています。

 

第4章 協同組合運動の課題


1)問題解決型の運動


 資本家的生産が作り出した工業文明は、放っておけば地球環境を破壊し、人類の生存を不可能としてしまうという認識が、1970年代に入って多くの人々の共通認識となりました。産業廃棄物や自動車の排ガスやフロンやCO2など、因果関係が明らかとなった環境破壊に対しては、国や自治体が法的規制を行うようになりました。また、92年の地球サミット以降、企業の責任についても問われ始め、企業は、次々に環境マネジメントを始めています。
 しかし、国も企業も、猫の首に鈴をつけようとはしていません。商品の価値が労働によって決定されていること、このこと自体は放置されたままです。ここで、国や企業に対抗する運動の歴史を振り返ってみましょう。まず、資本主義が支配的になった19世紀に、階級闘争の理論にもとづいた社会主義革命の運動が、大きな力を得ました。この運動は、1917年にロシアで国家権力を奪取し、さらに、ソ連邦を成立させ、さらに、中国や東欧でも政治革命を成功させました。しかし、政治革命のあとに続く社会革命では、これまでのところ、資本主義の商品を土台とした市場経済に代わるシステムを実現できず、1990年代に入って、ソ連邦も解体を余儀なくされました。
 政治革命をかかげた社会主義革命の運動が後退したのと入れ代わりに登場したのは、市民運動でした。この運動は、市民としての異議申立てを土台とし、生活のあらゆる領域にわたって問題に取り組みました。国や自治体や企業に働きかけて、世の中を変えていこうという取り組みから、ライフスタイルを変える運動まで、さまざまでしたが、思っていたような実をあげることは出来ませんでした。
 そして、今日では、NGOやNPOがもてはやされ、それの土台として協同組合が評価されるようになってきていますが、それは、協同組合自体が一つの経済システムであり、資本の循環が中心となっている市場のシステムに代わる、より良い経済システムを構想しうるのではないかと期待されていることを意味しています。協同組合運動が問題解決型の運動だということは、この問題とかかわっています。

 

2)消費が生産を選択する


 消費者主権は、ラルフ・ネーダーがかかげ、アメリカの消費者運動を発展させてきました。消費者協同組合の力が弱いアメリカでは、この運動は、グリーンコンシューマやグリーンフォンド、グリーンバンクといった方向へ流れていっていますが、いずれも、消費者が生産について選択できるように、消費者に情報を提供することが行われています。
 この運動は、価値の増殖という資本の循環の最終局面である最終消費財の市場で、消費者が選択することで特定の資本の循環を阻止しようとするものであり、インターネットの発達によって、大きな力を持つに到っています。
 遺伝子組換え食品をめぐる情況は、まさに、消費が生産を選択できるかどうかの試金石でしたが、現在のところ、消費者の力で、開発企業のモンサントなどに相当な打撃を与えています。
 消費生協の力が強い日本の場合、産直運動によって、農工格差を是正することが課題となっています。安全な食品や環境の保全を求める消費者が、消費生協に集まり、生産者と産直することで、価値の循環がなされている一般市場とは別の、もう一つの流通をつくり出しています。これは、農業保全のための環境づくりとして意味をもち、工業中心の日本の経済システムを変えていく力となっています。
 この力を背景に、環境ホルモンを封じ込めることを目指した、プラスチックや合成洗剤の生産の封じ込めや、原子力発電の封じ込めの運動に取り組むことが問われています。

 

3)賃労働に代わるもう一つの働き方


 日本では、消費生協の周辺に、ワーカーズ・コレクティブが生み出されています。これは、資本家に雇われて資本の循環に一役買わされてしまう働き方とは別の、社会的に意義のある仕事を、生産協同組合によって遂行しようとする試みです。生協の店舗の経営から始まったこの運動は、パン屋や惣菜屋だけでなく、高齢化社会に対応して、家事サービスや介護サービスの担い手へと急成長しています。
 消費生協以外のところからも、生産協同組合の運動は出てきており、また、1990年以来の金融機関や自動車産業などの、大企業のリストラによって増大した失業者の中からも、もう一つの働き方を求める人たちが出てきています。
 衣食住、全ての領域にわたって商品化し、お金で買うことでしか生活できないような生活様式が、出来上がっています。そして、この商品化は、営利企業によって担われていますので、資本の循環が生活のあらゆる領域に浸透していることを意味していました。その結果、地域で、各世帯はバラバラに切断され、さらに家族の内部でも、消費の場面での親と子の分断化が進みました。
 もう一つの働き方は、このような今日の地域を再編することを課題としています。地域で必要な財やサービスを、営利企業の商品としてではなく、相互扶助の精神から提供していくことが問われています。

 

4)信用制度に代わる支払決済システムの共同化


 協同組合運動は、消費の部面で産直運動を成功させることで、既成の市場に代わるもう一つの流通をつくりあげることが出来るようになりました。また、生産協同組合をつくり出すことで、賃労働ではないもう一つの働き方をつくり出してきました。この二つの課題を実現することで、今日の地域を協同組合地域社会へと再編していく手がかりをつかんでいます。
 ところが、もう一つの流通にしても、もう一つの働き方にしても、たえす資本の循環がなされている既成の経済との競争にさらされています。というのも、貨幣や資本を管理している信用制度が、銀行などの営利企業である私的金融機関によって掌握されており、もう一つの流通にしても、もう一つの働き方にしても、金融機関にからめとられているという現実があるからです。
 金融機関の力は、国や企業や家計といった経済主体の口座を集中し、それを支払決済システムとして私的にまとめあげているところにあります。コンピュータの発達は、従来銀行ごとに分散されていた支払決済システムを、オンラインシステムで統合してしまいました。90年代末に銀行の整理と統合を行わざるを得なくなった技術上の背景が、ここにあります。
 ところで、コンピュータによるインターネット通信などの情報技術の発達は、家計や企業が口座を銀行に開き銀行の私的な支払決済システムに加わることとは別の、もう一つの支払決済システムを可能にしました。世界で急速に普及していっている、地域通貨の試みが、それです。
 地域通貨のシステムは、家計や企業が自らの口座を集中し、支払決済システムを創造し、それを共同で管理できるシステムで、地域で循環している財やサービスを、労働交換の原理で決済することが可能です。例えば、家計がその1割を地域通貨で決済すれば、その分だけ既成の信用制度から脱出した経済となっていきます。
 従来、協同組合社会の構想は、たびたび打ち出されてきましたが、商品と貨幣に代わる交換のシステムについては、明らかに出来ていませんでした。いわゆる市場は、経済主体が自分の利益だけを考えて行動すれば良いシステムで、それが市場競争でバランスがとれていくというものですが、これに対置された計画経済は、全ての経済主体の利益を考慮することは出来ませんから、上からの指令経済にならざるを得ず、効率という点で、市場に敗北したのでした。
 ところが、商品と貨幣が流通する市場に代わるもう一つのシステムは、意外と身近のところにありました。信用制度とは、貨幣による債権・債務関係の決済を行うシステムですが、これが、今日の経済主体のほとんどを組織しつくすことで、既成の信用制度とは別の次元に経済主体の口座の共同管理を可能とする、もう一つの支払決済システムを創造する道をひらいたのでした。
 それぞれの経済主体が、自らの口座を共同で管理し、支払決済を安価な事務費で行うことが出来れば、市場における商品交換とは別の交換システムを形成し得たことになります。というのも、この支払決済システムに参加している人たちは、相互にコンピュータの口座決済によって、地域で財やサービスを循環させていますが、それは、決して、財やサービスを商品化するものではないからです。
 従来、生産物を商品にしないという脱商品化の方向性は、様々な団体で試みられてきましたが、それは、常に、閉じた共同体の形成へと向い、社会に開かれたシステムにはなり得ませんでした。それに対し、地域通貨の試みは、全生活の脱商品化ではなく、地域で循環し得る財とサービスに関してのみの脱商品化であり、それは、市場全体を考慮すれば、商品や貨幣や資本にがんじがらめにされた生活からの脱出であり、それらに支配されることからの脱出です。協同組合が中心になって、家計の経済の3割位までの地域通貨化を押し進めることが出来れば、協同組合地域社会の構想は、地に足のついたものとなるでしょう。(2000年2月10日)

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