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ワーカーズ・コレクティブと地域社会ー 藤木千草さん(ワーカーズ・コレクティブ及び非営利・協同支援センター)への 聞き取り報告
 

    取材日 、場所:2018年 1月28日、武蔵野プレイス

 聞き手:田中一弘     

 

   藤木千草さんのプロフィール

 

   1956年生まれ。

        1983年:出産を機に、生活クラブ生協http://www.seikatsuclub.coop/加入

   1988年:並木公民館(国分寺市)の講座「子どもの視点で地図をつくろう」(保育付き)に参加

       ・まちづくりへの市民の意見反映の重要性に気づく。⇒ライフテーマが見つかる!

       ・「ワークショップ」という手法との出会い。

   1989年:生活クラブ生協の「仕事づくりワークショップ」に参加

       ・市民参加のコーディネートや編集などが仕事になることを発見

   1992年:ワーカーズ・コレクティブ生活工房まちまちを3人で設立

       ・「仕事づくりワークショップ」の受講者3人で立ち上げ

       ・設立趣旨は「市民参加のまちづくりをしなやかにコーディネートする。」

       ・業務内容:編集・企画・調査・ワークショップとファシリテーター

   2010年:ワーカーズ・コレクティブ生活工房まちまち解散          

                           ワーカーズ・コレクティブぷろぼの工房設立!(2013年一般社団法人)

      2000年~2006年:東京ワーカーズ・コレクティブ協同組合理事長 

            2004年~2014年:ワーカーズ・コレクティブネットワークジャパン(WNJ)/代表・事務局長

            2007年~2015年:日本協同組合学会常任理事・監事

            2015年:ワーカーズ・コレクティブ及び非営利・協同支援センター設立

 

共著書『コミュニティビジネス入門』(学芸出版社、2009年)

『闘う社会的企業』(勁草書房、2013年)

『小さな起業で楽しく生きる』(WNJ編集、ほんの木、2014年)

『東日本大震災後の協同組合と公益の課題 (公益叢書)』

(現代公益学会編集、文眞堂 2015年)

主な活動:国分寺生活者ネットワーク・国分寺地下水の会・国分寺名水と歴史景観を守る会・わらべうたと絵本お楽しみ会・ByeBye原発国分寺の会・市民連合@国分寺・たねと食とひと@フォーラムhttp://nongmseed.jp/

社会的企業研究会http://sse.jp.net/

 

1.生活クラブ生協への加入からワーカーズ・コレクティブの設立へ

 

――最初に藤木さんから自己紹介をお願いします。

 

藤木:結婚後しばらく専業主婦をしていましたが、三女を出産後、生活クラブ生協に再加入したのをきっかけに、社会問題を考えるようになりました。

 

1988年に国分寺市の並木公民館で行われていた講座「子どもの視点で地図を作ろう」(保育付き)というのがありました。これが大変ユニークな講座で、武蔵野美術大学の及部克人先生の企画で、全部ワークショップ形式で進めていくというものでした。当時、ワークショップという言葉は日本ではほとんど使われていませんでした。初回にやった自己紹介は「お家で食べるお雑煮を絵に描きましょう」というんです。お雑煮は家ごとに違うことがわかり、それぞれの出身地や配偶者との関係など幅の広い自己紹介が出来るんです。最終的には布で国分寺市の地図をつくりました。その講座をやるなかで、自分たちが住んでいるまちが、地域にいる人の視点でつくられていないなということを発見したんです。まちづくりに市民の声をあげていかなければならないなと感じました。それとワークショップという手法が面白いなと思いました。

 

その後1989年に、「ワークショップの講座をやりますから参加しませんか」というチラシが入って、参加しました(生活クラブ生協の「仕事づくりワークショップ」)。「ワークショップがこれから仕事になっていきますよ」という話になりました。これから市民参加のまちづくりをしていかなければならないということで、受講していた人の中から有志3人で「生活工房まちまち」というワーカーズ・コレクティブを1992年に立ち上げて起業しました。

 

2.ワーカーズ・コレクティブとは何か

 

藤木:ワーカーズ・コレクティブが日本で最初にできたのは、横浜で1982年です。1980年にICA(国際協同組合同盟)の大会でレイドロー報告(西暦2000年における協同組合)http://e-kyodo.sakura.ne.jp/nakagawa/121123laidlaw30.pdfというのが発表されまして、「4つの優先課題」というのが挙げられていました。そのなかに人間的で有意義な働く場づくりということと、あと協同組合地域社会をつくる、つまり地域にいろいろな協同組合を作って生活を豊かにしていこうというのがありました。この二つの課題を実践していこうということでワーカーズ・コレクティブ運動が始まりました。丸山茂樹さんがワーカーズ・コレクティブの名付け親です。

 

私は、その10年後にワーカーズ・コレクティブを始めたことになります。そして18年後、2010年にいったん解散しました。人数が減ってきたなどの問題があって、もう一回作り直そうということになりました。10月に解散して11月3日に「ぷろぼの工房」http://probonokobo.blogspot.jp/を設立し、2013年に一般社団法人になりました。それが現在まで続いています。

 

一方で、東京のワーカーズ・コレクティブが集まって、東京ワーカーズ・コレクティブ協同組合http://www.tokyo-workers.jp/というのを作っています。そこの理事長を2000年から2006年にかけてやりました。また、日本全体の連繋組織であるワーカーズコレクティブネットワークジャパン(WNJ)http://www.wnj.gr.jpの代表・事務局長をやらせていただきました(2004年~2014年)。その時のOBを集まりまして、2015年にワーカーズ・コレクティブ及び非営利・共同支援センターを立ち上げて、ワーカーズ・コレクティブ運動の支援にも関わっています。

 

日本協同組合学会https://www.coopstudies.com/にも入っていまして、そこの常任理事・監事を2007年~2015年までやりました。

 

3.地域活動の取り組み

 

藤木:地域活動としては、「国分寺・生活者ネットワーク」http://kokubunji.seikatsusha.me/という政治団体の設立メンバーです。今は、ワーカーズ・コレクティブとして事務局の仕事を業務受託しています。

「国分寺地下水の会」http://coconblend.com/hakesympo/03discussion.htmも設立メンバーです。国分寺市に湧水があって、野川がそこから始まっています。その上にマンションが建つという問題があって、その反対運動で市民が建設差し止めの訴訟を起こしまして、最終的に和解という形になり、マンションは建設されました。そのメンバーが集まって「国分寺名水と歴史景観を守る会」http://meisui-keikan.blogspot.jp/を発足しました。

 

「わらべ歌と絵本お楽しみ会」を自分のこどもが3歳前の頃から続けています。3・11原発事故以降は「ByeBye原発国分寺の会」https://twitter.com/byebyebunji?lang=jaをつくって、学習会をやったりひと月に一回駅前でビラを配ったりしています。安保法制問題以降は、市民連合@国分寺https://www.facebook.com/shiminrengo.kokubunji/というのを超党派の人達で作っています。メンバーは9条の会や新婦人の会や生活者ネットワークの人が中心です。安保法制反対運動や憲法改正反対3000万人署名活動をやっています。

 

4.「文化知創造ネットワークの呼びかけ」および「文化知の提案」を読んで

 

――自己紹介ありがとうございます。ここから質疑応答に入りたいと思います。まず、「呼びかけ」文と「文化知の提案」文を読まれての感想をお聞かせください。

 

藤木:まず何をやりたいのか、いま一つよく理解できなかった。英語で発信すると書いてありますが、日本における社会運動を世界に向けて発信するということと理解していいのですか。

 

――そうですね。

 

藤木:世界での連携というのはすごく大事なことだと思います。ただ、あの文章を読んで、「わかりました。一緒にやりましょう」という人は少ないのではないか、というのが正直な感想です。もう少し柔らかい文章が必要ではないでしょうか。具体的な活動項目を箇条書きにしてみるというのも一つだと思います。

 

ただ、こういう組織を作ってやっていこうというのは、面白いなとは思いました。特に後の質問項目にもありますが、原発の問題ですね。ドイツで原発をどうするかという議論をした際に、科学者だけでなく、哲学者も入って議論する審査会があるというのを読んで、さすがだなと感じました。科学的なこととか安全の問題とかばかり日本では議論しているけど、人間としてどうなのかという視点から検証するというのは、日本でもやるべきだと思います。そういうことにもあなた方の活動が影響を与えるのではないですか。

 

――わたしたちは文化というものを通常よりも広く捉えようとしています。生活様式や社会のあり方全般を文化として把握しようということです。そういう視点からみると生活クラブ生協の活動も文化だということになるわけです。そのような文化を理解する方法としてマルクスの価値形態論における形態規定の論理を使おうということなんですが、これを簡単に説明するのはなかなか難しいというのが、正直なところです。

 

藤木:学習会とか討論の場を設けていただくといいのではないですか。一度会って話をするというのがいいのでは。

 

――ネットワーク活動として理事長の境を呼んでもらって話をするということなので、今後検討して企画してみたいと思います。

 

5.現在の科学知について

 

――次の質問に移ります。現在の科学知についてはどのようにお考えでしょうか。

 

藤木:行き過ぎの部分があると思います。たとえば、遺伝子組み換えやゲノム編集の問題ですね。特にゲノム編集は遺伝子をちょっといじれば自然に変わっていくというもので、安くできるから中小企業もやりやすく、非常に危険だと思います。遺伝子組み換えに積極的に取り組むモンサント社の広告では、それは一見いいことのように、つまりみんなが飢えないように食料を大量生産できるからだ、というわけです。確かにおなかは一杯になるかもしれませんが、どういう影響が体にあるかわからない。それは行き過ぎではないでしょうか。そういう意味では科学の発展の横に哲学があるべきではないかと思うんですね。

 

――科学者本人たちは価値中立的だとおもっているんでしょう。善か悪か、ではなく、真か偽かという問題だと。科学や技術が成立する、あるいは必要とされる社会的背景を無視しているのでしょう。

 

藤木:NHKで核開発の過程をとらえた番組がありました。それを見ると核兵器がどのように使われるのか、あるいはどのような被害が出るのかということよりも、上手く兵器として作っていく過程の方に集中している。使用に関しては政治の判断だから自分たちは関係ないと言っています。そこが問題だと思います。

 

現在の安倍政権が大学から文学部をなくそうとしているじゃないですか。これはとんでもないことだと思います。文学などを学んでも生きていくうえで役立たないというわけですね。役立たなそうだという判断を安易に下すというのは、何なんだろうなと。理系でもなかなか資金的に厳しいみたいですね。山中先生がマラソンを走ってみたり。

 

もっと教育と福祉にお金を回さないといけないのではと思います。福祉の現場でも収入が低い。保育や介護などは本当に安い。

 

――生活クラブ生協ではいわゆる「種子法」の廃止に対して何かアクションをしているんですか。

 

藤木:「種子を守る会」https://www.taneomamorukai.com/を作って、そこに生活クラブ生協は入っています。大きな生協、例えばコープみらいなどはほとんど関わってきません。彼らは単に安いスーパーみたいになってますね。私自身は「たねと食とひと@フォーラム」という団体の運営委員をやっています。これは遺伝子組み換え食品の表示を求めたり、問題を知ってもらうという運動です。

 

遺伝子組み換えには2種類あって、一つは農薬(ラウンドアップ)を撒いても枯れないというもので、たくさん農薬がかかっているものを食べてしまっている。もうひとつは、虫がつかないというもので、それはどうしてかというと、虫が食べると虫の胃が破裂するという。

 

――それって恐ろしくないですか。

 

藤木:そうです。人間が食べて大丈夫だろうかと思う。実際その作物を一杯食べている地域ではアレルギーや胃腸炎を起こしている。食べるのをやめたら回復したそうです。これは『遺伝子組み換えルーレット』http://altertrade.jp/archives/11091という映画になっています。

 

このような現状は生産性とか収益とかを優先した結果だと思います。F1種の種つまり買わないといけない種の問題とか、農薬とセットになっている遺伝子組み換え種子などはみんなそのような発想からつくられています。

 

6.社会をどのように理解すべきか~人々の繋がりとしての社会

 

――次の質問です。社会というのはどういうものだとお考えですか。

 

藤木:いろいろなコミュニティーの重なり合い・繋がりの全体が社会だと。それは結局人間同士のつながりだから、もう少し繋がれるようなものにしていくべきだなと思っています。ところが価値観の違いというものがありますから、そこを突破できないかなと思います。

 

――自分たちがやっていることの価値観を広めるというのが難しいということですか?

 

藤木:それもありますけど、それぞれ自分の価値観がいいと思っているけど、私などそうなんですが、他の人から見たら相当変な人たちなわけですね。でも、思うことをやりつづけたいなと思います。

 

最近感じるのは、共謀罪をはじめとして規制の動きがあります。私も参加しているByeBye原発国分寺の会でこれまで「国分寺まつり」というイベントに参加していたんですが、2013年になって急に出店を拒否されたんです。その理由として、「政治にまつわるもの」は駄目だと言って、ByeBye原発国分寺の会と9条の会だけが出店拒否されたんです。そこで、反対運動を起こすとともに、東京弁護士会に人権侵害の申し立てをしました。当時、埼玉の公民館では9条に関する俳句が掲示されなかったという問題があって、あちこちで改憲反対の運動に施設を貸さないという動きが重なって起きた時期でした。こういう状態は恐ろしい社会だと思います。憲法改正は大問題ですね。

 

――安倍政権になってからあっという間にそのような情勢になりましたよね。

 

藤木:そうですね、凄いですよね。で、市民連合@国分寺では、衆議院の小選挙区は選挙で一人しか当選しないのだから統一候補を立てないとだめだということでいろいろやっているんですが、いろいろなことがあってなかなか進まない。上手くいくところといかないところがあるんです。

 

――境さんは「政治の基準を文化におく」と主張しているんですが、さきほど言われた「変な人」という話なんですが、最初は変な人として見られるけど、変なことをしている人が見ている人に影響を与えているわけですね。それで見ている人が「あれって変だけど何かいいんじゃない」という関係性が社会変容のありかたではないかということなんですね。パフォーマンスによる感染という観点なんです。

ただその一方で政治を文化が変えられるのかという意見があって、それにきちんと答えられるかというと簡単ではない。藤木さんは政治と生活との関係をどのように考えておられますか?

 

藤木:生活者ネットワークのスローガンのひとつに、「政治は生活の道具です」というのがあります。だから生活の根本は政治だと捉えています。あなたの生活は政治によって左右されますよ、といいたいですね。生活者ネットワークには設立の時からかかわっていますが、女性が議員になるということは今では当たり前ですが、そのような流れを先駆的に作ってきたと思います。ただ今の段階で何が問われるかというと、政治団体として何をやっていくのかということが問われていると思います。

 

今の若い人たちと話をすると、彼らは情報をSNSから得ているみたいですね。だからそういう場で情報発信しなければと思うんですが、やっているメンバーが中高年なので、みんなそういうことが不得意なんです(笑)。

 

7.現在行っている活動における困難・問題について

 

――そうですか(笑)。次の質問です。藤木さんが参加されている運動における困難についてお聞かせください。

 

藤木:いろいろありますね。まず、若い人が関わってこない。60代が中心ですね。50代で「若いね」と言われるんです。私自身は30代から関わっていますが、今の若い人たちは来ないですね。

 

――日本に特有な個人主義なんでしょうか。ヨーロッパでは個が確立していて外ではガンガンやるんだけど、日本では引きこもりではないですけど、外には行くんだけど付き合いが表面的だということでしょうか?

 

藤木:そうかもしれませんが、今の若い人ははっきり断るんですよ。私たちの世代は頼まれれば、じゃ行きます、参加しますというんですけど。そういうのはすごいなと思いますね。

 

勝手な考察をしているんですけど、小学校の時代の暖房って何でしたか?

 

――わたしは石油ストーブでした。

 

藤木:私はだるまストーブでした。石炭当番が順番に回ってきて、毎日石炭を運んできてました。子供たちがストーブの管理をしていたわけです。みんなで重い思いをしてやるというね。今はボタン一つで暖房がついてしまう。その辺の違いがあるんじゃないかと思います。私のような体験をしているのは、50代半ばまでだと思います。

 

やっぱり若い人に入ってきてほしいということと、継続性の問題があります。私たちはやれるところまでやりますけど、その後どうなるのかなという風に思います。

 

生活者ネットワークでも、議員報酬の一部を寄付してもらうんですね。本人が受け取るのは20万円です。寄付されたお金で事務所経費とか出していくわけです。ただ、税務上の本人の収入としては数十万円になっているわけだから、いろいろなものがその金額に応じてかかっていくわけです。たとえば保育園の費用とかですね。そのぶんの差額を埋め合わせしたりとかしています。昔はそれが当たり前という考えだったんですが、今は引き受けようとする人たちがそれはおかしいんじゃないのか、と言うんです。しかし、そのあり方にも、若い世代からは疑問の声が上がったりします。生活費が稼げるくらいではないとやらないということでしょうか。

 

ワーカーズ・コレクティブの中でも生協の配達・配送をやっているところはそこそこの年収(300万円以上)になるみたいです。

調査してみると100万円以内の人が多くて半分ぐらい、それは扶養の範囲内でということですね。本人自身がそんなに要らないということですね。だから、ワーカーズ・コレクティブだから稼げない、というわけではないです。ただ、事業の内容は営利企業がやりたがらないものなので、もともと収入がたくさん得られるというものではない、というのはあります。

 

家事援助や介護の分野のたすけあいワーカーズは、介護保険の始まる2000年以前に100団体ぐらいありました。当時は介護保険じゃないから、利用する方が支払うお金しか収入がない中で、たとえば一時間1000円でやったとしても、事務所経費などを引くと、本人の手取りは500円以下になってしまう。そんなんで続くのだろうかという議論がありました。

だけどこんなに高齢者が地域でどんどん増えていくのに、こんなことでいいんだろうかとワーカーズ・コレクティブ全国会議でも議論していました。後から国の制度として介護保険制度が出来て、ようやく国からまとまったお金が入るようになって、息を吹き返し事業を継続できるようになりました。

ワーカーズ・コレクティブは地域の自分たちのニーズに応えようとしているため、つねに先端をいっているので、制度は後からついてくるという感じです。社会的事業所の取り組みもそうですね。だから社会運動を事業としてやっていくということは苦しい。だから互いに連携してモチベーションをあげながら何とか継続して、社会の仕組みを変えてやりやすいものに変えていく流れを作り出せればいいなと思います。

 

――藤木さんがこれまでやってきた活動がネットワークづくりですよね。共同連との連携とか。共生型経済推進フォーラムが出した『誰も切らない、分けない経済――時代を変える社会的経済』(同時代社、2009年)のなかで、近畿労働金庫の法橋聡さんが「社会的企業とこれを支える社会的金融」という文章がありました。それを読んで思ったんですが、モンドラゴン協同組合が成功した秘訣は、教育と金融のネットワークが下支えしていた側面があると思うんですね。生活クラブ生協とかワーカーズ・コレクティブにおける金融機関との連携というのは、どういうものがありますか?

 

藤木:ワーカーズ・コレクティブの初期の頃は、労金からお金を借りられたんですね。生活クラブ生協の預金を担保に、連帯保証人になってもらっていました。そのうち、どうもワーカーズコレクティブの人たちは労働者ではなくて経営者ではないのか、と行政側から言われるようになりました。労金の対象ではない、という厚労省から指導が入ったらしく、借りられなくなりました。その後は、生活クラブ生協の組合員が設立したNPOバンク「東京コミュニティパワーバンク」がありまして、そこから借りています。

それともう一つ東京ワーカーズ・コレクティブ協同組合で共済会を作っていて、そこでプールした資金の中から借りることもできます。それから、私が理事長の時に「東京ワーカーズ・コレクティブ支援基金」という制度を作って、これは財源は寄付なんですが、これは貸すのではなくて、上限10万円であげてしまうということです。小さな規模ではありますが、以上のような金融のネットワークがあります。

 

――城南信用金庫のような良心的な信用金庫との関係はどうですか?

 

藤木:個別にはあるかもしれません。

 

――これまでお話しされた困難や問題を解決する方法として文化知は有効でしょうか?

 

藤木:有効だと思います。別の方法で解決するというか、文化知も必要でしょうし、色々なものも必要でしょうね。で、文化知という場合、このように提案されるまであまりそういうことを考えないできましたよね。でも言われてみれば、私たちのこれまでの活動も文化として捉えることできます。たとえば先の金融の例で言えば、寄付の文化を拡げようとして、そういう仕組みを作ってきました。文化として拡げようということを意識すれば、大分変っていけるのではないでしょうか。ただ文化知で具体的にどうするのかというのが、はっきり見えてこないというのはありますけど。

 

――生活様式全般を文化として捉えて、そのあり方を変えていこうとする知を作っていこうというのが文化知ですが、それ以上はまだ具体化されていません。今後の課題です。

 

藤木:生活クラブ生協の最初の頃のスローガンも「生き方を変える」というものでした。

 

――そのような活動で得られた知見も文化知の一つだと思います。協同組合学会などが典型的な例だと思います。若い人が参加してこないという問題を解決する方法について、どのような議論がありますか?

 

藤木:大学でのインターシップを利用して現場を知ってもらうというようなことをしています。また、私も明治大学農学部で7コマ講義を担当させていただいて、そこで地域課題を解決するプランをみんなで考えましょうという内容に取り組んだりしています。そういう機会をたくさんもってもらうしかないかなと思っています。今すぐにという話ではなくて、何年か後にあんな話を聞いたな、とその人が行き詰ったときに思い出してくれたらいいなと。

 

――ワーカーズ・コレクティブは結構広がってきていると思っているんですが、現状は頭打ちみたいな感じなんですか?

 

藤木:東京では頭打ちですね。東京ワーカーズ・コレクティブ協同組合に加盟している団体数でいうとこの15年位あまり変わっていません。全国的にもそんなには増えていません。というのも生協が母体で生協の組合員を中心としてやっているという形から脱却できない。生協運動自体が弱くなってきていて、生活クラブ生協でも買い物が出来ればいいという感じになってきています。昔みたいに班があって班会があってというのではなく、ほとんどが個別配送です。あとはデポ(小規模店舗)で買う。班というのはほとんどなくなっています。だから今は協同組合員意識というのはほとんどないですね。

 

――そうですか。以上で質問を終わります。今日は取材に協力していただいてありがとうございました。            

                                     

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