一般社団法人 文化知普及協会
The association for diffusing cultural wisdom,a general corporation aggregate
循環型コミュニティーにトライ―鴨川から 田中正治(ネッワーク農縁・新庄水田トラスト世話人、安房マネー運営委員)
鴨川自然王国・1968年世代
半農半X・団塊ジュニア
地域通貨・安房マネー
いくつかのプロジェクト
awanova
里山生活お助け隊
NPOうず
地元の人と移住者のコンビネーション
大山千枚田
長老と若者
産業廃棄物最終処分場建設計画反対運動
平塚地区活性化協議会
巨大風力発電建設計画反対運動
大山支援村
鴨川九条の会
大山村塾
農村共同体と新しいコミュニティーの創造
ローカリズムの限界と二面作戦
小規模分散的な循環型コミュニティーの夢
ショックドクトリン
連帯経済
省エネ発電と太陽光エネルギー発電
バイオ工業金融・財政危機と地域通貨
コラボレーションとシェア
文責:田中正治 masa-fly@sirius.ocn.ne.jp
連絡先:04-7098-0350 鴨川市平塚2502
http://suidentrust.webcrow.jp/新庄水田トラスト
循環型コミュニティーにトライ―鴨川から
鴨川自然王国・1968年世代
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/tokiko_fujimoto.html
1996年、低周波振動症候群と呼ばれる症状に僕は悩まされていた。今では大分知られるようになったが、低周波振動というのは冷蔵庫などのブーンという振動波で、神経系、免疫系、ホルモン系が撹乱され、頭痛や吐き気、不眠や神経不安定などに陥ってしまうのである。こうなると防波堤が決壊したような感じで、電磁波障害にも弱くなってしまった。パソコンの音だけでなく、発生する電磁波にも耐えられなくなってしまう。
http://www.k-sizenohkoku.com/tt/tt_ronbun_tanaka/tt_tanaka_denjiha_j.htm
こうして、低周波振動と電磁波障害から逃れるため、1996年―97年の間に5度引越しを繰り返し、ガレージを要塞のようにして暮らしたり、海岸の洞窟に住んだりもした。度重なる引越しで蓄えも底をついていた。音のない世界へ行きたい!と心は叫んでいた。
その時、ふと想い浮かんだのが、千葉の鴨川だった。藤本敏夫が鴨川の山中で農業をしていたのを思いだしたのだ。思い立ったが吉日と藤本に電話した。「明日そちらに行くよ」というと、ちょっと驚いた様子だったが、「いいよ」とのこと、次の日、鴨川にいった。事情を話すと、鴨川自然王国の事務局を担当してくれということになった。1998年の秋のことだった。
もっとも、1997年に僕は「農の21世紀システム」という小論を書き、その中で、エコロジー、太陽エネルギー経済、循環型社会、再生可能エネルギー、農村コミュニティー、地域通貨などについて構想していたので、鴨川自然王国のことが想い浮かんだのも偶然ではないのかもしれない。
http://www.k-sizenohkoku.com/tt/tt_ronbun_tanaka/tt_tanaka_nou21.html
鴨川自然王国は1980年代初頭、鴨川の山間地の農家10数名と共に「にわとりクラブ」というグループから出発。無農薬野菜と平飼い有精卵を都市会員に届け、「百姓親戚づきあい」と称する産消提携グループから始まり「鴨川自然生態農場」そして「農事組合法人・鴨川自然王国」へとウイングを広げていった。
その理念は「食料も環境も健康も、そしてレジャーも農業を分母として考えれば、全てイコールで結ばれて、総合的な持久戦の図式が浮かび」上がってくるというものだった。(「現代有機農業心得」)。http://www.k-sizenohkoku.com/
「持久戦」というあたりが68年世代らしい。藤本敏夫は1960年代、反帝全学連委員長であったが、1968年、防衛庁闘争の責任者として逮捕・拘留。その間に起こった共産主義者同盟内党内闘争・内ゲバのなかに運動の破産を直感したのか、戦線から離脱した。挫折・長い思索・投獄。出獄後、藤本は「大地を守る会」を設立するが、都会の消費者エゴに悩まされ、自らも生産者になりたいと思い、学生時代からの夢であった「共同体」を求めて房総半島の山間部に移住した。
1970年代に入って、68年世代の活動家達は赤軍派のように武装闘争に進んだグループ、内ゲバに生死をかけるグループ、三里塚闘争、ウーマンリブ・フェミニズム運動、反原発闘争、コンミューン運動、環境運動、有機農業運動など「新しい社会運動」に活路を見出そうとした人々に分岐していった。68年は社会運動のビッグバンであった。一方では、社会革命のために国家権力奪取を目指す武装闘争・軍事行動の出発点であり、他方では、「新しい社会運動」の出発点であった。
1970ー80年代も続く資本主義の高度成長は、資本、国家、共同体の再編と結合を完成させると同時に、人々の生活と社会の物資的基盤を驚くほど“豊か”にし、知的・教育水準を高め、階級を成熟させた。その結果、武力対立の条件を衰退させていった。
1968年の「革命運動」は、「敗北」した。しかし、武力闘争を衰退させた同じ条件である資本、国家、共同体の再編・完成、豊かな社会、階級の成熟そのものが、同時に「新しい社会運動」の土壌になっていたのである。資本に対抗的なオルタナティブな「新しい社会運動」が、左翼の政治闘争とは別に、社会革命の要求を掲げて登場してきたのである。
「敗北」後、共同体を求めた人達は農山村に散っていった。例えば山岸会に入っていった元全共闘の人も多くいたようだ。オーム事件の後、2度山岸会共同体(三重県にあるヤマギシイズム実顕地)を訪問したが、その時僕の案内をしてくれた人は、立命館大元全共闘の活動家だった。山岸会共同体内部では貨幣は用いられず、協働労働、共同分配で、食料、住居、衣服類は過不足ないように見えた。3000名くらいが暮らしていて、中高校生は田んぼの管理、大人は畑や鶏・牛などの管理、農畜産加工品製造に携わっている。共同レストランではとても美味しい豊な食事が提供されていた。住居は2DKのマンション群が林立していて、ちょっとした驚きだった。
農畜産物や加工品は、山岸会の会員だけでなく、トラックでの全国販売網を確立しているようだった。http://www.koufukukai.com/
仕事の始まりと終わりには、グループ毎のミーティングが行われていた。毎日こんなことをやるのか、大変だな~と思ってしまったが、外部から推し量れないことも多々あるようだ。山岸会共同体に参加する時には、2年間の特別講習修了後、合意によって財産を共同体に提供する。又、農畜産物や加工品は、トラックでの全国販売活動による収益を得るので、共同体内部の経済は豊に成り立っていた感じがした。無償労働だが、共同体内部では一切の生活費は保証されるようだ。ある種の循環型社会が成立しているように見えた。
藤本敏夫も山岸会とは親しく付き合っていた。彼は言う。「共同体というのは、その内部では生命連鎖が基本にあるわけで、それは食物連鎖、つまり農的生活なしには成り立たない。共同体の中では、人間と社会と自然というトータルな生命の流れがある。ですから、あえて共同体というのは生命連鎖であるといってもよいのではないかと思います。あるいは生命のつながりがスムーズに流れている状態のことを共同体と呼ぶのかもしれない」(「農的幸福論」)。この考えは山岸会共同体内部では実現されていたように思えた。
でも、山岸会のような原理的で「閉じられた共同体」は藤本の体質に合わなかったに違いない。もっとゆるく、オープンで出入り自由な関係が、彼は好きだったように思う。1998年秋、僕が自然王国の事務局を担当したあたりから、棚田トラスト、大豆畑トラスト、果樹園トラストを始めたが、それは都市の人達が田んぼや畑や果樹園に出資をし、都市会員との協働作業で楽しみながら運営していたものだ。月一回の農作業の夜は酒盛りで、世代間を越えた飲みニケーションが行われていて、実におおらかなものだった。年5回の帰農塾も始めた。4泊5日で、生き方に悩む都会の人達が、ディスカッションや講座や農作業を通して、帰農や田舎暮らしや人生のあり方を考える場で、そこは時代を反映した興味深い空間だった。共同体というよりは、鴨川自然王国は出入り自由なエコビレッジという感じだ。
2002年、藤本俊夫は肝臓ガンで死去。現在は藤本博正と歌手のYae夫妻が鴨川自然王国を引き継ぎ、加藤登紀子がサポートしている。http://ameblo.jp/tokiko-kato/
1968年世代で、鴨川に移住してきたのは藤本だけではない。活動家や共同体志向の10数名が移住していた。農業の素人なので、彼らは当初、協働で田植えや稲刈りをするが、夜になると喧々諤々の論争をし、結局、相互の協力関係を作れなかったと伝え聞く。
でも現在では、彼らは、写真家、マクロビオティック料理人、和綿研究家、ミュージシャン、画家、有機農業者、パン職人、陶芸家として、立派に自立し、専門家としても社会に影響を与えている。
田んぼや畑を耕しながら自分の専門職をまっとうしている点で、彼らは半農半Xのはしりだった。1970年代~80年初頭の人達が第1期移住者とすれば、1990年代後半から現在まで続く移住は、第2期移住の波といえよう。
半農半X・団塊ジュニア
1968年の「革命運動」は、敗北した。しかし、それは1970年以降の「新しい社会運動」へのビッグバンとなり、武力闘争を衰退させた同じ条件である資本、国家、共同体の再編・完成、豊かな社会、階級の成熟そのものが、同時に「新しい社会運動」の土壌になったと述べた。60年世代活動家達の多くは政治権力に対する闘いから、社会的権力との闘争にシフトしていった。だが1990年前後のソ連圏の崩壊は、1968年ビッグバンのエネルギーをブラックホールに吸い込んだかに見えた。
団塊のジュニアたちが見たのは、ベルリンの壁崩壊と「ソ連社会主義」の瓦解だった。「大きな物語」の瓦解だった。バブルの崩壊が、それに追い討ちをかけた。狂乱の後の急降下のなかで、団塊ジュニア達は氷河期世代、ロストゼネレーションと呼ばれた。大企業や銀行、国家や組織に裏切られ、もはや、自分と家族、友人と仲間との魂の共振しか信じられない世代が登場した。
大量生産、大量消費、大量廃棄による経済高度成長は最早ないと感じ、金金金の価値観にうんざりしたこの世代が恋をし、子どもを授かる時、都会からの脱出が起こっているのだ。60年代世代が社会思想と共に青春したとすれば、団塊ジュニア世代はアートとロックで大人になった。60年代世代の活動家たちがマルクスの思想に大きく影響を受けたとすれば、脱出してくる団塊ジュニア世代の多くは「精神世界」に強い影響を受けているようだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9
やはり人間は、前頭葉が肥大化した生物になったせいか、意識的であれ無意識的であれ、何らかの宇宙観、生命感、歴史観、精神のよりどころなしには生きにくい動物らしい。
この社会では、貨幣と商品を媒介して、人は他人との社会的関係を結ぶ。人間と人間との関係は、貨幣と商品との関係として現象する。「万能の神(貨幣)」が人間の脳髄を支配してしまっているかに見える。移住してきた若者達はその現実に対してどう対処しているのだろうか。2つの対抗策を見出しているようだ。
生き方としての半農半X
1つは半農半X的ライフスタイル、もうひとつは地域通貨だ。
”半農半X”が、若者達の間で静かに流行し、バブル崩壊以降の流れになっている。
”半農半X”の言い出しっぺ・塩見直紀さんによれば、”半農半X”とは、「一人一人が天の意に沿う持続可能な小さな暮らし(農的生活、シンプルな暮らし方、自給自足なくらし)をベースに天与の才(X=使命、ミッション、役割)を世のために活かし、社会的使命を実践、発信し、全うしていく生きかた」である。ちょっと重いかなという感じはするが、提唱者の心意気が伝わってくる。http://www.satoyama.gr.jp
塩見直紀さんの姿を思い浮かべながら、僕の住んでいる千葉県・鴨川 の近場を見回してみても、結構そんな知人・友人の姿が見えてくる。
地域通貨・安房マネーの提唱者・林夫妻は、半農半アースアーティスト。アメリカ、アジア、ヨーロッパを旅した後、最終的に鴨川の古民家に移住。 現在、イラスト製作や農的生活の提案などを行なっている。NPO法人うず理事長で地域通貨・ 安房マネー運営委員。
最近では講演依頼も多くなっているようだ。
http://www.awa.or.jp/home/awamoney http://www.awa.or.jp/home/oneness/
故・藤本敏夫さんと加藤登紀子さんの次女・Yaeさんは、半農半歌手。癒し系だった彼女は、3・11以降脱原発の運動に積極的にコミットしている。Yaeさんと結婚した博正君は、半農半麻の途上だ。彼は「今こそ医療大麻だ、福島原発が収束する様子もない現在、最も懸念されるのが、人々の健康だろう。白血病、各種がんなど、何年後かには多発するのは、チェルノブイリのデータからも明らか。そんな中、米国立がんセンターがマリファナ成分が、がんに対する薬効があることを正式に認めた」という。1haの水田と1haの畑を耕作・管理している。http://www.k-sizenohkoku.com/tt_top.html
ご近所の杉山さんは、半農半陶芸家。1ha(3000坪)の水田を管理運営しながら、登り窯を持つ芸術家。といっても最近は陶芸家か百姓かわからなくなってきたよという。
工房や登り窯、宿泊所やcaféを手作り。移住者の住居の斡旋もしている。http://www7.ocn.ne.jp/~sasaya/kamamoto.html
ヘジナウドさんとさとみ夫妻は、半農半ジャーナリスト。ヘジナウドさんは日系ブラジル人で有機専業農家志望で養蜂家でもある。さとみさんはブラジルからの情報と日本からの情報を相互に発信している。長年ブラジルのスラムの人達を支援していた縁でジャーリストとして仕事をしている。最近家を新築し、馬も飼っている。http://globalpeace.jp/
桑原さんは、半農半養蜂家。5年ほど前に移住してきた頃は、IT系の社員だったが、自然豊な環境とのギャップを感じたのか退職。蜜蜂に出会い養蜂家に。輸入蜂蜜が市場を独占する中で、里山の天然蜂蜜を提供している。サーファーなので海の近くに引っ越した。
ごくごく近所のクリスとエリ夫妻は、半農半翻訳家と半農半ベリーダンサー。
クリスはメカに強く太陽光発電を手作りして、PCなどのエネルギー自給を楽しんでいる。また独自のOSを開発したりもする。エリちゃんは好きで始めたベリーダンスが本業になり、教室を開き、人気を呼んでいる。http://elli.harrington.jp/
近くの山の中にベースを持っているアートガーデン・コヅカの主催は画家の宮下さん。彼は半農半アーティスト。パートナーはパン職人。南房総、金束地区、アートガーデン・コヅカの自然を活かした「人と自然をつなぐ」ワークショップを開催している。アート、 ネイチャー、音楽、フード、里山整備など、その内容は多岐にわたるが、参加する人が自分のリズムで自然と向きあう嗜好だ。http://ag-kozuka.net/index_workshop.htm
毎年8月の1週間“人と地域と自然をつなぐアートの祭典”を開催。楽しいイベントだった。http://ag-kozuka.net/
最近「鴨川九条の会」を立ち上げた今西さんは、半農半活動家?。長らく半農半畜産労働者だったが、本当に自分のやりたいことを探すと退職。仲間と「里山お助け隊」を立ち上げた。老人が多い里山での困りごとを解決する仕事をしている。3・11以降は脱原発の行動に忙しく活動家になりつつある。
僕のパートナー・阿部さんは、ネットワーク農縁と新庄水田トラスト事務局担当で、遺伝子組み換えNO!お米の産消提携を進めている半農半コーディネーター。http://www.nurs.or.jp/~suiden/ http://www.nurs.or.jp/~suiden/
僕は遊学の森トラストとコミュニティートレードの代表で、半農半ネットワーカーというところか。http://yuugakunomori.hp.infoseek.co.jp/
それぞれ皆、何がしかの田んぼや畑を借り、耕している。顔の見える信頼のネットワークを作って、市場経済の主流とは別にバイパスを作る、そのバイパスに自分の商品を提供する、お金は後からついてくるという流れの中でサバイバルな生活を送っている。
もう一つの豊かさ、もう一つの生きかたを、人々は摸索しているように見える。大量物質主義、マネー支配・競争社会にうんざりした若者達の中から、半農半Xの地下水がほとばしり始めている。人々の確かな連なり、お互いの助け合い、信頼のネットワークを求めて。
でも、農山漁村にくればHappy!というものでもない。工業型の価値観の転換、X=自分独自の価値観と夢、それに生きる技術とネットワークを持ってくることが、おもしろい人たちと連なるポイントだ。農山村は、創造的価値とユニークな人間と事業の協同をベースにした、斬新な文化コミュニティー創造の場でありたい。”半農半X”が、そのキーワードのひとつになっている。
地域通貨・安房マネー http://awamoney.net/
地域通貨は任意の「通貨」で、通帳型と紙幣型がある。安房マネーは通帳型を採用していて、メーリングリストを中心に情報交換がなされる。例えば中古の自動車がほしい時に、メーリングリストにgive me情報として、条件を付け中古車の提供を呼びかける。取引する人はDMでコンタクト。契約が成立すれば、お互い通帳に+-を記載する。そして、メーリングリスト上にその旨報告する、そうしたやり方だ。移住者はまずこの地域通貨・安房マネーに参加する人が多い。
なぜなら、登録し、メーリングリストに参加するとイベント情報などが交換され、
すぐ仲間を見つけることが出来るからだ。いらなくなった子供服や中古の家電、裏山の木の伐採や草刈、田んぼの耕起や草取り、米や野菜、醤油や味噌、塩やケーキ、車での送り迎え、中古CDや古本などの取引など、何でもありの世界だ。地域通貨だけの取引換もよし、地域通貨+現金での取引でもOKだ。交換レートは自主的にお互い相対で決める。利子はつかない。国家通貨とは交換できない。
鴨川、三芳、館山など安房地域で2002年「地域通貨・安房マネー」が立ち上がった。
安房マネーはLETSシステムといわれ、直訳すれば地域エネルギー交換の仕組みということになる。現在会員数は約180家族(約350人)で、地域での物や情報、活動やアイディアの循環システムの道具となっている。物々交換は、例えばAさんが、リンゴとみかんを交換したい、逆にBさんはみかんとリンゴを交換したい、場合のみ取引は成立する。だが、地域通貨では、Aさんがリンゴが欲しい場合、MLで会員に呼びかけてリンゴを提供するBさんがいれば、Aさんは例えばー500地域通貨を通帳に記載し、Bさんは+500地域通貨を通帳に記載すれば取引は成立たことになる。つまり地域通貨共同体内の信頼の取引なのだ。
実際最も使われているのは情報発信で、コミュニケーションツールとして最も役立っているように思う。物の交換となると、全く顔の見えない人との取引は敷居が高いようで、顔の見える人との交換が多いようだ。従って、単にメーリングリストでの情報交換だけでなく、顔の見える関係作りが重要となる。会員の交流会を開催し、そこで交換したい物や情報や食べものなどをお互いに持ち込み、安房マネーを使えるといった場が鍵となる。そこで親しくなれば、直接的な取引は気軽になってくる。レストランやcaféも数軒参加しているので、日常生活での巾が広がる。
金融危機や国家財政破綻などの連鎖が世界で起これば、世界基軸通貨・ドルが力を失い無基軸通貨時代が来る可能性が高いと思われる。その時、地域循環システムとしての地域通貨が果たす役割は変化するだろう。
いくつかのプロジェクト
awanova http://awanova.jugem.jp/
地域通貨・安房マネー自体は物や情報の交換システムなので、そこからプロジェクトを立ち上げることはない。だが、安房マネー会員が独自でプロジェクトを立ち上げることがある。例えばawanova。2010年だが、以前、鴨川自然王国が借りていた食品加工場を安房マネー会員の女性3人が借り、オーガニックマーケット&caféをやりたいと提案すると、仲間が集まってあっという間に改装。素敵なcafé が出来上がった。現在月1回新月の日にオーガニックマーケット&caféを開いている。オーガニック食品の量り売りや、手作りお菓子やパン、有機野菜やお米、味噌や醤油や菜種油、コーヒーやランチなどなど、安房マネー会員の出店が多いようだ。
お昼前後に集まってきて、情報交換や雑談に花を咲かせている。最近では遠くから来る人やご近所のおばさんたちもなじみ客になってきている。こういう溜まり場ってとても大切。
里山生活お助け隊
鴨川も例に漏れず高齢化が進み、独居老人が増えている。都会へ出て行った息子や娘達はもう帰ってこない。いずこも似た農山村風景だ。年をとると庭の草刈や裏山の伐採、屋根の雨漏りや窓ガラスの破損もお手上げになってくる。車が運転出来なければ買い物も悩みの種になる。公的福祉が対応できる範囲は限られている。そこで何とかせねばと安房マネー会員が考え出したのが「里山生活お助け隊」。従来ボランティアで行われていた援助を、持続可能な地域事業としてやろうというわけ。現在隊員は20名。隊員は個人事業者として登録し、メーリングリストで情報交換しながら、仕事を請け負っていく。早く言えば「便利屋」だが、地域社会が抱えている問題を解決していくことを事業とする点で、地域問題解決事業といえよう。基準は自給\1000だが、相対で価格は決定できる。少しずつ信用が出来てきて仕事も増えてきている。
NPOうず http://earthschool.awanowa.jp/
NPOうずでは理事長の林良樹さん(安房マネー設立者)が中心となって、鴨川地球生活楽校を毎月1回開催している。2012年5月は「フードフォーレスト」(食べられる森)がテーマで、まずは「キッチンガーデン」。庭先で多品種の野菜を育てると同時に土を育て、庭で森の多様性を再現する。6月は、「トイレ革命」がテーマ。コンポストトイレでうんこやおしっこをし、その資源をコンポストステーションに1年入れ発酵させ、もう1年じっくり寝かせて堆肥にする。その肥料を畑にまき、肥沃な土をつくり、野菜や果樹を育て、その実りを収穫し、食べる。
7月は「水」がテーマで、コンポストステーションの屋根に雨樋を付け、雨水タンクを設置し、雨水利用をすることと母屋の裏にある井戸を復活させ、スローサンドフィルターを通して自然浄化し、飲み水を自給するシステムを作った。
9月のテーマは「太陽光発電装置づくり」で太陽光発電の普及事業を展開する「藤野電気」の方を講師とした講座を持った。その後、太陽熱温水器作り、ロケットストーブ作りも計画している。
地元の人と移住者とのコンビネーション
大山千枚田 http://www.senmaida.com/about_senmaida/index.php
では移住者達は、地元の人達とどういう関係を結んできたのだろうか。
鴨川の山間部に「大山千枚田」がある。日本棚田百選にも選ばれた「大山千枚田」は四季折々の変化が美しく人気の棚田で、秋のイベント(棚田の夜祭)には数千名が都会からやって来る。都市会員が年間¥30000で約300坪の棚田のオーナーになれるシステムだ。
都市会員は地元農家の棚田のオーナーになるが、米の栽培は素人だろうから地元農家
に指導してもらう。地元農家は年会費\30000の内、地代、指導料、日常管理費などで約半分を受け取る仕組みだ。ベテラン会員の中からは移住者も出てきている。
大山千枚田の理事長・石田三示は、鴨川自然王国設立時の若手理事で藤本敏夫の思想に共鳴したせいか、都市と農山村の間に薫風を巻き起こしていた。棚田オーナー制だけでなく、大豆畑トラスト、棚田トラスト、酒造りオーナー制、家作り体験塾、綿藍トラスト、棚田の夜祭など人気企画をヒットさせている。こうした人間の相互交流を通して、都市と農山村の価値観も相互交流を始める。
長老と若者
千枚田の近くに釜沼という部落がある。林夫妻が移住したところだ。20軒くらいの部落だが、60歳以下の人はほとんどいない。いわゆる限界集落と呼ばれている。長老4人は80歳代だが元気に炭焼きなどもやり、若者の移住を歓迎している。もう息子や娘が帰ってこないことははっきりしているので、都会から移住してくる若者を息子や娘と思って歓迎しているのかもしれない。長老達は、村落共同体が生きていて自給自足していた戦前生まれのせいか、金銭にこだわらない。他方、移住してくる若者達は都市の物質文明と金金金の価値観にうんざりしているのでお互い意外と気が合っているようだ。金銭を超えた人間的な交流が始まっている。現在、釜沼地区の棚田オーナー制は地元農家と移住者が協力して運営している。
産業廃棄物最終処分場建設計画反対運動
2004年、僕たち夫婦は西畑地区に終の棲家を見つけた。驚いたことに1000m離れたところに産業廃棄物最終処分場計画が持ち上がっていた。すでに部落の約半分の人達は反対していた。「ふるさとを愛する会」が立ち上がっていて署名運動が始まっていた。僕たちも参加。業者側(といっても地元の神主だが)が開く説明会に、地元の人と移住者が一緒に押しかけ、事実上の抗議集会にしてしまった。その後、水質検査や監視活動などで共に行動し、結局建設計画は頓挫した。うわべだけの付き合いでなく、こうした共同行動による信頼関係の重要性を感じた。
平塚地区活性化協議会
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.444077912318185.103092.146900772035902&type=3
2009年、僕たちが住んでいる平塚地区で元農業改良普及員をしていた団塊世代の人が、平塚地区活性化協議会を立ち上げた。僕たちも参加。地元農家と移住者が一緒になって、都市農村交流の企画をし、もはや創造力を失ったかに見える部落(村落共同体)から独立した動きをつくろうとしているように見える。米、麦、蕎麦、そら豆、菜花の栽培をしたり、農家のおばあちゃんが作る味噌、漬物、佃煮、野菜、果樹、お菓子を朝市で売ったりしている。加藤登紀子も参加して収穫祭が盛大に行われ少しずつ地域に認知されてきているようだ。
巨大風力発電建設計画反対運動 http://bunka-isan.awa.jp/News/item.htm?iid=289
2009年、鴨川の嶺岡山系の頂上に7基の巨大風力発電建設計画が持ち上がった。そこは活断層地帯であり、巨大構造物を建設するのはあまりにも危険だった。それに最大の問題は巨大風車が巻き起こす低周波振動で、人間の神経や免疫、ホルモン系を撹乱し、居住不可能になっているケースが全国で多々見られる。僕は低周波振動症候群と電磁波障害が続いていたので、これは許せない。「平久里・嶺岡の風力発電を考える会」(代表・加藤登紀子)を移住者を中心に結成した。そして、地元住民に署名活動を開始しながら、すでに土地貸しを承諾した人達に説得活動をし、部落での集会なども行われた。その結果、数名の地主が承諾書を撤回、計画は頓挫した。移住者が先行馬になり地元民がそれに乗るというケースだった。
大山支援村 http://hinansho.awanowa.jp/
2011年3・11東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故に誰もが激しい衝撃を受けた。鴨川では3・11の前から福島県・飯館村と交流があった。飯館村は「までい」をキーワードに美しい自然との共生、地域循環のシステムを模索していた。
だから、3・11が起こるや安房マネーの有志を中心に、飯館村支援体制が始まった。
廃校になった元小学校跡地を拠点に、受け入れ態勢がとられた。食料や寝具、衣類など必要と思われる物資が地元住民からも続々と持ち込まれた。飯館村への訪問の後、飯館村から村民がこられた。夏休みには飯館村の子ども達が雛をかねて交流に訪れたりした。
鴨川九条の会http://www.naibuhibaku-ikinuku.com/
曽呂地区の移住者たちの呼びかけで、2012年8月、鴨川にも九条の会が発足した。食べ物や水、空気からの内部被爆や福島第一原発4号機崩壊の心配など気の地が休まらない状態なのだが、東京での金曜首相官邸前抗議行動の影響は大きいようだ。設立集会には約30名が参加。映画「内部被爆を生き抜く」を上映し意見交換した。地元の人が20人、移住者が10人くらいの参加だった。原発問題でもこうして地元の人との接点が出来たのがうれしい。その後、映画やDVD上映会、討論やワークショップをして、戦争と平和、社会のあり方や自分の生き方について意見交換をはじめている。
大山村塾 http://oyamasonjuku.blogspot.jp/
2012年4月高野 孟を塾長とした「大山村塾」が発足した。「3・11以降、困ったときには“お上”が何とかしてくれるのが当然で、それを待つしか生きるすべがないという長年にわたる共同幻想は完膚なきまでに打ち砕かれた」「地域末端に生きる“下々”の者たちが、たとえささやかであっても自ら事を起こして、何ほどかましな世の中を造るために動き始めなければならない」これが出発点だった。
講師は、結城登美雄(民俗研究家)、甲斐良治(農分協編集次長)、鳩山由紀夫(元総理)、河野太郎(自民党衆議院議員)といった人達。2ヶ月に1回の講演会が行われている。
有名人が講師のせもあってか地元の人も多く100-200人が参加している。
大新聞やNHKからの情報が圧倒的に多い地元の住民にとってこうした生の情報や考えや講師と接することは大いなる刺激だと思う。
座会も2ヶ月に1回開催されている。映画「シェーナウの想い」上映会、「放射性残土は安房には要らない」、「鴨川の農業を考える」、「太陽光発電の作成ワークショップ」、「TPPってなんだ?」などがテーマで、毎回20人くらいで結構突っ込んだ意見交換をしている。
農村共同体と新しいコミュニティーの創造
1960年までの日本では、村落共同体が生きていた。人も食料も物資も文化も循環していた。農家に生まれれば農村で成長し、農家間で結婚していた。農業機械や化学肥料や農薬はごく例外的で、人糞主体の人力農業だった。家族総出で田植えや稲刈りをした。米の栽培・出荷だけでなんとかお金は足りていた。農協も生き生きしていた。村には数軒お店(雑貨屋)があって何でも売っていた。医者は一人いた。産婆も一人いた。葬儀屋も1軒あった。村祭りやお祝いは農業のリズムに沿って頻繁に行われていた。子ども達は学校から帰るとかばんを放り投げて、夕方まで遊びほうけていた。若者は青年団に、オヤジ達は村の寄り合いに、かあちゃんたちは婦人会に、じいちゃん、ばあちゃんたちは敬老会に参加していた。死は家族に看取られて訪れた。誰もが順繰りだった。
そこには「自由」という言葉はなかったが、まさに循環型コミュニティーだった。
1960年、小さな耕運機が農機具会社から持ち込まれた。農民は皆、目を輝かせて競うように買った。家族同様にされていた牛たちは、なぜか前日から悲しい鳴き声を上げ、売られていった。村に1頭の牛もいなくなった。そうして農薬と化学肥料が農協から売り込まれ、あの炎天下での草取りから解放された。
長男以外は都会に出て行かなければならなかった。農業機械と農薬、化学肥料によって次男や三男や四男や五男坊は自分の居場所を失った。「月収とりになりなさい」これが両親の言葉だった。都市の工場へ吸い取られていった。農業機械と農薬、化学肥料による近代農業は同時に貨幣経済農業だった。瞬く間に全ては金に換算された。次男や三男や四男や五男坊が去った農村に青年団は要らない。祭りや祝い事も魂を失っていった。機械化によって、田植えや稲刈りでの結い(相互扶助)は不必要になった。こうして1970年には、自給自足経済の崩壊と共に、村落共同体はエネルギーを失い空洞化していった。
都市に吸い取られた次男や三男や四男や五男坊を待っていたのは、企業の日本的経営だった。終身雇用性、年功序列制、企業内労働組合は擬似村落共同体の世界だった。
労働者達はこの擬似共同体の中で時に激しく反抗を繰り返したが、物質的豊かさの前にバブルまで突っ走った。日本的経営は1992年破産した。
その後の市場経済至上主義とカジノ資本主義は、格差社会とロストゼネレーションを生み出した。情報化にともなう非物質労働の台頭と不安定労働への変化、家族関係の変容、非正規雇用の拡大、新しい貧困の増大が市場経済至上主義の結果だった。2008年金融恐慌はカジノ資本主義の破産を証明した。
格差社会とロストゼネレーションは都市で2つの特徴ある動きを見せている。1つは従来の価値観とおさらばして、都市内でシステムからドロップアウトする人達だ。「素人の乱」に象徴されるように、自分達自前の力でやりたい事業を起こし、人間間の関係性を変えて新しいコミュニティーを作り、「革命後の社会」を生きてしまおうという動きだ。Face bookとツイッターで3・11後、彼らがよびかけたデモは若者達の共感を呼び、20000人が街頭を埋め尽くした。ハードな反権力闘争とコミュニティーの創造をセットで行っている。もうひとつの若者の動きは都市をおさらばして、農山村に飛び込む動きだ。都市の物質主義と貨幣万能主義にうんざりした彼ら彼女らは、国家や巨大資本、
大量生産や大量消費に背を向け、小さな世界での新しい人間関係の創造を目指しているように見える。「素人の乱」がハードな反権力闘争とコミュニティーの創造だとしたら、都市脱出の若者達は、ソフトな反権力とシフトなコミュニティーの創造という感じだ。
緩やかでソフトな人間関係、半農半Xで連なる緩やかなネットワーク、ソフトなコミュニケーションがその特徴といえそうだ。
鴨川では、地域通貨や「里山生活お助け隊」、NPOうず、オーガニックcafé やバザー、棚田トラストやオーナー制、太陽光発電や太陽熱温水、鴨川自然王国のような根拠地作りがこの10年進められてきたが、まだまだ序の口といった感じだ。だが、若い移住者達は各地域で部落の責任をまかされ始めているので、各部落で若い移住者がもっと増えていくなら、地元に蓄積されている技術や資源と経験豊な人達を活かし、様々な実験を内部からも試みることが出来ると思う。
循環型コミュニティーには、環境保全型農業や林業、エコロジカルな観光、持続可能な伝統的漁業、再生可能エネルギー、創造的教育、共生的医療・福祉、有機的な地場工業、アート・エコロジカルな文化、多くの「自由な民主主義の空間」などが不可欠だ。現在、林良樹が鴨川の循環型コミュニティーモデルを考案中だ。これを練り上げ、様々なグループの人達と、意見交換したいと思う。
ローカリズムの限界と二面作戦
グローバルに対してよくローカルが対置されることがある。ローカリズムの立場に立てば、ある意味でより現実が見えやすくなる。日常と直結しているため具体的に人の顔も見えやすい。有機的環境保全型農業、エコロジカルな観光、伝統的漁業、再生可能エネルギー、創造的教育、共生的医療・福祉、有機的な地場工業、アート・エコロジカルな文化、多くの「真に自由な民主主義の空間」などを構想する場合も、人の顔を浮かべて具体案を練ることが出来よう。
だがローカリズムの利点は同時に限界を内包している。内向きになりやすい。時々「鴨川だけ独立してしまえばいいのよ」という声を聞いたりする。まあ、冗談とも本当とも取れるのだが、そこには結構本音が見え隠れしているようだ。
だが3・11の原発事故は、ローカリズムの限界を見せた。放射性物質は、鴨川だけ素通りしてくれないのだ。毎日何を食べたらよいのかと悩まされるのみならず、原発事故のリスクはグローバルなのだ。死の灰はすでに世界に拡散してしまっている。我々はいやおうなくグローバルなリスク社会に生きている。遺伝子組み換え問題もリスクはグローバルになっている。遺伝子組み換え農産物、例えば大豆やトウモロコシをアメリカから輸入すれば、90%以上は遺伝子組み換えされたものである。従って大豆やトウモロコシから作られる加工食品の90%以上は遺伝子組み換え加工食品ということになる。実際、日本人はそのことを知らずに大量の遺伝子組み換え食品を食べ、そのリスクにさらされているのである。また、2008年以降の金融危機やギリシャの国家財政危機に世界は一喜一憂、不安の中で日々家計は直撃されている。
従って、グローバルリスク社会を生き抜くためには、一方で、我々には創造的なローカルコミュニティーの連合とグローバルな視野を持ったネットワーキングが必要になる。
トランジションタウン運動やパーマカルチャー、エコビレッジや国際有機農業運動にせよ、各地に根を張ったグローバルなネットワークとしてすでに行動している。
そして他方では、こうしたコミュニティーの創造だけでなく、こうしたコミュニティーを創造するためにも、僕たちには様々な権力との対抗、社会的な災いを跳ね除けていく運動は避けられない。3・11原発事故にそのことをいやおうなく直感させられた。どんなにすばらしい循環型の創造的コミュニティーを作っていても、一発の原発事故によって一瞬に地獄に突き落とされてしまうことを福島の残酷は教えている。
だから二面作戦が必要だ。一方での社会的災禍に対する対抗運動と他方での循環型の創造的コミュニティー、自由な民主主義空間、連帯経済など社会革命のための創造的運動だ。もっとも、社会的災禍に対する運動は、それ自体が目的ではない。循環型の創造的コミュニティー、自由な民主主義空間、連帯経済など社会革命のための運動の条件を広げるためにこそ、対抗運動は必要なのである。
従って、現在、原発再稼動や東電福島第一原発4号機や六ヶ所核廃棄物再処理工場はじめいつ壊滅的な事故が起こるかわからない事態に対して、多くの注意とそれを阻止するために、もっともっと多くのエネルギーと力を、人々はさかなければならないと思う。
小規模分散的な循環型コミュニティーの夢
ショックドクトリン
ショックドクトリンは、大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革といわれる。3・11後、福島県や宮城県での大資本と国家の動きはそれかもしれない。人々が茫然自失状態から自分を取り戻し、社会・生活を復興させる前に、過激なまでの市場原理主義を導入し、経済改革、利益追求、極端な国家改造に猛進する「惨事便乗型資本主義」による「ショック・ドクトリン」の遂行かもしれない。http://cybervisionz.jugem.jp/?eid=59
ショックドクトリンに対抗されるべきは、地域レベルでは人々の直接参加による小規模分散型コミュニティーではないだろうか。エネルギーと工業、食と農林水産業、福祉と教育といった領域での新たなパラダイムによるコミュニティーの復興ではないだろうか。
新たなパラダイムとは、市場原理主義の対極にある。資本主義には経済成長(拡大再生産)が不可欠だ。なぜなら拡大再生産による剰余価値の取得が目的だから。その目的が実現されなければ資本主義経済は破産する。
連帯経済
新たなパラダイムは、拡大再生産による剰余価値の取得を目的とはしない。従って、経済成長至上主義ではない。人々の連帯に基づく社会的経済である。この経済は民衆が主役で且つ受益者であり、人間が労働を媒介にして自然との物質循環、生産過程、流通過程、廃棄過程での物質循環を実現することを条件とする。決定や管理よりも対話や協働に基づき組織されるアソシエーション(協同的連合)である。
では、連帯経済にはどうした形態があるのか。個人事業や小規模事業、生産協同組合や消費協同組合、NPOやワーカーズコレクティブ、労働者自主管理企業や労働者持株会社、有機農業の産消提携や地域サポート農業、NPOバンクやマイクロクレジット、農業協同組合やエネルギー市民事業体、福祉事業体や相互フリースクール、相互扶助組織や社会的責任ある投資(SRI)やフェアトレードなどの形態がある。それらの形態の多くの特徴は、労働者や市民が直接資本を出資し事業を経営していることである。通常、株式会社は資本が労働を支配する。連帯経済では、逆に労働者や市民が資本を出資し、また労働することで、自ら資本をコントロールする。経済的利益は労働者や出資した市民に分配されたり、新規事業に投資される。株式会社であっても、労働者自主管理企業や労働者持株会社は労働による資本のコントロール形態であり連帯経済に含まれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%B8%AF%E7%B5%8C%E6%B8%88
脱経済成長の時代には、多元的経済が浮上するだろう。連帯経済は市場経済というよりも、「市場をともなった経済」であり、市場の本流ではないがバイパスだ。長期にわたって市場と対抗し、並存しながら市場を侵食するものと期待される。
連帯は自由な民衆の相互活動の結果であり、市場と競争至上主義の新自由主義に対抗する経済原理となりうる。連帯経済は環境問題を重視するのみならず、社会的、政治的側面と経済的側面との結びつきを常に重視する。そして、人間労働や知識や創造性、自発性を評価することを中心に置く。
省エネ発電と太陽エネルギー発電
3・11東日本大震災以降のエネルギー政策の根幹には、省エネルギーと太陽エネルギーがおかれるべきだろう。省エネルギーに関しては、原発を廃炉に追い込んだ市民達が参加するアメリカ・サクラメント市の省エネ発電所(SMUD)がひとつのモデルになる。
http://shin-yo-sha.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-69d6.html
他方では、太陽光発電、小型風力発電、バイオマス発電、小型水力発電などが考えられるが、それらは全て太陽エネルギーの形態転換に過ぎず、市民の連帯に基づく協同事業としてそれらを想定すれば、その規模や性格は小規模で参加型にならざるを得ない。人間と自然の環境への負荷を最小限にとどめることが原則だ。従って現在、大資本が企画する、人間と自然環境への負荷よりも利潤中心型のメガソーラー発電、大型水力発電、巨大風力発電とは根本的に異なる。
地球に降り注ぐ太陽エネルギーは、石油とちがって集中型ではない。まんべんなく広く降り注いでくれる分散型エネルギーだ。従って、集中型の大量生産、大量消費、大量廃棄型の現代文明にはそぐわない。大型化、平準化、集中化といった発想そのものが太陽エネルギー依存システムによって拒否されるだろう。同時に大型化、平準化、集中化といった発想を否定することが、太陽エネルギー依存システム、地域循環型経済を構築する前提ともなる。
1990年代ソ連の崩壊によって、ソ連依存型社会崩壊の危機に直面したキューバは、サバイバルのために大転換をした。石油に依存せず、「国民皆農」とでもいえる有機農業への転換、自然医療をベースにした先進国並みの医療福祉大国、石油不足に対応するバイオマス、水力、ソーラー、風力といった再生可能エネルギーへの転換。最大の再生エネルギー源として重視されているのは、バイオマスでサトウキビが中心。国内155の精糖工場のうち、104は完全にバガスで稼動。国内のエネルギーの30%、石油換算で400万トン近くを賄っている。
このキューバ歩んでいる道は、途上国のみならず先進国でのモデルのひとつになりうるのではないだろうか。もっともキューバのプロジェクトは国家主導型なので、そのまま鵜呑みにすることは出来ないだろう。特に先進国の場合は、市民主導の参加型プロジェクトが先行することがのぞましい。なぜなら国家主導型の場合巨大企業との癒着による巨大企業利益優先型プロジェクトになり、住民の利益や循環型システムは、大抵の場合ないがしろにされるからだ。
日本は森林が国土の65%をしめ、草木の再生エネルギーはすごく、バイオマス発電に適している。また、中山間部が半分以上占めているため、小水力発電の条件にも恵まれている。全般に日照時間が長く、技術力から言っても太陽光発電は容易である。
従って3・11以降、これらのエネルギー開発を軸に、食料、福祉、教育を関連させて、全国でさまざまな地方自治体が動き始めているようだ。
特にエネルギー関連の動きは先行している。土地改良区で田んぼの用水を利用した小水力発電、(静岡県・大井川用水地区伊太発電所)、自治会による太陽光発電(兵庫県丹波市春日町国領・山王自治会太陽光発電所)、農家のための農地発電(山梨県北杜市・淺川初男さん)、市民出資によるエネルギー地産地消(飯田市「おひさま進歩」の太陽光発電)、東近江モデルによる市民協同太陽光発電所、NPO北海道グリーンファンドによる風力発電、「水の町都留」の市民参加型水力発電、と枚挙に暇がない。
これらのプロジェクトは、地方自治体主導型と地域住民主導型に区分できそうだ。地方方自治体主導の場合は、独創的な首長や職員が、疲弊する地域のサバイバルのために思い切った構想を実現している場合が多い。地域住民主導型の場合もIターンやUターンで独創的なアイディアをひねり出した人が、仲間と共同出資をしてプロジェクトを立ち上げたりしている。3・11はこうした動きを加速させた。国家や巨大企業に任せておいたら、本当にえらいことになると肌で感じてしまったのだろう。
3・11以降、エネルギー開発を軸に、食料、福祉、教育を自分達が住む地域で、住民自らが雁首を集めて考え、プロジェクトを企画し、実行しなければならない時代が来たと実感させられている。
サバイバルをオルタナティブな方法で!という時代なのだ。
こうした動きが地域の循環型経済のみならず、協同の文化を創造し、参加型の地方自治を実現していく政治家を輩出する基礎の一つになるように思う。
バイオ工業
脱原発、脱石油経済が今や至上命題だが、その代替は太陽エネルギー経済にしたいものだ。例えば工業に関しては、バイオ(生物)工業が時代の要請となるだろう。多様な用途を持つバイオプラスティックやバイオビニールやバイオエネルギーが、それである。石油と同じ物質・エチレンを植物は持っているので、石油製品であるプラスティックやビニールは植物から生産可能とされている。
草木などバイオ資源の活用は、脱原発、脱石油の切り札のひとつとなりうる。森林組合やJA(農業協同組合)が事業化すれば、農林業を工業と結合させることが出来る。実際「アグリフューチャーじょうえつ」という企業は、バイオプラスティックやバイオビニールの生産を始めている。http://www.afj.jp/products/
「上越バイオマス循環協同組合」は、メタンガスを生ゴミや下水汚泥からつくり、燃料にしている。http://www.jbc.joemate.co.jp/ また、新潟のJA「全農」バイオエネルギーを生産・販売し始めた。減反田で多収穫米を栽培し、米からエタノールを生産。それをガソリンに混合しガソリンスタンドに販売している。http://www.ine-ethanol.com/
ちなみにブラジルでは、随分前からエタノール100%の自動車が普通に走っているのだ。
http://www.brics-jp.com/brazil/car.html
石油は産業の血液といわれてきたが、バイオは太陽エネルギーと共に、今後、太陽エネルギー経済の血液になりうる。バイオプラスティック、バイオビニール、バイオエタノール・メタノールなどを協同組合や市民事業や社会的事業として展開すれば、工業領域で連帯経済の大きな要素になりうるのではないだろうか。
金融・財政危機と地域通貨
アメリカの相対的な弱体化は世界の基軸通貨を消滅させつつあるようだ。ドルに代わる基軸通貨がなくなれば、世界は統一の体系から分散の体系に移行せざるを得ないだろう。巨大企業が国家と人々の生活の隅々まで食い物にすれば、人々は相互扶助でサバイバルせざるを得ない。地域経済、地域コミュニティーの復興の時代だ。地域通貨はその復興の鍵のひとつとなるだろう。https://www.youtube.com/watch?v=_9TIHjffYpA
1929年の世界恐慌では世界の統一性は崩壊し、アメリカでは3000もの地域通貨が生まれ、ヨーロッパでもWIRなど多くの地域通貨が注目された。もちろんそれらはドルやマルクといった国家通貨に代わるものではなかった。アメリカではニューディール政策(公共投資)と第二次大戦で経済が復興するや地域通貨は消えていった。ヨーロッパでもヒットラーのファシズム国家の登場による公共投資と戦争によって地域通貨は消えていった。
現在、アメリカ、ヨーロッパ、日本という先進国が金融危機と国家財政危機に直面している原因は構造的で解決のめどは立っていない。カジノ経済・信用資本主義の構造的危機で綱渡り状態が続いている。世界は統合力を失い、分散の力学が強く働いている。その結果、新しい地域の創造とそれらのネットワークの時代に入りつつあるのではないだろうか。2012年2月9日の朝日新聞は、フランスのツルーズで市当局とNPOが協同で地域通貨「ソルヴィオレット」を立ち上げたことを伝えている。ヨーロッパでは1000~2000の地域通貨があるそうだ。
ドルという世界基軸通貨が力を失い無基軸通貨時代に入るならば、各国は自国通貨を共通通貨とした地域通貨時代に入るかもしれない。江戸時代、日本は金銀銅という共通通貨の下に各藩や寺が独自な地域通貨を発行していた。金融恐慌や国家財政破綻の連鎖が世界で起これば、地域通貨は復興するだろう。
2001年末、国家財政が破綻し、失業率が18%に登り、経済破綻した国があった。アルゼンチン。当時、この国では国家通貨の信用は地に落ちた。金持ちは米ドルをかき集め生き延びようとしていた。庶民は米ドルなど高根の花。人々が生き延びようとして編み出した手段は2つだった。ひとつは地域通貨・RGT、もうひとつはブエノスアイレス州地域通貨・「パタゴン」だった。
http://www3.plala.or.jp/mig/thesis-jp.html
RGTは、NPO・PAR(地域自治プログラム)が1995年に開始していた。約500のノード(地域通貨内各グループ)の緩やかなネットワークだった。相互扶助や地域自治のための物物交換から始まった。物々交換を通帳型の地域通貨に記載していた。最初の1年間は毎週土曜日の午後、地域通貨・交換リングの会員はさまざまな生産物を持ち寄り交換。穀物、果物、野菜、インスタント食品が主で、衣服、織物、手工芸品など。彼らは自分達のことを生産消費者と呼んだ。各人が生産したちょっとしたものをお互いに交換し、サバイバルしようとしたのだ。
歯科医がパンと引き換えに歯の治療をしてから、サービスの幅が広がった。絵画、レンガ工事、電気工事、水道工事など修理サービスに広がった。交換バザーと同時に集会も週1回開かれた。市場経済から排除されている人達の自立や起業を相互援助したり、取引を公開した。交換価格は相対でなく、地域通貨内の協議で決定していた。原則と運用ルールは統一的に決定されるが、その他はノード(地域通貨内各グループ)で自由に決定した。
会員が拡大し、事業体が増えてくると通帳型から紙幣型へと転換した。事業体では紙幣型地域通貨が使いやすいからだった。紙幣型地域通貨は3種類だった。1つ目は、加入したノードでしか使えないもの、2つ目はいくつかの地域で使えるもの、3つ目は全国で使えるもの。PAR(地域自治プログラム)によって発行・管理された。1999年―2000年頃には、年間約6億~8億ドル相当の取引があったといわれる。最盛期には約600万~700万人が参加した。しかし、紙幣型地域通貨の過度な発行やニセ紙幣の横行や制裁と管理のメカニズムの探求といった逸脱によって崩壊した。現在は約30万人が継続していると言われている。
RTGが掲げた原則の内いくつかをあげておこう。何を目指していたかがよくわかる。
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人間としての我々の実現は、貨幣によって条件付けられる必要はない。
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我々の目的は、商品やサービスの販売促進ではなく、労働や理解や公正な取引を通じてより高い意味での生活に到達すべく、相互扶助を行うことである。
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不毛な競争や投機を、人間間の相互関係にとって代わらせる事は可能であると、我々は信じている。
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我々の行為、生産物、サービスが、市場の要求や消費主義や短期利益の獲得以前に、道徳や環境の基準に応えるものであることを我々は信じる。
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RGTの会員になるための唯一の必要条件は、グループのミーティングに参加し、品質自助サークルの勧告に沿って財やサービスや知識の生産者かつ消費者になることである。
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各会員自身が、自分の行為や生産品、サービスに責任を持つ。
もうひとつの地域通貨はブエノスアイレス州発行の地域通貨・パタゴンだ。
ブエノスアイレス州は、アルゼンチン3700万人の40%が在住している。経済危機で税収が激減、州財政が破綻した。州政府は地域通貨「パタゴン」を発行し、15万人以上の地方公務員の賃金や出入り業者への支払いなどに当てた。住民は「パタゴン」を税金の支払い、市役所の手数料、高速道路料金(全額)、鉄道料金(全額)、電話料、水道料金(半額)に使用できた。地元の大手スーパーや地元商店の多くも「パタゴン」を受け入れた。
こうして、2000年代初頭の財政危機の間、アルゼンチンでは、NGO発行の地域通貨RGTとブエノスアイレス州政府発行の地域通貨「パタゴン」は庶民のサバイバルツールとして役立ったといわれている。
すでに世界は長期の構造的な金融危機、財政危機に陥っているようだ。このシステムによって生活を壊滅されないために、また相互扶助の関係を重層化し、生きやすい相互信頼の世界、資本の支配に対抗する世界を作るために、地域通貨の意味をもう一度考えてもいい時期なのではないだろうか。国家共通通貨・円―地方自治体発行の地域通貨―人々が自由に発行する地域通貨の三本たての中、地域通貨は地域循環型経済システムに照応した参加型で、柔軟性、多様性を持つことになるだろう。
コラボレーションとシェアhttp://www.share-biz.jp/
最近、コラボレーションという言葉をよく聞く。リアルなコミュニティーの内部や、インタネット上での結びつきを利用して、共同作業を行うことを意味している。
例えば、地域通貨やマイクロクレジット、産消提携や田畑トラスト、地域サポート農場や農産物直売所、エコジレッジやトランジションタウン、ワーカーズコレクティブや太陽光発電市民事業、ルームシェアーやコハウジング(協同住宅)がそれで、それらはトレンドになっているようだ。
これらの動きが活発になってきた背景は3つ考えられる。
1992年バブル崩壊後、市場経済至上主義が横行する中で、既成の組織や企業が社会的包摂力を失った結果、サバイバルするためには社会から排除された人達は他者と協力するしかなくなってきていること。
第二に、facebookなどインタネット上で他者とのバーチャルな社会的結びつきが容易になったこと。第三にインタネットの普及によって、企業は情報の囲い込みによる利益の取得(所有)が限界になり、コラボレーションや情報公開によるリースの提供による利益の取得に方向転換していることがあげられる。
工業化時代には工場での物質的労働による工場生産物の販売と所有が企業の考えの中心だった。だが、情報化時代では、非物質的労働・アイディア、知識、ノウハウによるコラボレーションやリースの方が重要になっている。
1960・70年代での共同体や協同組合、コンミューンは、ハードな組織の中の個人というイメージだったが、現在では個人のソフトなコラボレーションやネットワークに変貌している。成熟した資本主義のなかで個に分解し、孤立と孤独を散々味わった人々が、再び他者との共感、信頼、連帯を求めているが、それが組織というよりは共感・共鳴のネットワークではないだろうか。それがコラボレーション、シェアー、コミュニティーという言葉と共に再浮上しているのではないだろうか。
協働することが必ずしも個人を犠牲にすることではないことを身をもって体験し、楽しく自由にシェアーする人間的な行動が相互に促される。そこでは、所有に固守するのではなく、open、参加、協力によって他者との関係性が知らぬ間に変化する。
人々が自分の知識、技術、アイディア、資金、資源を出し合ったコラボレーション(協働)とシェアー(分かち合い・共有)が出来るだけ多く含まれるコミュニティー(地域)こそ、住みやすいと僕は実感している。
大企業が資本の欲動によって、コミュニティーの中に浸透し、格差社会を広げようとしている時、人々のコラボレーションとシェアーはそうした資本に対抗しうる方法でもあり、同時に人々の共鳴と信頼、連帯のネットワークを創造できる方法でもある。
コラボレーションとシェアーが、循環型コミュニティー創造の鍵になっている。
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