安保闘争の政治理論としての総括
       京都府学連執行委員会 一九六一年七月八日
※全学連十七回大会にてブント関西地方委員会系が京都府学連の対案として提出。
(執筆は同志社大学の山本勝也)


 安保闘争を「予想外の高揚」だったというこの言葉は、安保闘争の総括の困難さを、したがってその重要性を、端的に表現している。「政治は経済の集中的表 現である」ということをドグマチックに理解して、〔経済不況→労働者の生活状態の悪化→労働者階級の高揚〕という経済決定論では、安保闘争は何事も語りえ なかった。経済的には「高度成長」といわれる好況局面にあったのだ。だから、彼らにとっては、まさに「予想外の高揚」でしかありえなかった。すこしでも教 条主義批判の態度をとるマルクス主義者ならば、日本のマルクス主義が「政治理論として確立していない」がために、「政治過程の独自の運動法則をとらえるこ とができず、したがって、政治情勢の急激な展開の可能性について予測を、従って政治闘争における決定的な時点の把握」ができなかったことを、自らその破産 を宣言せざるをえなかった。(『思想』 六一年二月号における大江志乃夫の「実践をとおしての政治理論の反省」)

 「情勢分析における客観主義、方針における主観主義」「万年決戦論」あるいは「羅列摘発闘争」等からの活路はここに破産を宣告された政治理論をわれわれ の手で確立する事、それにより政治闘争の見通しをもつことにある。政治理論とは、現存する階級闘争の総括「すなわち、われわれの目の前でおこなわれている 歴史的運動の一般的表現」(「共産党宣言」)にほかならない。安保闘争をこの観点から総括しなおすこと、ここに政治理論のすべてがあるといっても過言では ない。安保闘争は現代の日本における政治闘争としては最大の経験だったのだから。

(一)政治闘争の広さと深さについて

 安保闘争は、「革命情勢」と錯覚する者があらわれるほどの大闘争であった。けれども、一体どの程度に「大闘争」だったのか、また何を基準にそういいうる のか。この問題は現代日本における政治闘争の発展過程、つまり政治過程の具体的解明であり、そこからのみ、今後の日本の政治闘争の見通しをもちうる。
 
 この政治闘争の「見通し」は、いうまでもなく、主観的願望にもとづいた恐意的な要素のまったく含まれていないものでなければならない。更にそれは、単な る一般論ではなく、現代という特定の、日本という特殊の、即ち、まさに「現代」の問題でなければならない。このような観点から展開せんとするわれわれの政 治理論なるものは、日本における政治闘争の最大の経験である安保闘争の「偉大な教訓」 の理論化による「現代」への接近である。

(a)日本の権力構造とその性格

 まず最初に、日本の権力構造<議会―内閣―政府―警察(自衛隊)> と その性格について簡単にまとめておく必要がある。なぜなら、政治闘争とは、国家権力をめぐっての全国的階級闘争であり、更に、「前衛不在」と言われる現代 の日本においては、現存する階級闘争は、レーニンの言う「組合主義的政治」のための闘争、即ち改良闘争としてしか展開され得ない。安保闘争も多くの論者が すでに明らかにしているように、自然発生的な、従って小ブル的な政治闘争として展開されたものである。そのような政治闘争の発展過程=現代日本の政治過程 は日本の権力構造の具体的な分析をぬきにしては語りえない。資本主義国家に於ける議会の本質について、レーニンは『国家と革命』の中で次のように述べてい る。「支配階級のどの成員が議会で人民を抑圧し、蹂躙するかを、数年にただ一度決めること―この点に議会制立憲国をはじめ最も民主的な共和国においてもブ ルジョア議会主義の真の本質がある。」同時に又、レーニンはロシア十月革命前後の、つまり資本主義の帝国主義段階への変遷という歴史的な時期における議会 に対して、「議会はすでに雑談場に変ってしまった」といい、更に「この雑談場とそこでの決議でもって馬鹿正直な百姓をごまかしている」と述べている。この レー二ンの議会に対する論談は、明らかに現代もなお有効な本質論である。けれどもここから、「ブルジョア議会はおしゃべりの場所」であるから、「議会ナン センス」ときめつけることによってこと足れりとするならば、現代の具体的分析を怠った教条主義として批判の対象とならねばならない。

 戦後日本においては、イタリー、べルギー等と同じく民主主義が憲法として定型化されており、議会制民主主義制度が確立している。そのもとにおいては、ブ ルジョアジーの政治的、軍事的政策は、形式的にせよ、議会を通過する。従って警職法にせよ安保にせよ、又政暴法にしてもそうであったが、議会の中での討 論・決定をめぐって闘争の山がつくられ、また反動化に対しても、具体的には議会において現出されるが故にその反対闘争は議会制民主主義擁護の立場が支配的 となりやすい。民主主義闘争が全て、民主主義擁護という小ブル的性格を強くもつのも、民主主義が憲法として定型化されているが故である。

 構造的改良論者は、マルクス主義を科学として理解しえず、資本主義が国家独占資本主義として延命した段階での諸々の新しい現象と一時的繁栄にまどわさ れ、第二次大戦後の民主主義のある程度の憲法としての定着化からくる国家の、とくに議会のより一層大きくなった幻想性に自ら幻想を抱いた小ブル思想の典型 である。

 彼等は、議会を通じての平和革命が可能であるという幻想的観点から、マルクス主義国家論の修正にとりかかる。 国家権力が公的性格と階級支配とに分離され、階級支配よりも、むしろこの公的性格が国家の本資として主張される。われわれにとって必要なことは、現代の 諸々の新しい現象を本質論との関連で実践的対応の問題として把握することである。

 戦後の政治的民主主義の憲法化の実践的意義は、社会主義革命のための有利な条件と広汎な具体的契機の存在として理解されなければならない。議会に形式的 な決定権は認められているが、ブルジョアジーの政治プラン(政策)は独占ブルジョアジーとの協力で内閣によって決定される。したがって、政治闘争は当初か ら対政府闘争として全国的な政治闘争として展開される条件にある。

 このような権力構造が全体として「一般に共通性という幻想的形態」(マルクス『ドイツイデオロギー』)をとって国家を形成している。けれども「共通の、 幻想的で共通の利害に、たえず現実的に対立している特殊な利害のあいだでの実践的な闘争が、国家としての幻想的『利害』による実践的な干渉と制御とを必要 ならしめる」(マルクス『ドイツイデオロギー』)。

 この「実践的な干渉と制御」とは、具体的にはレーニンのいう「武装した人間の特殊部隊」=「暴力装置」としての常備軍、警察、官僚群であり「常備軍と警 察とは、国家権力の重要な武器である」(レー二ン『 国家と革命』)この「国家権力の武器」は、現代の日本においては、その幻想性をかなぐりすてて、警察の治安弾圧、陸上自衛隊の国内治安への専念化、更に右 翼暴力破壊屋への転化が加わって、暴力化している。政治闘争は、この国家権力の暴力化とあいまって、不可避的に"暴力的形態"の性格をおびざるをえない。 従って、国家権力、右翼の暴力的弾圧が政治闘争の発展の一つの重要な契機となる。

 (b)現代における政治闘争の発展過程
以上のような性格をもつ権力構造の中で、安保闘争は国家の本質=「支配階級の意志」 に対決して、国家権力=「最も高度に組織された暴力」(マルクス『 資本論』) に一歩一歩と肉迫していった。この進展の過程を、対権力の問題を焦点に、現代における政治闘争の発展過程として、次のように抽象化しうる。

 (1)反対意志の全国的組織化の段階。宣伝、教育を中心にした啓蒙活動から、反動粉砕闘争として、次第に大規模な集会、街頭デモへと発展していく。

 (2)議会の幻想性に対して『平和と民主主義』という、より大なる幻想性そのものをかかげての全国的政治闘争の展開される段階。集会、街頭デモを中心と した闘争が、議会での討論の進行過程に照応した闘争の山を形成しながら発展する。その過程で警官の妨害も加わり、"国家権力の暴力化"により"大衆の暴 力"が発生する。これを契機に議会の幻想性が暴露され、闘争は次の段階へ発展する条件が成熟する。

 ここで注目すべきことは、議会の幻想性だけではなく、既成左翼政党の幻想性をも同時に暴露したことである。議会の幻想性が暴露された段階において何をな すべきか。つまりその時点での戦術を大衆が要求する。それに答ええない指導部は大衆の面前に"無能者"として自己の姿をさらけ出す。似非前衛党の物神性が 音をたてて崩壊しはじめる。この既成左翼の物神性の崩壊は、当然の結果として、既成指導部にたよらず、独自に政治闘争の局面を打開してより高い次元に進展 させんとする広汎な大衆、とくにインテリを中心にした部分を一つの政治的潮流として登場させる。この潮流は思想的に「真の前衛政党」 の確立というところまで高められ"トロツキズム運動"を形成する。

 「全学連」はまさにそのようなものとして登場したのである。既成政党の無能、というよりは、むしろ闘争の質的発展の意識的回避の中にあって、何とかして 局面を打開しようと独自でそのための戦術を追求した。この戦術を行動にうつす際、一つの障害に直面した。「統一と団結」という神話である。全学連はこの神 話を、統一戦線論の倭少化として破棄し、統一戦線の立体化という観点から、既成政党とそのエピゴーネンによる"ハネアガリ"、"トロッキスト"等の非難を むしろその戦術の有効性のメルクマールとしつつ、独自の戦術の具体化に努力をつくした。11・27 、1・16 、6 ・15、これらは術頭デモの戦術にすぎなかったとはいえ、安保闘争の質的発展をもたらした決定的要因であった。だからこそ、全学連は常に運動の中心となっ たのであり、この全学連の運動をぬきにしては、安保闘争の次の段階への発展は考えられない。

 (3)国家権力そのもの、つまり暴力と直接対決する段階。国家権力がますます暴力化するのとあいまって、大衆の街頭デモのより一層の暴力化の中で、ブル ジョアジーは安保をなにがなんでも成立させねばならない必然性から、議会制民主主義の枠の中では、即ち、幻想性を保持したままではそれを通過させることに 成功しえず、遂に、自ら議会の幻想性をすて、「単独裁決」という、国家権力の本質である"暴力"に訴えざるをえない。この民主主義破壊の暴挙は、プチブル の民主主義意識を大きく刺戟し、闘争は反動粉砕闘争の次元から、急速に内閣打倒闘争へと転化する。大衆の暴力化は更に発展し、プチブルの街頭行動と部分的 な労働者の実力行使によって、遂に内閣危機が出現する。

 この段階においては、闘争の進展は権力との直接的対決以外にありえない。安保闘争の勝利の展望は、国家権力という暴力によってうらずけられているブル ジョアジーの支配体制を否定すること、即ち革命以外になかったのである。六・一九の自然成立を前にして、国会をとり囲んだ厖大な労働者、学生大衆は、遂に 何事をもなしえなかった。敗北の一瞬である。

 安保闘争は、権力との衡突を部分的に含みながら、したがって萌芽的な革命的高揚を生みながらも、権力との全面的、直接的対決としての、レーニンのいう「革命的高揚」 を生みだすことなく敗北していった。

 (c)政治闘争の『広さと深さ一は何によって決定されるか?
政治闘争の「広さ」は、その闘争がどれだけの諸階級をまきこんで展開されたかということであり、「深さ」は、対権力との関連で、安保闘争に典型化された 〔支配階級の意志に対立する被支配階級の意志の全国的組織→国家の幻想性に対するより大なる幻想性をもっての闘争→国家の幻想性の暴露→国家権力との直接 的、全面的対決〕という現代における政治闘争の発展過程のどの段階まで進展したかということである。

 政治闘争の深度の問題は、次の二点、闘争の主体と客体の問題から補足されなければならない。

 まず第一に、闘争の主体の問題、どの様な観点から闘われたのかという問題である。安保闘争は、その質的転化〔プチブル政治意識→プ口レタリア政治意識〕 を実現しえなかった。プチブル政治意識の高揚にもとづく、プチブル主体の国会デモという街頭行動によっても内閣打倒は実現するということを安保闘争は実証 すると同時に、議会制民主主義の復活としての〔内閣打倒→国会解散→総選挙〕という議会主義コースが支配的となり、それを実現するものでしかないというこ とを、「前衛不在」のもとでの政治闘争=改良闘争の限界として、特に先頭に立って闘ったわれわれ学生には、学生運動の限界性として教えた。プチブル政治意 識のプロレタリア政治意識への転化には、議会の幻想性の暴露と同時に、闘争に参加している主体が自分の持っているプチブル政治意識もまた幻想でしかありえ ないことを自ら悟ること、そのための戦術が必要である。工場での、街頭での自然発生的な生成を基礎として、プ口レタリア権力の具体的形態を含めた、つまり ブルジョア権力打倒後の「中間的政府」から、過渡的措置、更に直接的な権力への行動まで含まれた一連の戦術、いわゆる"綱領"の存在が絶対条件である。た だしそれは、この戦術を具体化しうる前衛政党として、より具体的に言うならば、新左翼が、労働者のなかに確固たる組織を確立しており、ある程度の労組でへ ゲモニーをとることができる程度の状態においてでなければ、いくら"綱領"なるものを作成して"前衛政党"の名のりをあげてみても、無意味だということで ある。

 第二に、闘争の客体の問題は、支配階級の支配能力がどれだけ動揺したかであり、この間題は政治闘争の「深さ」 について決定的に重要である。「国家は… 一時代の市民社会全体が集約されている形態である。だから結果としてすべての共通な制度は国家によって媒介され、一つの政治的な形態をとることになる」 (マルクス『ドイツ・イデオロギー』)マルクスがここで述べている国家の集約性の喪失が政治的にどの程度まで進行したかである。

 小野義彦は、安保闘争の展望として「現在、支配層内部に発展しつつある政策対立が、安保改定問題と自由化問題などを契機にひろがり、いっそう拡大し深刻 化してゆくこと」(『中央公論』60 年5 月号)を唯一の基準として安保闘争の深さをはかっていた。けれども彼には、この支配層内部の対立の問題を、全体的な政治過程との関連で、ブルジョアジーの 支配能力の動揺として明確に位置づける政治理論がなく、そして何よりも構造的改良論者たる彼にとっては、この自民党の内部対立への実践的対応は、自民党の 反主流派に甘い幻想をいだいた共産党のいう「自民党内の良心的部分」という域を脱しえなかった。だからしてその期待が裏切られると、「自民党内の反主流派 が代表している立場は中小ブルジョアジーやなんらかの国民的な対立社会階層のそれではなく、この点では主流派と同じく独占ブルジョアジーの階級的立場で あった」(『歴史学研究』 60 年9 月号)と、今さらながらの泣き言をならべざるをえなかったのだ。「国家の集約性」ということの実践的理解から、喪失された「国家の集約性」をプロレタリア 権力のもとに集約しなおすという革命的観点からの把握が必要なのだ。

 安保闘争は、内閣危機まで発展したが、岸の退陣、池田の登場により、ブルジョアジーの支配能力の動揺は簡単に回復された。その程度の動揺にすぎなかった のである。より一層の危機の深化(内閣危機→政府危機→体制危機)が出現しえなかったのは、前に述べたごとく闘争の主体の条件が存在しなかったことと同時 に客体の条件も存在しなかったのである。

 客体の問題についてレーニンは『共産主義の「左翼小児病」』において次のようにかいている。

 「すべての革命、とくに二十世紀の三つのロシア革命によって確立された革命の基本法則はこうである。すなわち搾取され、抑圧されている大衆がいままでど おりに生活できないことを自覚して、変更を要求するだけでは、革命にとって不十分であって、搾取者がいままでどおりに生活し、支配することが出来ないこと が、革命にとって必要である。『下層』 が古いものをのぞまず『上層』のときにはじめて、革命は勝利することができる」。

 安保闘争はさらに経済的には「高度成長」といわれる好況局面においてたたかわれたのであり、「上層」すなわち支配階級ブルジョアジーが「いままで通りに 生活し、支配することができない」という危機的情勢は政治的にも経済的にも存在しなかったのである。したがって、安保闘争の最終局面での高揚を革命的情勢 と錯覚して、革命が可能だという幻想を抱いた者があるとするならば「プチブル急進主義」として批判されざるをえない。「一時代の市民社会全体が集約されて いる形態」としての国家が、その集約性を喪失する最大の時期は、市民社会の基礎である経済の集約性が破壊されるとき、即ち恐慌である。換言すれば、恐慌は 最大の革命の勝利しうる客観的条件である。

(d)政治闘争の具体的契機としての安保改定

 安保闘争が以上のような「広さと深さ」をもった政治闘争として展開されたことの確認の上に立って、再度、安保改定そのもののもつ政治闘争の具体的契機と しての意義を、安保改定があれだけの「大闘争」を伴わざるをえなかった必然性を、政治の問題として解明されなければならない。

 安保改定は「日本の一大転換点である」といわれる言葉の中に、経済的好況局面にもかかわらず、安保闘争があれだけの広汎な層をまきこんでの闘争として展開されたことの解明の力ギがある。

 安保改定は一九五五年以降の日本資本主義の経済過程を総括するものであった。五五年以降、本格的に開始された近代化による対内膨脹の過程を集約した、対 外膨脹への転換であり、しかも、それは、戦後帝国主義の不均等発展の結果として五八年以後展開されている自由化という平和的形態での帝国主義的競争の激化 により国際的にも転換をせまられていたのである。

 その際、独占ブルジョアジーはその転換の政策を、帝国主義的民族の発展のコースとして、日本民族全体の共通利害として提起せざるを得ない。従ってそれ は、全ての階級に対して利害関係をもつ。安保改定はこのような日本民族全体の方向を決定する「一大転換点」であった。それ故に、この民族的契機によってひ きおこされた安保闘争は、その性格から必然的に、あれだけの「広さ」をもった政治闘争を伴い、支配層内部にさえ対立を生ぜざるをえなかったのである。

 安保改定が現実の問題として、いったん提起されるや、その後の足かけ三年間における、その他の諸々の政治闘争の具体的契機(帝国主義的政策、政治的反動 化、独占本位の経済政策)は、すべてこの最大の具体的契機である安保改定との関連において問題とされ、安保改定は、次第に政治過程の中核となり、政治闘争 の焦点を形成する。したがって安保改定は、日本の経済過程と同時に、政治過程をも集約するという性格をもったのである。

 かくして安保改定は、日本民族の方向を、最終的には日本国内の政治的力関係によって、政治闘争によって決着をつけるべきものとして提起されていたのであ る。だからこそ、あれだけの「深さ」をもった政治闘争として、"予想外の高揚"だったのではなく、この高揚は「国民生活の全ての条件によって準備されたも の」であり、日本資本主義の「これまでの発展全体によって必然的に惹き起されたもの」、「まったく法則にかなったもの」(レーニン『革命的高揚』)として 把握されなければならない。

(二) 政治闘争における大戦術と小戦術について

 われわれは安保闘争の発展過程を現代における政治過程として解明する中で、政治闘争の質的発展にとって決定的に重要なのは戦術であるということを明らか にしてきた。大衆運動の続行は当然その闘争を漸次的に深化させる。しかしながら、それのみによっては闘争の質的発展はありえない。この「量から質への転 化」すなわち「飛躍」をもたらしうるもの、これこそがわれわれの言う戦術である。この観点から政治闘争における戦術論の重要性が確認されなければならな い。

 またわれわれは「政治闘争の広さと深さ」の追求の過程で、個々の政治闘争の規模があらゆる政治的、経済的条件の具体的分析により見通しうること、そして 最後にそれらの諸々の政治闘争の中で、最も深い政治闘争を見通し、その他の諸々の政治闘争はこの最大の具体的契機をめぐって政治闘争にどう対応すべきかと いう観点からの位置付けが必要であることを明らかにした。それぞれの政治闘争の広さと深さに応じた戦術をとることにより、全体として最も深い政治闘争、即 ち革命の勝利しうる条件の存在する時点での革命的戦術を実現させるまでの政治過程にわれわれの政治闘争における戦術を正しく位置付け、長期的な、明確な 「見通し」をもった政治闘争の展開が必要なのである。

(a) 戦術は何にもとづいてうちたてられるべきか?

 正しい戦術は例外的に樹立しうるのか、果して宇野弘蔵のいう如く、優れた実践家の直感による以外にありえないのだろうか?この問題は政治理論における基 本的課題である。レーニンは『カール・マルクス』 において"プロレタリア階級の戦術"という項目をあげて次のように述べている。

 『マルクスは… … プロレタリア的階級闘争の戦術の問題に絶えざる注意を払った。… … プロレタリアートの戦術の主要な任務をマルクスは、彼の唯物論的世界観の全ての前提を厳密に一致させて規定した。ある与えられた社会の全ての階級の相互連 関を一緒にした全体の客観的な顧慮、したがって又、この社会の客観的な発展段階の顧慮、ならびに、この社会と他の社会との間の相互的諸連関のみが先進的階 級の正しい戦術のための基礎として役立つことができる。』

 ここに戦術論の根本問題、正しい戦術は科学的に樹立しうること、そのために必要な情勢分析は何かということが簡明にのべられている。さらにレーニンは『共産主義の「左翼小児病」において、この原則を口シアの革命運動の教訓から、次のように確認している。

 「大衆の間に革命的な気分がなく、このような気分の高まりを助長する諸条件がなければ、勿論革命的戦術を行動に移すことは出来ないが、われわれは、口シアで余りにも長い苦しい血みどろの経験によって革命的気分丈にもとづいて革命的戦術をうち立てることは出来ない。」

科学的分析が必要なのだ。その際、「その国家の全ての階級勢力」、いいかえれば国内の階級間の力関係の分析が決定的に重要であるということ、即ち、われわ れが戦術を行動に移さんとする政治過程の具体的分析が是非とも必要な条件であるということを再度確認しなければならない。

(b)戦術論として改良闘争と革命

 「前衛不在」のもとにおける階級闘争は、改良闘争としてしか展開されえないという事実の確認を抜きにして、改良闘争はナンセンスだから革命運動をと、最 大限綱領のみを叫んでみても、その革命論は、死んだ抽象にならざるをえない。その革命を何処に依拠何も答ええないからである。

 構造的改良論者は、改良闘争のみやれば良いと主張する。改良闘争の果実の積み重ねが社会主義をもたらすという改良主義的観点から。

 すでに明らかにした如く民主主義闘争として展開された安保闘争は、小ブル的性格を強く持ちながらも、その闘争の過程で国家機関を通じて表わされる国家の 本質への闘いが、戦術によって国家権力との直接的対決まで高められた。その対決を全面的対決まで、したがって革命的高揚まで高められることなく敗北して いったが、この安保闘争の経験は、改良闘争の徹底的遂行は革命以外に解決しえない時点までの闘争の発展をもたらしうるということを、われわれに教えてい る。

 レーニンは『国家と革命』の中で、エンゲルスのパリ・コンミューンに対する評価(『 フランスの内乱』第三版序文)を引用して、「エンゲルスはここで徹底した民主主義が一方では社会主義へ転化し、他方では社会主義を要求するという興味ある 限界点に接近している」と述べ、更に「民主主義を徹底的に発展させ、このような発展の諸形態を要求し、その諸形態を実践によって、点検する等々、全てこれ らは、社会革命のための闘争の諸任務を構成する要素の一つである」と述べている。

 レーニンがここにいう「徹底した民主主義」とは「二重権力」に他ならない。ブルジョアジーの支配能力の動揺危機が〔内閣危機=体制危機〕へと発展する過 程で、味方の内部にプロレタリア権力の組織を広げ、喪失された国家の集約性をプロレタリアート独裁のもとに集約しなおすこと。ロシア革命の教訓からレーニ ンによって発見された この「二重権力」の状態は、現代もなお有効なプロレタリア革命の基本法則である。この二重権力の状態を媒介せずしてブルジョア議会において独占を追いつめ 孤立させて社会主義へなどということは改良主義の幻想にすぎない。

 この革命情勢における、レーニンのいう「革命的戦術」を大戦術とよび、この大戦術を実現させるにいたる政治過程での戦術を小戦術として区別することにする。

 かくしてわれわれのいう戦術論としての改良闘争と革命の関連はこうである。全ての条件(とくに政治の問題が重要)の検討の中から、今後の政治闘争のあら ゆる具体的契機と、その契機をめぐっての「政治闘争の広さと深さ」を見通す。その上にたって、個々の改良闘争での小戦術を、最も深い政治闘争、革命的情勢 における大戦術の実現を準備するものとして位置づける。

 われわれは改良闘争を全力を尽して取り組む。けれどもそれは、改良闘争の果実そのものを目的とするのではなく改良闘争を戦術によって、より高い次元に、 より政治的に、つまり対権力との直接的、全面的対決へ向って発展させその過程で革命の条件を準備し、全体として大戦術へと発展させんがためである。

 (c)『戦略と戦術』論について
われわれはなぜ「戦略と戦術」といわずに、ことさらに「大戦術と小戦術」として戦術論を展開せざるをえなかったのか。それは次の理由による。

 「戦術において誤っても戦略が正しければ…」という理論は、果してその正当性を持ちうるだろうか。答えは否である。歴史はくり返しを許さない。誤った戦 術によってひきおこされた政治過程は、決してもとへもどしえず"戦略"そのものがこわれざるをえない。さらにこの理論は、最大限綱領主義の、政治闘争にお ける戦術の軽視と戦術における誤りの合理化に対してその正当化の理論的根拠を提供している。

 プロレタリアートの階級闘争の戦術論として「戦略と戦術」という言葉がはじめて登場したのは、レーニン死後の第三インター第六回大会にスターリンが提案 した、第三インターの新しい綱領草案においてであった。マルクスもレーニンも、プ口レタリアートの階級闘争の戦術論を、戦略と戦術に分離して論じたことは 一度もなかった。

 われわれはこの「戦略と戦術」論をスターリニズムによる戦術論の歪曲として破棄し、マルクス・レーニンの戦術論の原則を復活させる一つの試みとして、「大戦術と小戦術」という、プロレタリア独裁の樹立へいたる一連の戦術論として展開した。 

                                                                                                                               

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