聞き取り調査当事者の自己紹介(1) 

 

  社会運動最初の15年 一般社団文化知普及協会理事 境 毅

 

 みなさま

 文化知普及協会では、文化知創造ネットワークを作り出す準備という位置づけで、政治運動を経験し、やがて社会運動に取り組むようになった知り合いへのインタビューをしました。幸い、6名の方々が応じてくださり、大切な問題提起をしていただきました。では、協会のメンバーは何を考えているのか、これは当然にも疑問として出てくるでしょう。それで私も自己紹介を掲載することにしました。

 準備を始めてみて、改めて、政治運動30年のち社会運動30年を一気にまとめるのは難しいことに気づきました。それで何回かに分けて掲載させてください。最初は、2001年2月10日付で私のHPに掲載している「この15年をふりかえって」を若干修正したものを掲載します。引き続いて、次の15年(2001年から2018年まで)の振り返りをまとめます。そして最後になりますが、政治運動30年の振り返りも書いてみることにします。なお関連文献については末尾にリンクを張っておきます。

 

第1章 7つの飛躍点


 1988年から社会運動に取り組んでみて、協同主体をつくるということが重要な問題なのだ、と気付きますが、その前史があります。前史も含め、15年間をふりかえることにしたわけですが、この15年間にはいくつかの思想上の飛躍がありました。ずっと懸案だった難問が突然解決をみる、という誰にでもある経験ですが、まず、この飛躍について年代順にあげることから始めましょう。
 第1は、1988年12月に作成した「緊急の課題」でした。この文書で商品からの貨幣の生成が商品所有者の無意識にうちでの本能的共同行為による、というマルクスの価値形態論の、私なりの解釈を、政治権力を奪取し意志の力で商品・貨幣をなくそうとしても無理がある、という革命戦術上の問題提起と捉えかえすことができました。そうすることで、ソ連に何故、商品、貨幣が残存しているかが判明し、また、ソ連における共産党の支配が後に崩壊していきますが、その原因を把握することができました。
 第2には、1989年4月に仕上げ『赤報』48号に公表された文書「革命主体の形成」でした。政治権力を奪取しなければ社会革命は始まらない、とする従来の左翼の常識を批判する観点は定まったのですが、じゃあどうすればよいのかという問題が、新たに提起されてきます。問題の核心は、商品所有者たちが無意識のうちでの本能的共同行為をしなくてもよいような社会的関係を迂回して作り出す、ということにありました。この文書では、このような事態を可能とする主体を「文化的勢力」に求め、「価値批判によって統合された多様な文化的勢力」を革命主体として考えたのでした。

  (注)「革命主体の形成」は『価値形態・物象化・物神性』の第10章です。また『赤報』は、1971年に結成された共産主義者同盟(RG)の

  機関紙で、90年代初めには活動を停止しています。
 第3は、協同組合運動研究会の94年2月例会で『アリスメンディアリエタの協同組合哲学』(みんけん出版)を研究したときに起こりました。文書としては『ASSB』誌1巻12号(1994年3月)に「もう一つの社会変革――アリスメンディアリエタ試論」を書きました。この頃私は、資本主義の経済システムを変革する方法について考えていて、結局は、二つしかないのではないかと結論づけていました。一つは、ロシア革命がなしとげたような資本家階級が独占している生産手段を収奪することであり、もう一つは、労働者階級が資本家階級の工場に働きに行かずにもう一つの働き方で生活していくことでした。この後者の方法こそ文化的勢力が実現できる課題と考えてはいたのですが、しかし、イメージだけで、具体的な実践と結びついてはいなかったのです。ところが、アリスメンディアリエタは、モンドラゴン生産協同組合の組合員たちに資本家企業に負けないだけの投資をすることを呼びかけていました。そして、この投資をすることこそが協同組合で働く労働者の団結の内実であり、協同の実現である、と主張していたのです。まさにこの提起こそ、社会革命を日々持続していく具体的な方針としての意義をもっていました。「もう一つの社会革命の戦術」は、アリスメンディアリエタとモンドラゴン協同組合群によって、すでに実践されていたのでした。

  (注)『ASSB』誌は研究所をつくろうと私が発刊している個人誌で、1993年に数人の同人誌として出発し、1996年の第4巻からは単独で運営

  し、現在まで継続して発行しています。成果物は私のHPにおおむね掲載されています。生協の非常勤理事時代は私の生活費の半ばを占めてい

  ました。現在は無料でメール版を配信しています。
 第4は、阪神大震災の経験でした。協同組合運動研究会では、93年6月から「協同と民主主義」というテーマで14回の研究会をもち、協同思想について明らかにしていこうとしていました。私は、94年5月から、物象化論をとりあげ、民主主義は他から個を守るシステムとして機能するのに対し、協同は、他への働きかけであり、この意味で物象化された今日の経済システムに対抗できる思想ではないかと考えるようになっていました。そして、協同思想の目標を物象化の廃絶、つまりは、物象化しないシステムの実現というように考えていたのでした。このような考えをまとめようとしている時に阪神大震災後の救援活動に取り組むことになり、そしてそこで自立した個人が、実は、お金のシステムに支えられた上で成立している、という現実を実感できたのです。こうして、自立した個人が連合して協同を実現する、という従来の協同のイメージに代わり、他の人々との協同を実現することで自立した個人の主体性も開かれていく、という逆の見地に到達できたのです。こうして、協同主体をどうつくるか、というテーマにたどりついたのでした。

  (注)協同組合運動研究会は、生協エル・コープ設立準備のために、1988年に設立されました。当初は、京都協同組合運動研究会と名乗って

  いました。現在は生活クラブ京都エル・コープの研究機関として活動を続けています。
 第5は、第1次政治・文化(PC)講座で、文化知の方法を定式化できたことでした。それまで、新たな知の形態としての文化、とか、文化的勢力とか述べてきましたが、感覚的な提起に終わっていました。また、マルクスの価値形態論の解読についても、なかなか理解してもらえないという現実に直面していました。そこで、マルクスが価値形態の分析に用いた方法を抽出し、それでもって、言語や社会や国家といった、人間の他の社会的関係を解明していくことを構想し、これを文化知と名づけ、その方法を『ASSB』誌6巻1号(1998年4月)で公表することが出来たのでした。

  (注)政治・文化(PC)講座は、1997年から始めた私塾で、第三次までやりました。

これも研究発表の場であるとともに、生活費の足しにしました。私のHPにはすべてのレジュメが掲載されています。

 第6は、永年温めてきた「21世紀の社会運動の綱領草案」が、アソシエ21での柄谷さんとの出会いに触発されて、1999年末に起草出来たことです。
 第7は、2000年4月にアソシエ21の企画のシンポジウムに参加し、そこで文化知から見た国家という観点から、貨幣と同じように、民主主義も日々生み出されているものであることを明らかに出来たことでした。(「民主主義は日々生みだされている」参照)

  (注)アソシエ21は、フォーラム90の後継組織で、数百名の知識人が名を連ねた団体です。私は2000年に事務局のメンバーと紛争となり、関与をやめました。
 以上が、第2次PC講座で協同主体を追求していく前段での私自身の思想上の飛躍についての整理です。これを踏まえて、この間の文書の紹介も含め、私自身の見解の推移について整理していきます。

 

第2章 前史

 

1)価値形態論の研究


 協同主体論の解明、といった、90年代の私の問題意識そのものの出発点は、ソ連論研究でした。1982年に出版された自著『ソビエト経済学批判』(四季書房刊)で、私は、ソ連に何故商品、貨幣が残存しているのかについて主要に研究し、この時点では、ソ連の党、国家の官僚制の土台となっている労働の階層制が商品生産の原因である(294~6頁)と指摘しましたが、自身ではその不充分性について自覚していました。そして、共産党が国家権力を掌握してもなかなか商品、貨幣は廃絶できないのは何故か、という問題意識から、以降も『資本論』の価値形態論(とくに初版のもの)に取り組んできたのでした。
 その成果は自著『価値形態・物象化・物神性』(資本論研究会刊)にまとめられています。この著作で、私は、マルクスの『資本論』が物象化論であると新たに判断を下していますので、まず、そのことについて述べておきましょう。
 スターリン主義的な客観主義的なマルクス理解、(社会の発展法則、といった「科学的世界観」によるもの)に対し、最初に日本共産党から分かれた新左翼(1958年頃)のマルクス理解は、初期マルクスの疎外論に依拠したものでした。それは、個人がどのようにして資本主義による疎外を理解し、主体性を確立してプロレタリアートの階級闘争に参加していくか、という文脈で、これが革命理論の思想的内実として捉えられていたのです。このような疎外革命論に対し、早くから廣松渉さんが批判を提起し、60年安保闘争を闘った共産主義者同盟は、疎外革命論には批判的な人々も多かったのですが、後日、廣松さんは、疎外論から物象化論へとマルクス・エンゲルスが転回している、という見解を打ち立てました。私自身、廣松さんの四肢構造論や物象化論には批判的であり、かつ、『資本論』を物象化論と捉えていたのは、廣松さんとその学派だけだったといういきさつもあり、物象化という言葉の採用をためらってきたのですが、「紹介、榎原均著『価値形態・物象化・物神性』」にも書きましたように、マルクスは商品論で商品という物象に人格の意志が支配されている、ということを解明したんだ、ということがわかり、廣松さんの物象化論とは全然異なる内容として物象化を捉えることが出来たので、以降、物象化という用語を使うことにしています。
 さて、この『価値形態・物象化・物神性』での価値形態論の解読をふまえて構想されたものが「緊急の課題」でした。この文書はこの本のあとがきに収録しています。というのも、1987年の時点で、第10章以外の原稿はそろっていたのですが、出版までに時間がかかり、結局、第10章と「緊急の課題」とを追加する形で本が仕上がったからでした。

  (注)『価値形態・物象化・物神性』(2500円) はアマゾンでも買えません。注文は私宛メールでお願いします。 sakatake2000@yahoo.co.jp

 

2)ソ連論研究へのけじめ


 「緊急の課題」の内容については、飛躍の第1として述べました。この内容に則し、ソ連邦の崩壊が始まった1991年夏の動きが出る1年前に作成したものが「ペレストロイカについてのテーゼ」(『赤報』49号、1990年11月30日刊)でした。この時点で私は、ソ連や中国は、協同組合的社会に一番近い社会とみなしていました。その意味は、うまく指導されさえすれば、労働者、農民が解放された社会へと到達しうるし、その根拠を、ソ連や中国の経済的関係はいまだ物象化されておらず、そして、労働者や農民が生産手段から完全に分離されていず、形式的とはいえ、占有者として存在していたことに求めていました。
 この当時の私自身の協同組合社会のイメージについて、『赤報』の同じ号(この号が最終号となりました)の論文「計画経済の可能性――「計画と市場」論を超えて」でも問題提起をしています。
 私自身のソ連論研究は、著書として出版した『ソビエト経済学批判』の他には『赤報』紙に連載した「ソ連における階級の形成」という論文があります。これは出版の予定でしたが、フロッピーに入ったままになっています。この論文で、私は賃労働者が生産手段から完全に分離されているのに対して、ソ連の労働者は形式的には占有者としてあり、相対的な分離の関係にあるとしましたが、「緊急の課題」での商品、貨幣論にもとづき、「ペレストロイカについてのテーゼ」等で、積年のソ連論研究に一応のけじめをつけることができたのでした。そして、その1年後に、ソ連邦は現実に崩壊していったのですが、私は、結局70年後にネップの段階に立ちかえったとみる他はない、と考えています。この点については「協同組合運動と社会変革」を参照して下さい。

  (注)『赤報』紙など、当時の文献はサイト「リベラシオン社」で読めます。

   リンク:http://www.geocities.jp/liberationsya/rg.html

 

3)1991年での提起


 ここではソ連論について論じる場ではないので、話をもとにもどしましょう。1991年に岩井克人さんが『批評空間』に貨幣論を連載し始めました。そこには、マルクスの価値形態論についての新しい解釈が提出されていました。情況出版から、岩井説へのコメントが欲しいという依頼を受けて書いたものが「根源的他者と価値形態論」(『情況』1991年9月号)と「価値形態・貨幣・社会主義」(『情況』1991年12月号)でした。これらの論文に理論的な内容を書き終えた後、実践的な提起を付記しておきました。前者では「新たな知の形態の創造」を提起し、後者では文化的勢力のイメージを描きました。
 これらは、飛躍の第2で触れた「革命主体の形成」をふくらませたものですが、前者では「価値形態を廃絶しても残存するであろう社会という思考形態とどう向かい会うか」という問題を提起し、社会という思考形態が思考にとっては根源的他者であることを認めるところから、「新たな知の形態を新たな文化として形成していくための共同作業」を提案しています。そして後者では、政治では文化はつくれない、という政治の限界をどうするか、という問題をたて、「社会的パフォーマンスを共同で持続して演出し続ける」こと「共同して持続し得る運動形態を創出すること」を提案しています。というのも「文化の力はその存在の重力とでもいうべきもので決まる」からであり、「国家というレベルとは異なる文化圏」が「国境を越えて形成されていく」からです。
 私の『情況』論文には多少の反響もあり、ソ連社会主義の総括も議論になるかも知れないと思われたのですが、しかし一方で、1991年1月~4月の湾岸戦争があり、他方で1991年夏以降、ソ連邦が崩壊してしまうことで時代の雰囲気がすっかり変わり、日本の左翼の問題意識も変化し、ソ連社会主義の失敗の総括といった作業への注目もなされなくなってしまいました。こうして、私自身も協同組合という現場で問題提起をしていくという活動を土台としつつ、自身の理論活動に継続性を与えるために、研究所の設立をめざして『ASSB』誌の刊行にふみきることになります。

 

第3章 物象化と協同主体

 

1)協同と民主主義


 話は前後しますが、京都で京都生協とは別にもう一つの生協をつくろうとする動きがあり、1988年夏に、新しい生協の理念を明らかにすることを目的に、協同組合運動研究会が発足しました。私は当初からこの研究会に参加していたのですが、最初の問題意識は協同思想とは一体何だろう、というものでした。研究会を続けるうちに、だんだん明らかになったことは、民主主義と協同とのちがいでした。それで、このちがいをあきらかにすることを目標に「協同と民主主義」というテーマで1993年6月から1995年11月にかけて、14回の研究会をもちました。
 1回目は「民主主義の理論と制度」ということで、現行の憲法を素材としました。
 2回目は、「政治的解放と人間的解放」というテーマで、マルクスの「ユダヤ人問題」とパリ・コミューン論を取り上げました。
 3回目は、ホッブス、ロック、ルソーらの、いわゆる古典的民主主義論を研究しました。
 4回目には、協同組合運動史上有名なロッチディール原則をとりあげました。
 5回目のテーマが、アリスメンディアリエタの思想で、この研究会で、私の第3の飛躍がなされたのでした。
 アリスメンディアリエタの提起に力を得て、私は物象化論と協同との関連について研究会で報告することとし、1994年5月には「物象化への招待」を、同年7月には「本能的共同行為・無意識・意識形態」を、1995年4月には阪神大震災の教訓をふまえて「協同主体とは何か」を、そして同年11月にはシリーズ最終回として「脱物象化の運動論を求めて」を発表しました。

 

2)物象化についての研究


 「物象化への招待」で明らかにされた事柄は、協同思想とは物象化に向き合うものだ、ということでした。そこでは「民主主義は他から個を守るシステムとして機能するのに対し、協同は、他への働きかけでした。民主主義的要求では、物象化の解体には手が届きませんが、協同思想は、この物象化に正面から向き合っています。新しい社会運動は協同思想を選択することによって、今日の経済システムがもたらす物象化の解体という課題に正面から向き合っています。ここに新しい社会運動が自分自身について知るための手がかりがあります。」と述べています。
 「本能的共同行為・無意識・意識形態」では、科学知の存立根拠を価値形態の論理構造に求め、今日の意識形態の克服がどのような地点から始まらねばならないか、について次のように問題提起をしています。
 「この商品の価値形態の論理構造が、主体からも、客体からも切り離された、抽象的なものである科学的知をはじめとする意識形態の原形を提供しているのではないでしょうか。
 そして、意識が具体的なものから切り離され、抽象的なままで自立化されたとき、フロイトの言う無意識が浮上してきたとみなせるでしょう。資本主義以前の社会では、意識が科学として自立することはなく、精神は肉体から分離せず、肉体の活動が無意識として意識されることもなかったのでしょう。
 そうだとすると、物象化にもとづく本能的共同行為の解体は、今日の意識形態の批判とその克服、つまりは新しい文化と知の創造から始まることになります。
 市場経済のまっただなかに生み出されているもう一つの経済システムは、新しい文化と知を創造するネットワークとして機能する限りで、社会的に意義のあるシステムとして持続し、本能的共同行為に代わりうる社会的共同行為を形成して、物象化を廃絶していく道を拡げていくことになるでしょう。」
 「協同主体とは何か」は第4の飛躍で述べてありますが、この時点で、協同主体についての解明、という課題が意識されました。私は、研究会の案内文では協同主体とは何かということについて「(1)集団的主体であること(2)人間の意識的な社会関係であること(3)双方向のコミュニケーションがあること」と書いています。そして会報では、「協同主体への第一歩は、今日の社会で実現されている自立した個人という存在への批判意識から始まるのかも知れない」と述べて締めくくっています。

 

3)協同主体の形成


 シリーズ協同と民主主義最終回「脱物象化の運動論を求めて」では、従来、文化的勢力や新たな知の形態としての文化の創造というような抽象的な内容でしか提起できなかった運動の問題を、脱物象化の運動として規定することが出来ました。「脱物象化」という言葉自体は、社会学者、野村一夫さんの『リフレクション』(文化書房博文社)から借りてきたものです。
 マックス・ウエーバーは、近代社会が形成されていったときの科学的世界観の確立過程を「世界の魔法が解ける」と言いました。これは、中世の神学的世界観が解体されていく様子を表現したものでしたが、しかし以降の資本主義社会の発展は、魔法を解いたのではなく、中世の魔法に代わる新しい魔法をかけていくことになったのです。
 1960年代初めには、まだ、この新しい魔法は、人を虜にするほどにはなっていませんでした。19世紀後半から1960年代初めまで、人々は一切の魔法が解けていったように感じていたのですね。このころはまだ社会正義をかかげた反政府運動がさかんでしたが、当時は魔法が解けていっていたので、社会正義をかかげ、人間の理性に訴える政治運動が、大衆運動として成立しえたのですね。
 ところが、1960年代以降、世界には新しい魔法がかけられ、それがどんどん人を虜にしていきました。世界が再び魔法にかけられ、人々の意識が曇らされているときに、社会的正義をかかげてみても、その正当性を判定する基準を人々が見失っているわけですから、受け入れられません。会報ではこの問題を「運動の正当性を判断する基準をその運動が現代の魔法を解く方向に向っているかどうか、ということに置けないでしょうか。脱物象化、ということを運動の基準に置くことができないでしょうか。」と述べています。そして、私自身の課題を若者たちとの出会いと交流に求めました。
 「自分探しの旅に出ている大勢の若者たちと出会え、交流できる条件を探ってみます。それは多分、理性に訴えるロゴスではなく、身体と感性を満足させ、共感と連帯を生むパフォーマンスの創造でしょう。
 新興宗教にとっては、若者は金もうけの手段としてしか見なされていないし、自己開発セミナーは、結局は、魔法にかかった世界でもメゲずに生きていける知恵を授けることにしかなっていないようです。協同組合の時代の到来を実感し、協同主体の形成を実現しようとするとき、自分探しの旅に出ている若者達の望む協同のシステムを描き出すことができるかどうか、ここに試金石があると思われます。」
 こうして、ソ連論の研究から発し、価値形態論から廣松説とは別の物象化論を読み取り、それを政治に適用して、ソ連社会主義の総括をし、協同組合社会を提案して以降、協同思想の研究や文化的勢力の追求は、結局脱物象化の運動としての協同主体の形成、という新たな意味での協同主体の措定へと到ったのでした。

 

第4章 文化知の創造

 

1)全ての問題の見直し


 以降はこの新しい意味での協同主体論、脱物象化の運動としての協同主体の形成という見地から、全ての問題を見直してみようという衝動にかられるようになりました。それで、かっての戦友が呼びかけてくれた土曜会に参加しながら、協同組合運動以外の領域にも出ていって話をする機会をもつようにしました。1997年に行った講義に三つの記録が残っています。「もう一つの変革の可能性」は97年2月の協同組合運動研究会の記録で、モンドラゴン協同組合を評価する視点から、ソ連の総括と、現代の資本主義の危機について論じています。 

「もうひとつの社会革命の可能性(続)」は97年8月にフロント系の夏の合宿で話したことをまとめたものです。ここでは文化を基準にした政治、という見地から政治の再生について論じています。そして、最後の「協同思想の可能性」は、97年12月から始めたPC講座第1回の講義で、ここでは、私の協同組合運動へのかかわりという視点から、協同思想の可能性について述べています。これら三つの記録は、97年時点での脱物象化の運動論という見地からの革命理論や政治や協同思想の見直しでした。
 

2)文化知の方法の定式化


 運動主体の措定には見通しがついたものの、ずっと念頭であった価値形態論の論理を平易に解説する、という試みは解決しないままでした。それで、価値形態論の解明を中心課題とした1年間の有償の講座を97年12月から始めたのです。第1次PC講座がそれでした。その場での参加者に支えられることで理論上の進歩がなされました。第5の飛躍で述べた文化知の方法の定式化がそれです。
 文化知の方法についてはその後色々なところで述べていますが、ここではすでに言及した最初の定式「文化知の創造」(『ASSB』6巻1号)を参照してください。第1次PC講座終了後、いよいよ20世紀の共産主義運動を総括し、21世紀の社会運動の綱領を作成しよう、ということになり、綱領研究会を発足させました。信用論研究にずいぶん時間をとられましたが、アソシエ21関西事務局の活動を開始して以降作業が急速に進展したことは、「『可能なるコミュニズム』をめぐって、柄谷理論と綱領問題」で書いています。そして1999年の年末に草案を仕上げることが出来ました。これは第6の飛躍でした。
 綱領作成作業と平行して、私は、第1次PC講座で明らかとなった文化知の方法を、言語や社会や国家に適用してみたいと考えるようになりました。言語については講座の方で一応の解明は終えていたのですが、アソシエ21関西発足前段のプレ講座で、貨幣と言語について話をすることができ、また、京大11月祭では、国家についても言及することができました。その問題意識は、第7の飛躍であげた2000年4月のシンポジウムで、民主主義も貨幣と同様、日々生み出されている、という結論に到達しています。
 Office-Ebara のホームページが2000年1月に開設され、この頃からの文書はおおむねHPに出していますので、内容の紹介は差し控えておきましょう。以上が第2次PC講座に入る前の私の思想状況でした。

 

第5章 世紀末の最後の1年

 

1)課題の転換


 2000年度の私の課題は、綱領草案の解説文を仕上げることに置かれていました。この作業を中心にしつつ、第2次PC講座で脱物象化の運動論にもとづく協同主体の形成についての実践的方針の探求と、地域エル・コープの設立趣旨についての研究が計画されていました。
 ところが、新しい社会運動はすでに始まっていたのですね。そして新しい世代が運動に登場してきていたのです。このことで、私の当初の計画は大きく変化しました。この1年間の私の理論的作業については、『ASSB』で公表してきましたが、その内容は次のようでした。
  8巻1号「アソシエーションの政治(1)」「信用資本主義論のために(1)」
    2号「廣松哲学への疑問」「民主主義は日々生み出されている」
    3号「『モモ』を読む第1回」
    4号「『モモ』を読む第2回」
    5号「エマニエル・レヴィナス論」
    6号「カント研究序説」
 一見して知れることですが、1号の時点は、綱領草案の解説文の作成のための作業ですが、8月刊行の3号からは、その作業からは全く外れてしまっています。その理由は、先にも述べた新しい社会運動の始まりと、新しい世代の運動への登場でした。新しい世代には、20世紀の左翼の総括を目指した綱領草案の解説文などに関心は持てません。それで私自身、新しい世代と問題意識を共有する形で課題を設定し直したことになります。
  (注)これらの文献も次で読めます。サイト内検索をしてください。

  オフィス榎原のHP: http://www.office-ebara.org/

 

2)エンデの「新しい思考」


 ミヒャエル・エンデの『モモ』を取り上げたのは『エンデの遺言』が出版され、地域通貨が話題になっていたということもありますが、本当のところは、エンデが『モモ』で脱物象化のイメージを描いていたからでした。そして『モモ』がドイツの新しい社会運動の担い手たちに好意をもって迎えられたことが判明した1980年代はじめに、社会民主党の政治家エアハルト・エプラーと演劇女優のハンネ・テヒルを相手にした対談『オリーブの森で語り合う』は実は、脱物象化の運動論としての意義をもっていたのでした。さらにエンデが提起した「新しい思考」は文化知の先駆だったのです。
 以降は、エンデが提起した「新しい思考」をどのように具体化していくかが私にとっての課題となりました。そして、人間の意識とは何かをめぐっての近代知が議論されていた時点、つまりはゲーテの時代にまで溯ることになったのです。「新しい思考」が批判の対象とした科学知、あるいは近代知について、その成立の時期にまで溯ることでその限界を明らかにする、というエンデの試みを肉付けしてみようと考えてみたのでした。

  (注)エンデの『モモ』についてのHPの記述は『モモと考える時間とお金の秘密』(書肆心水)を出版したため削除しています。
 

3)第2次PC講座の進展


 他方で「協同主体とは何か」をテーマとした第2次PC講座も、前半の民主主義を終了し、いよいよ中心テーマと設定していた間主体性論や対話論に入ってきました。講座の準備のために、ブーバーとバフチンを再読していたとき、レヴィナスの『外の主体』のブーバー論にたどり着き、協同主体とは、実はレヴィナスが主張していた『外の主体』のことであり、そして、それは自己の意識の圏の外にある他者の絶対的他性を了解することからしか始まらないことがわかってきました。レヴィナス自身は、近代西欧哲学の存在論の批判をフッサールやハイデガーの哲学への批判として展開していたのですが、しかし、彼の個の唯一性を認める「形而上学」とは実は、思惟による抽象作用とは異なる存在における事態抽象の様式の発見だったのですね。
 レヴィナスの「外の主体」論と、他者の絶対的他性の承認、及び、唯一性をもった個が出会う場としての社会、といった問題提起を文化知の萌芽と捉えると、実はそこに脱物象化の運動論が含まれていることがわかり、その見地から「地域エル・コープ」のイメージを考えると「新しい思考で地域を考える」という形で脱物象化の運動論がまとまり、協同主体とは何か、というテーマに一応の回答を与えることが出来ました。

 

4)近代知の総括にむけて


 レヴィナスのあとでカントを読むと、カントの物自体とは絶対的他者論であり、レヴィナスの先駆であることがよくわかります。もっともそれ以前に、ゲーテのカントやヘーゲルに対する短評が急所を突いていて、それがカントを読む手引きとなった、ということもあります。とまれ、これまでどうしても好きになれなかったカントがやっと私の意識のうちに登場してきたのでした。
 カントを読んでわかったことは、マルクスがヘーゲル弁証法をひっくり返すと言っているときのひっくり返し方でした。エンゲルスの自然の弁証法は、単にヘーゲルの概念の弁証法の裏返しにしかすぎませんが、カントの他者論、超越論的仮象論と、ヘーゲルの概念の弁証法を組み合わせると、新しい思考がひらけてくるように思われます。(「カント研究序説」10、絶対的他者、外の主体の弁証法、参照)。そして、文化知についても、単に方法だけでなく、近代知の批判という形で提起していく方向性が明らかになりました。(「カント研究序説」14、科学的世界観を超えて文化知へ)

 

5)第3次PC講座の課題


 この1年間の活動を振り返ることで、協同主体論の課題が見えてきました。実践的な見地からすれば、組織と思想と政策ということになります。何よりも大きかったのは、協同主体の中味を新しいタイプの事業として位置づけることができたことでした。そうすることで「新しい思考」と呼んできた思考を肉付けしていく方向性も鮮明になってきます。さらに、政策の提言ですが、この点では、従来の市民運動の、個人として企業や行政に働きかける、というスタイルとは異なり、企業や行政とは別の協同主体の見地に立つことで、問題解決型の政策提言が出来るようになり、政策の策定も容易に軌道に乗るでしょう。

 文献目録

 

オフィス榎原のHPです。

http://www.office-ebara.org/

 

「この15年をふりかえって」文献目録は次です。

http://www.office-ebara.org/modules/xfsection06/