聞き取り調査当事者の自己紹介(3)

 

  『追悼にあらず』寄稿文 「政治運動と社会運動とを横断する新しい大きな物語を紡ぎ出そう」 榎原均

 

著者による解題

 掲載された論文には一部省略がありますがそれを復活させています。省略された箇所は、冒頭の節「新しい大きな物語の必要性」にある第三段落、「私が属した最後の政治組織は・・・その党とは国際非合法党でした。」、および第四、第五段落、「国際非合法党といっても・・・もう三〇年が過ぎたことになります。」です。

 次に、掲載された論文には、588頁に誤りがあり、修正してあります。自身の過去の論文を利用した際に、バフチンからの引用文を、著者の伊藤守の文章と錯誤してしまいました。それで次に正誤表をつけておきます。

 あと校正の段階で若干の修辞上の修正がありますが、それはこの寄稿文では統一していませんので掲載されたものと異同があります。

 

『追想にあらず』正誤表

●『追想にあらず』の榎原均論文「政治運動と社会運動とを横断する新しい大きな物語を紡ぎ出そう」に誤った記述がありました。次のように訂正し、伊藤守先生に、誤解を与えたことをお詫びします。なお伊藤守先生の近著は『記憶・暴力・システム―メディア文化の政治学 』で、所属は早稲田大学教育・総合科学学術院教授。専門は社会学、メディア・文化研究です。

 

①588頁:11行目 「伊藤によれば」→「バフチンによれば」

②588頁:15行目 「伊藤守、小林直毅共著『情報社会とコミュニケーション』、福村出版、1995年」→「バフチン『言語と記号の文化論』新時代社」

③589頁:5行目 「(同書40~41頁)」→「(伊藤守、小林直毅共著『情報社会とコミュニケーション』、福村書店、四〇~一頁)と述べています。」

新しい大きな物語の必要性

 私は、昨年からタイトルのような呼びかけを行い、サークル活動に取り組み始めました。大きな物語という言葉は、リオタールが『ポスト・モダンの条件』(原書は一九七九年)で「大きな物語の終焉」ということで、マルクス・レーニン主義に限らず、近代(モダン)の時代に受け入れられた理想主義的言説の終焉を説いたのが始まりでした。ポスト・モダンという言葉はそのうち日本の論壇でもてはやされるようになり、大きな物語の終焉も、ソ連崩壊以降はマルクス・レーニン主義の革命論が受け容れられなくなった、という現実を説明する便利な言葉となっていました。

 ソ連崩壊の衝撃は、特にソ連を社会主義社会だと信じていた人々に強烈で、研究者の多くは、沈黙し、また、ソ連はもともと社会主義社会ではなくて国家資本主義だったという説を主張する研究者もでてきました。しかし、私は、ソ連崩壊の直前でしたが、権力を奪取して社会を変革するという路線がまちがいであることを発見したのです。そのこともあって、大きな物語の終焉論には異論があり、マルクス・レーニン主義の大きな物語の誤りを具体的に明らかにする必要があると考え、そしてそうすればその反対面に、新しい大きな物語ができるのではないかと考えていましたが、実際に実践的な課題として掲げるには昨年まで待たなければならなかったのです。ということで実践的提起にいたるまでの経過について、簡単に触れておきましょう。

 私が属した最後の政治組織は共産主義者同盟(RG)でした。この組織は一九九四年に機関誌の最終号『共産主義』二一号を発行し、以降休眠状態に入っています。私の党派歴は、一九五九年に共産主義者同盟(第一次ブント)に加盟以降、ブント分裂後関西ブントに属し、一九六九年七・六事件の後は九回大会ブントでしたが、一九七〇年一二月一八日に荒派と決別して一二・一八ブントに属しました。共産主義者同盟(RG)は、一二・一八ブントから分離して、一九七一年秋に結成され、即爆弾を使った都市ゲリラ戦争を開始し、以降一九七六年に一斉逮捕されるまで地下に潜行して非合法党活動を展開していました。戦闘は七一年の第一波以降撤退していたので、戦闘を再開するかどうかは大きな論点でした。一斉逮捕された時点ではまだ結論は出ていなかったのですが、非合法党活動は文書による活動がメインでしたので、獄中にいても党活動が継続でき、七〇年前後の武装闘争の総括討論を開始し、総括を完成させました。その結論は、あらゆる事態に対して用意のある党活動であり、そしてその党とは国際非合法党でした。

 国際非合法党といっても何か組織的実体があるわけではありません。しかし、この党は、実体は何もなくとも私の意識のなかに存在し、今日でも私の活動を規定しているのです。

 先にふれたように、私自身、ソ連崩壊直前の一九八八年に、権力を取って社会を変革するという、従来のマルクス・レーニン主義の革命理論の誤りを発見し、以降政治運動から社会運動への転身を図りました。ですから、私は一九五九年に始まる政治運動を三〇年経験し、そのあと社会運動に伴走しはじめてから、もう三〇年が過ぎたことになります。

 社会運動に関しては、五〇歳近くになってからの新参者ですので、政治経験を元手に運動をリードしようというような助平根性は捨て、もっぱら運動に対する参与観察者としてふるまってきました。しかも新しく体験しつつある社会運動をリードできるような方針は、ずっと私の思考の先にあったのです。だから社会運動に関与している時代は、私は国際非合法党と社会運動への参与観察という二足の草鞋を履いていたことになります。

 国際非合法党の分野はある意味誤算続きでした。最大の誤算は、ソ連崩壊の原理的根拠として定式化した私の問題提起が、戦友たちに完全に無視されたことでした。『資本論』初版本文価値形態論を紐解けば、商品からの貨幣の生成が、商品所有者たちの無意識のうちでの本能的共同行為によることがわかります。そうするとマルクス・レーニン主義の常識からすれば、権力をとって商品・貨幣を廃絶しようということでしたが、この方針は、無意識の領域にある、商品からの貨幣の生成の問題を、政治という意志行為で干渉しようとすることになり、無意識を意識で統制しようという無理を含んでいたのです。そしてこのことが判明すると、商品から貨幣を生成しない交易関係を迂回してつくりだすという新たな路線が浮かび上がってきます。そして、それは社会運動の課題なのです。(拙著『価値形態・物象化・物神性』自費出版、一九九〇年、拙著『資本論の核心』情況新書、二〇一四年)

 この問題提起は無視されたまま、三〇年たったことになります。そこで私は今年から、方針を転換しました。学術的な厳密性の観点から説得するのではなくて、もともと無意識の問題を研究者や左翼は扱えないのだ、ということの確認の上に、『資本論』初版本文価値形態論と交換過程論とは、マルクスによる商品とお金の弁証法的精神分析であることを確認し、弁証法的精神分析について説明することにしたのです。これは昨年からの、大きな物語を紡ぎだすことをめざしたサークル活動のなかで、判明したことでした。

 ところでサークル活動というと、一九五〇年代の谷川雁の「サークル村」にまでさかのぼらねばなりません。私は、学生時代は谷川雁を愛読していて、とくに『工作者宣言』(潮出版社)はお気に入りでした。今読み返すと次のようなくだりがありました。

 「私は見えないものについて語る人間です。」(『工作者宣言』潮出版社、五頁)

 私が解明したソ連崩壊の原理的根拠の土台にあるのは、商品所有者たちの無意識のうちでの本能的共同行為でした。これは実は谷川が言う「見えないもの」ですね。私の誤算は、自分には見えてしまったので、他者にも見えるのではないかという思い込みで説得してきたことでした。他者には見えていない、とすれば説得の手段は文芸的手法が必要なのでしょう。だから大きな物語なのですが、それに気づくのが遅すぎたのかもしれません。谷川はもうひとつこう言っています。

 「つまりそれは論理では語ることのできないものを語ろうと決意し、ついには新しい論理を切り開く人間です。」(同書、二一頁)

 私は、関係とは論理では解明できず、したがって『資本論』の価値形態論も、商品と商品との関係の解明ですから論理では歯が立たないことはずっと前から分かっていました。しかし、これを説得する方法がわからない。仕方なく新しい「論理」を「文化知」として普及させようとしたのですがこれも理解を得られませんでした。それで、こちらの方は、「文化知」を発案してから一〇年たちましたが、二〇一七年に一般社団法人文化知普及協会を立ち上げ、英文で発信するサイトとして運営しています。

 この法人を立ち上げる前には、ルネサンス研究所関西のメンバーに、たまっている論文を英文にして世界に発信することを提案していましたが、賛同を得られませんでした。また哲学を研究している友人を誘うことを考えました。しかし、現在の若者たちは、何か組織を立ち上げる時に独りでやっていることに気づき、それで私も独りでやることにしました。小さく産んで大きく育てることを願って、英文発信のHPの内実を作っていこうと考えています。

 

物語はサークル活動で紡ぎだす

 サークル活動については今世紀に入って、若手の社会学者たちが注目し始めて『「サークルの時代」を読む』(影書房、二〇一六年)といった研究書が出版されています。私も国際非合法党を自任していながら、社会運動の参与観察だけでなく、なぜいまさらサークル活動かという気持ちもありましたから、一応何冊かの本にあたりました。ひとつは『サークル村の磁場』新木安利(海鳥社、二〇一一年)でこれは谷川雁や森崎和江の生活や活動を知るうえで便利でした。もうひとつは、思想の科学が編集した『協同研究 集団』(平凡社、一九七六年)で、そこで、鶴見俊輔が「なぜサークルを研究するか」と題する冒頭論文で次のように述べていました。

 「サークルの独自の活力は、書かれた理論のせまさをつきぬけて、縦横に動きまわる精神のための社会的空間を用意することにあると思う。」(『協同研究 集団』、一七頁)

 「サークルのもつ政治的意味は、主として文化に対する関心が自然に含まざるを得ない政治的関心(あるいは無関心)にある。サークル運動は、全体として見て、社会変革のプログラムを構想し育てる段階の小集団の形にはなり得ても、社会の中にプログラムを実現してゆく実践運動としては不適当である。」(同書、一八頁)

 この鶴見のサークル活動に対する評価は、私がこれから始めようとしている新しい大きな物語を紡ぎだす場としてのサークルの位置づけにそのまま採用できることがわかりました。そして、次のような呼びかけをしたのです。

 

 新しい大きな物語を紡ぎだそう(企画書) 二〇一八年六月二七日

 

 五月一九日に、「政治運動と社会運動を横断する新しい大きな物語を紡ぎだそう」という呼びかけで、ピースナビ主催のイベントを京都大学でやりました。盛りだくさんの内容を提起しましたが、やはり問題の中心は現在の経済・社会の動きをどうとらえるかということでしょう。そこでこの点に絞ったイベントを小規模でもいいですから企画したいと考えています。

 簡単にいうと、新自由主義、負債、社会的連帯経済、という三つの異なった事物の関連付けが必要だということです。

 従来新自由主義への批判は、「市場原理主義」というものであり、労働運動への抑圧と福祉国家の解体、そして貧富の格差の拡大というものでした。しかし、このような批判では、もっぱら保守的立場の表明につながり、新しい運動を作っていけません。

 新自由主義はすべての市場に競争原理を持ち込み、主として労働市場と金融市場の規制を廃止しました。その結果、新自由主義者の想定してはいなかった事態が起きたのです。それが金融市場のグローバル化の中で起きた「危険な債務」の増大でした。新自由主義はこの債務を抱え込み、これを防衛する必要から利子率を低下させ、資本主義のインフラである銀行の弱体化をもたらしています。また民間の「危険な債務」を国債等の公的債務に移転させ、国債残高をうなぎ上りにすることで租税国家の危機をもたらしています。他方、新自由主義は福祉国家の解体をめざし、国営企業や行政の事業の民営化を推進しましたが、これが実は社会的企業を作り出し、社会的連帯経済の拡大を促進したのです。

 ある意味、新自由主義は意図せずに資本主義の弱体化と次世代のシステムの萌芽を育てたのです。このような大きな流れの中で私たちの現在を位置づけることが大事だと考えます。

 新自由主義が作り出した行政の事務や事業の民営化は、社会福祉法人などの非営利組織を肥大化させています。しかし、受け手の社会福祉法人などの非営利組織自体には、自らが社会的連帯経済の担い手だという意識はありません。膨大に形成されていっている非営利事業体を社会的連帯経済の陣営に引き寄せていく活動が大事になってきています。そのためには三つの分野での横つなぎの活動が必要でしょう。

 一つは労働運動を企業内の運動から地域に目を向け、地域の非営利組織と結びついた社会的労働運動へと転換させることが必要です。もう一つは、非営利セクターの中で社会的連帯経済のモデルとなっている諸団体と様々な非営利組織をつないで行って、社会的連帯経済の拡大を図っていくことが大事です。また、生協陣営も社会的連帯経済の一員としての役割に着目した活動を展開していくよう促す必要があります。

 このような問題意識で話し合う場を作りませんか。

 

 この企画書は、私が属しているエル・コープの組合員向けに、サークル活動の呼びかけとして発信したものです。それを受けて、昨年のお盆休みに連続三回のお話会を開催することができ、その参加者の一人の発案で「お金の絵本プロジェクト」が発足し、お金についての分かりやすい解説をしようということになりました。

 他方で、この企画書に対して、社会運動の側の人には共感されるが、政治運動側に人には理解されないのではないか、何故なら、内容が政治運動を横断する形になっていないから、というコメントがありました。即答はできなかったのですが、よく考えれば、政治運動の側の人々は自ら境界を横断して社会運動の側に身をおけばいいのです。政治運動の側に身を置いたまま、社会運動について発言すると、伝統的な見方として、社会運動は政治運動の兵站だという認識がありますので、見当違いの発言になります。しかし私が発信しているように、権力をとってその力で社会変革をしようという路線には背理が含まれていて実現不能でした。そうすれば、貨幣生成が不必要な交易関係を迂回してつくりだすという新たな路線が見えてきて、その陣営としての社会運動というポジションが理解できるのですが、このような横断は、政治運動の限界の認識と、社会運動への好奇心を必要とするでしょう。そしていったんこの新たな路線から社会運動に注目すれば、政治運動の経験者なら、若者たちが資本主義を信用していないという現実を理解し、彼らに語りかける言葉を紡ぎだすことができるでしょう。そして、伝統的な政治運動が、資本主義の現実をとらえてはおらず、政治の現実に引っ張りまわされて、敵対している政府や自民党相手に、反射的に動かされているだけだという苦い現実を理解できるでしょう。それだから現在の政治運動は、資本主義のひどい現実に絶望している若者たちの共感を得られないのです。

 二〇一九年七月二日の朝日新聞には、貧困者への聞き取りが出ていて、政党支持について質問しているのですが、貧困者は自分たちの貧困と生活不安を認めつつも、その原因がわからないまま自民党支持なんですね。彼らにとって資本主義は自分たちの生活を支えるシステムとしては落第だと身をもって直感しているはずですが、その直感に訴えかける資本主義批判が左翼には準備できていなくて、貧困を政治的に解決しようという視点しかないのです。

 さて、この企画書は、エル・コープ以外ではあまり反応はありませんでした。縦型思考の日本社会では、それを突き破るような提起には、活動家といえども本能的に身構えるようです。しかし、谷川雁のように斜に構えた論陣を張る能力はないので、時を待っていました。そしてその時は来たのです。

 

日本での縦型思考の土台の崩壊の始まり

 今年六月金融庁が公表した文書にあった、「年金不足で二千万円貯めろ」の衝撃を、縦型思考の土台の崩壊の始まりとして把握すべきです。

 日本の統治は官僚独裁で、これは戦前の天皇制下の官僚が戦後も生き残り、支配を継続したことにもとづいています。天皇はマッカーサーにすがりつき、戦犯として裁かれることを回避するために沖縄を差し出して、自らの延命の取引を成立させました。(豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本』、岩波書店)

 明治以降、統治される人々は、お上が何かしてくれるという依存が習い性でした。戦前の財閥は解体されましたが、官僚制だけは戦前のそれが生き残り、それは戦後も引き継がれ、今日に至っています。日本独特の官僚支配は、戦後復興期の、ある種開発独裁の時期にはそれなりに機能しましたが、高度成長が終焉した消費社会に適合的だったとは思えません。この時期に農村の過疎問題、環境問題、少子高齢化は各官庁によってはっきり認識されていました。しかし有効な施策を打ち出せませんでした。というのも前例踏襲が規則である日本の官僚制では、高度成長を作り出した諸施策である交付金制度にあくまでこだわり、農村にしても環境問題にしても、少子化対策にしても交付金以外の施策をとれなかったのです。自民党は行政改革を唱えましたが、彼らも独自の施策は提案できず、官僚制の制度改革に限定されていました。

 九〇年代初頭のバブル崩壊後日本経済は破局に見舞われ、失われた二〇年を体験しました。官僚はなすすべを知らず、その自信も揺らぎ始めましたが、政府は新自由主義的改革で官僚制の再編を図り、同時に経済成長をめざしました。しかし負債経済の圧迫によって経済は破局的に停滞したままであり、政府は外貨の操作によって円安に誘導して大企業の輸出を促進しただけで、国民経済と人々の生活は、疲弊しています。しかも、為替相場に依存することで、大企業の国際競争力もがた落ちとなり、ITの部門での技術開発に乗り遅れ、技術開発においても、韓国や中国や台湾に後れを取るようになっているのです。

 人々の生活の領域では、格差拡大が進み、富裕層は金融資産の運用で巨額の金を稼ぎ、働く人々は終身雇用制の崩壊、非正規社員の増大で貧困層が生みだされ、バブル時代には一億総中流という認識がありましたが、現在は、労働者階級以下のアンダークラスと呼ばれる階層の増大によって、人々の生きづらさの増大が耐えがたいほどになっています。

 このような現実をどのように変革するか、という点に関して、既成の左翼政党や野党は確かなプランをもちえていません。人々の内面にある国家への依存症を治癒するような運動提起は全く見られないのです。その結果、ヘイトスピーチが横行し、ネトウヨが増大し、ポピュリズムの政治が横行するようになってきた、という現実があります。

 この危機をチャンスととらえる思考が今必要でしょう。お上に頼れなくなったということを知った中年以上の人びとにとってはある種のパニック状況に置かれているだろうし、その衝撃は、引きこもりといった弱者へのしわ寄せとして、彼らとその関係者が犯罪へと走る形で見えてきています。

 

大きな物語の終焉の時代を超えて

 リオタールの主張は、左翼の大きな物語だけでなく、理性に期待し理念を語るような時代が終焉したということでした。しかし、左翼の物語が間違っていたという論証はされているわけではありません。とまれ時代の変化については押さえておくべきでしょう。

 自立は一九六〇年代には吉本隆明らが使っていた左翼用語で、左翼が旧来の村落共同体への依存を捨てて自立せよ、という文脈で使われていました。それがなんと新自由主義の時代には、政府が自立を語り、その背後にあるのは自己責任論です。その前提には、人々を自立した個人とみる見方があるのですが、このいわゆる経済人(ホモエコノミクス)は生まれてから労働力になるまでの養育と、退職した後の老後のケアを無視したケアレスマンモデルで、このようなモデルで社会を設計すれば、その設計は破綻するしかありません。実際官主導で新自由主義を実践してきた日本では、老後資金の二千万円不足ということで、年金制度という社会契約の破綻を自ら認め、それを個人の責任に転化しようとしているのです。

 私はこのニュースが流れたときに即座に、ではお金のいらない生活をめざせばいいと考えました。菜園付きの小さな共同体をつくりシェアハウスで地域通貨を使い、日銀券のいらない生活方法です。この小さな共同体が日本に充満していけばいいのです。問題はこの共同体を運営する統治が、従来の「お上」頼みの日本人には期待できないということです。というのは自治の経験のない人たちなら、すぐもめ事を起こして分裂してしまいます。自治意識を獲得するには何が必要でしょうか。まずは交易のシステムが問題です。

 私は権力を取って社会を変革する(商品・貨幣を廃止する)ということが無理筋だと分かった時に、同時に迂回作戦を提起しました。それは、貨幣生成の無意識のうちでの本能的共同行為を不必要にする経済的条件を迂回して作り出すことでした。これを提起した一九八八年の段階では、この試みはあまり実体がなく、文化的パホーマンスの域を出てはいませんでした。しかし、一九九〇年代末には地域通貨の試みが流行し、これは小さな共同体に限定されてはいますが、無意識のうちでの本能的共同行為への反逆という意義を持っていました。人びとはこの共同体では、市場の見えざる手ではなくて、分かち合いの精神で交易することができたのです。この経験を生かすことが必要です。

 次に、時代の変化をつかんでおくことが必要でしょう。

 日本では、一九六〇年代以降の経済の高度成長と「豊かな」消費社会が実現されることで、成人男女とも、労働に縛られ自由な時間を失いつつも、消費で欲望を満足させる生活が続きました。大家族は崩壊し、都市では地域的つながりもなく個人化した人々が、消費で欲望を充足させる生活が続いたのです。しかし、それもバブル崩壊までで、それ以降は経済成長が低成長となり、社会のひずみが目立つようになりました。一九九五年には、そのひずみの資本家的な解決法として、経団連は終身雇用制の見直しと非正規労働のへの依存にかじを切り、早くも二〇〇〇年代初頭には、格差拡大と貧困層の増大がニュースとなり、反貧困ネットワークが立ち上げられました。そして二〇〇九年には自民党・公明党ブロックの政治権力を選挙で敗北させる政権交代もおきました。

 私はこのころNPO法人共生型経済推進フォーラムの活動として、社会的企業法制化に向けた政策提言作りをやっていて、政権交代の年に『誰も切らないわけない経済――時代を変える社会的企業』(同時代社、二〇〇九年)を発行しました。その時に、日本の政党政治の決定的弱点に気づきました。民主党は独自のシンクタンクを持っておらず、政策づくりは議員とその秘書たちの手作りのようなもので、権力を握ってからも官僚依存から脱出できなかったのです。日本では政策等の作成はもっぱら官僚が担当していて、官僚が様々な審議会等を開催し政策議論をまとめていきます。この官主導については自民党も中曽根内閣以降、行政改革という名目で対策を打ち始めていました。二〇〇八年に国家公務員制度改革基本法が成立していていましたが、その関連法案が六年後の二〇一四年に制定されたのです。その眼目は新しい任免システムで、新しく設置された内閣府の人事局が、高級官僚六〇〇人の任免権を握ったのです。こうして今日のアベ政治の特徴である官邸による官僚の一元的支配が生みだされることになったのでした。その結果官僚はもはや国民との社会契約の順守よりも官邸への忖度を優先させるようになり、国民にとって頼りがいのある「お上」の役割を自ら放棄しようとしているのです。

 年金問題とか少子高齢化の問題といっても現在の若者たちにはピンときません。アンダークラスと呼ばれる人たちは、年金などの社会保障だけでなく、資本・賃労働関係において、再生産(結婚できない)が不能な階層として、まったく頼りにならない資本主義を経験させられています。もちろん現在でもごく一部の上昇のエスカレーターに乗った人々はいるし、また、なに不自由ない富裕階層の子女たちもいるでしょう。しかし、まじめな若者たちで資本主義に不適応な人々が増えており、引きこもりや非正規就労で精神や肉体を病んでしまう人々は後を絶ちません。このような情景を背景にして、若者たちのシェアハウスや居場所づくりや、家庭菜園開発の試みが静かに進んでいます。この動きと「お上」に頼れないこと思い知った中高年とが結びつける運動形態が開発されれば、それは一気に広がるでしょう。

 「二千万円貯めろ」の衝撃をもう一つの自治社会を地域で作っていくという方向へと誘導していく政治がいま問われています。その時に役立つのは新しい大きな物語です。

 

現代世界の再把握

 大きな物語を紡ぎだそうとすれば、どうしても現代世界の把握が問われます。世界は実に多様で細部にこだわれば無数の分析が可能です。しかし、ここで問題にするのは、さまざまな政治的、経済的、社会的現象の背後にある、世界の趨勢です。

私は先に引用した企画書に書きましたが、現代の資本主義にとっての最大の問題は「危険な債務」です。金融資産にはいろいろありますが、共通している事柄は、誰かにとっての資産は誰かにとっての債務=負債(負債の方が一般的ですのでこちらを使います。)であることです。資本家が新規事業を始めるために株式を発行すれば、それを買った株主は株式という金融資産を持ちますが、その資産は株式会社の負債です。銀行からの借り入れは、借りた企業の負債ですが、銀行にとっては資産です。しかし、もともと銀行は預金を受け入れて貸し付けるわけですから、預金は銀行の負債であり、預金者の資産です。

 このように金融資産もさまざまであり、負債もさまざまですが、問題は一九八〇年代以降に、企業への貸付以外の金融資産が膨大となり、それはターナーによって「危険な債務」(ターナー『債務、さもなくば悪魔』、日経BP社、二〇一六年)と名付けられました。その典型はリーマン・ショックの原因となったサブプライムローンです。一九八〇年代にアメリカで発達した金融資産の証券化の技術によって、さまざまな金融資産の根にある債務証書が混ぜ合わされて証券化され、それがハイリスク・ハイリターンな金融商品として売買され、この種の金融商品が企業への貸付をはるかに上回る額に膨れ上がっているのです。企業への貸付は、企業がそれをもとに生産を行い、利潤をあげてそこから利子や配当を払います。しかし、消費者への貸付は、消費者が将来の収入から利子をはらうわけで、貸し付けられた資金が増殖することはありません。

 金融庁は年金制度の破綻により、老後資金が二千万円不足と予想しましたが、貯蓄で足りなければ投資で賄え、と提言しています。しかしすべての人が投資して利益を上げられるはずはありません。投資のための金融商品は、現在では郵便局まで含めて広く販売されていますが、少額の投資はほとんど大投資家に巻き上げられるでしょう。

 このように非生産的負債が増大し、なおかつこの体制を維持していくためには非生産的負債を増やしていくしかない、というジレンマに陥っている現在の資本主義は、破局を迎えているとみていいでしょう。破局とは危機とは違って、いったん落ち込んだ後に回復するという景気循環過程は取らずに、五〇年という単位でじりじりと衰えていくというイメージです。日本は一九九〇年代初頭のバブル崩壊から増大した負債の処理を解決できず、世界に先駆けて破局の道に入りました。年金も破綻し、少子化は解決できず、まさにもう一つの社会の形成のほかに道がないような時代の入り口に到達しているのです。

 このような時代に資本主義の不均等発展も従来通りとはいかないでしょう。従来は不均等発展による中心国の交代がありました。アメリカのシンクタンクモルガンはブラジル、ロシア、中国、インドの経済発展に期待しましたが、その予想通りには進展していません。むしろ新自由主義の成長政策が、民営化を通して、非営利事業を拡大し、もう一つの社会の実体となるべき社会的連帯経済の土台を作り出しているのです。この事態は資本主義自体が過渡期の経済を作り出しているとみるほかはありません。その趨勢はIT技術の発展によって一層促進されていくでしょう。(IT技術とそれに伴う資本主義企業の価値増殖過程の変容については調査中です。)

 このような資本主義の趨勢を踏まえてみると、中国が鍵を握っていることがわかります。しかし、中国共産党はまだ、自らが規定する、過渡期における社会主義の初級段階からコミュニズムへの移行にいたる路線を打ち立てることができていません。現代中国は、国家資本主義か市場社会主義かという論争問題がありますが、一九七八年に、鄧小平が指導部に復帰してから始まる、改革開放時代から中国は急速な資本主義化に成功し、その土台は国家資本主義であることは間違いありません。

 従来の市場社会主義のモデルは旧ユーゴでした。ユーゴではいったん国有化した企業の自主管理と市場化でしたから、そこには資本主義企業は存在していません。しかし、ロシア革命初期の、戦時共産主義を収束させたネップ(新経済政策)の時代のロシアはどうでしょうか。レーニンは、戦時共産主義時代の、農民からの食糧の徴発に代えて食料税を採用して市場を公認し、かつ国家資本主義の育成を図りました。これがずっと続いておれば、発達した国家資本主義を土台とした市場社会主義が実現されたことでしょう。このネップを市場社会主義のモデルとすれば、現代の中国は、まぎれもない市場社会主義と規定できます。そうすることで資本主義先進国における過渡期経済の拡大に呼応した運動を中国でも開始することが重要だということに気づくことができるでしょう。

 現代世界の底流にある動きについての試論を述べました。

 

革命後の政治の必要性

 革命後の政治の解明という課題は、連合赤軍の粛清が新聞で報道されていた時期に、着想を得ました。小なりといえでも軍を組織すればその集団は国家になるのではないか、という問題意識から、連合赤軍は内部対立を党の規律で処理しましたが、国家になっている以上、党の規律とは別の法的基準が必要だろうということでした。この着想からさらに進んで、ソ連にしても中国にしても革命後の政治がブルジョア政治を引きづっていて、革命後の政治についての開発がなされていないという発見が続きました。

 その時に政治とは何か、という問いかけにレーニンがどこかで言っている「政治とは、同意によるか強制によるかは問わず、他人の意志の領有である」という意味の言葉に納得しました。そして階級が存在するときの政治には、支配階級の政治と被支配階級の政治が対抗しています。社会主義革命の理念は階級の廃止ですから、権力奪取の後、古い支配階級の政治を脱却しなければならないはずです。そのためには社会の下部構造である企業の自主管理・自主運営が実現されていることが必要でしょう。

 しかし歴史的には、遅れて発達したロシアや中国で革命がおこりましたから、企業の自主管理・自主運営は実現されず、革命後の政治は古いブルジョア的政治を継承してしまい、官僚独裁の下でその政治は政治的自由権の抑圧という内容をとらざるを得ませんでした。そうなるのは、資本主義社会の下では人々は資本の下に経済的に隷属しているので、政治的自由の保障は社会的危機には至りませんが、しかし過渡期社会で、資本の下への労働の隷属が廃止されているという条件の下で政治的自由権を保証すればどうなるでしょうか。この事態は、支配している官僚には、政治的自由にもとづく自由な政治運動を許せば、やがては政治的危機を招来させざるを得ないという危機意識をもたらし、政治的自由の制限を継続するでしょう。

 この時の着想は、一九九四年に発刊した『共産主義』二一号に、提案、という形で問題提起しています。しかしこの革命後の政治という問題提起は、二五年間の社会運動の参与観察からは呼び出されることなく、すっかり失念していました。ところが、二〇一四年に、若者たちの居場所づくりをめざして、社会センター研究会を立ち上げたところ、現に居場所を作っている若者たちが集まり、私もその活動の参与観察を始めたのでした。もともとの私の発想は、ヨーロッパでは大都会の空き家や工場を占拠して、若者たちがそれを自由に使っているのに日本ではなぜそれができないのか、ということでした。

 二〇一五年には、大阪市の梅田から歩いて一〇分の好位置にあり、開発が遅れて昔の商店街がシャッター街と化している中津で、シェアハウスとカフェの休日を利用した五百円食べ放題の地域食堂が始まっていて、私は研究会をそこでやることにしました。毎週月曜日の地域食堂はブラックマンデーと名付けられ、地域の人たちをはじめ、学生や引きこもりなど様々な人々が来ていました。そしてその勢いで、この年の夏には中津文化祭を企画し、百名規模のイベントができました。

 このように中津に共同体があり、それが地域の人びとと結びついているという共同体の魅力にひきつけられて集まってきた多くの人たち、このような現状を踏まえて、文化祭以降この運動をどのように継続させていくかという課題が現れました。その時にカフェを毎日借りて、弁当屋をやろうという話が年末にまとまり、急速に準備がなされたのです。その事業の仕組みが、無給で働いて衣食住は保証するということになり、二〇一六年二月からいよいよ始める、ということになりました。

 ところがこの提案は従来から来ていた共同体のメンバーには受け入れられず、ごく少数のメンバーで見切り発車的に始められたのです。弁当屋が開業して以降、それまでブラックマンデーに来ていた人たちも寄り付かなくなりました。しかし弁当屋の方は地域にニーズがあったために結構繁盛しました。それでうまくいったかといえば、内部での問題解決の方法に未熟だったことで紛争が発生し、六月には閉店となりました。この事態に直面して私は革命後の政治の開発の必要性を痛感したのです。この紛争は、たった一桁のメンバーのあいだでの、共同体の内部問題解決すらうまくできない、ということを示しました。これを超えていかなければ、もう一つの社会もヘチマもありません。

 私が一九八〇年代末に社会運動の参与観察を始めたときから、自主管理・自主運営という課題をどのように解決していけるのか、という問題意識はずっと頭のなかにありました。自治論の大家である、カストリアディスを研究して、自治には制度も必要だが、自治をしようという意志がなければ始まらない、という晩年の主張を知ってなるほどと共感しました。自治や自主管理の制度設計はそれなりにありますが、人々が自治を企てないところには自治はないのです。だから、「お上」に頼って自治の出来ない人々にとって、「二千万円貯めろ」はもはや「お上」には頼れないということが明白になった事件としてすごい衝撃波として作用するでしょう。人々は生活しようとすれば、嫌でも自治を企てざるを得ない時期に入ろうとしているのです。

 他方自治の対極にある日本の官僚制についても少しかじり、官僚が階級であった戦前の体制がそのまま維持され、戦後には法制的には官僚は身分となったのに、相変わらず階級として非合法的に行動し、「全体の奉仕者」ではなくて国民に君臨する支配階級として存在していることも知りました。

 この発想は、獄中で、ソ連について研究した時に、その共産党と官僚制をどのように把握するかという問題で、官僚が階級に転化している、という結論を出したことが支えになりました。マルクス主義の理論では、支配階級は生産様式における支配的地位を占める階級とされていて、官僚はそのような存在ではなく、この発想からすれば、ソ連の官僚を階級として位置付ける試みはそれまでなかったのです。しかしソ連における主要な企業は国家的所有でしたから、官僚は国営企業という生産様式における支配者だったのです。

 考えてみれば、人類最初の社会は宗教であり、最初の支配階級は宗教官僚でした。古代メソポタミアでは神殿が政府と銀行の役割を果たしていました。この階級の始原は、階級消滅の未来を予測させます。階級社会を終わらせるべくなされた社会主義革命が過渡期社会をつくりだしたときに、人類史上最初の階級だった官僚が、人類史最後の階級として再び君臨するという、歴史的に見れば妥当な見通しが立てられるのです。

 ことのついでに、商品・貨幣の廃止の問題についても同じ類推が可能です。貨幣生成の無意識のうちでの本能的共同行為を一国内で直ちになくすことは困難ですが、しかし外国貿易は別です。もともと貨幣の始原は世界貨幣でした。共同体同士のバーター取引の際にも、価値尺度が必要で、それが世界貨幣です。古代メソポタミアでは銀が世界貨幣でした。信用が先か貨幣が先か、という論争で、信用の先行を主張する論者はおおむね貨幣を鋳貨と捉えています。確かに古代メソポタミアを見ても、銀が世界貨幣であり、価値尺度として機能しつつも、銀は鋳貨ではありませんでした。むしろに日常的な交易のための通貨は大麦でした。鋳貨はもっと後の時代にリディアで使われたのが最初といわれています。他方で古代メソポタミアでは信用(貸借)が一般的でした。楔形文字が書かれた粘土板が神殿に保存されていますが、それは貸し借りの記録だったのです。

 つまり貨幣の始まりが世界貨幣だとすれば、その消滅は世界貨幣から始められるということになります。というのも国際交易では、例えばリエターが『マネー崩壊』(日本経済評論社)で提案したように、地域通貨で決済することが可能であり、金を貨幣にする本能的共同行為に代わる方法の採用が可能だからです。この場合金は価値尺度として機能するだけで、その代理者である国際通貨は不必要となるでしょう。ドルの支配を回避するためのオルタナティブな国際交易の可能性が開けてきています。

 

革命後の政治解明のための課題の提起

 革命後の政治を考えるときに、ひとつは政治運動の側から社会運動の方へと境界を越えて横断することが問われ、その際に迂回作戦という新しい路線についての認識が必要であること、その上に自主管理・自主運営のガバナンスが必要となり、万人が自治の企てをするような状態をつくりださねばならないこと、というように数えあげていくと、その大元にある思想的な問題の解決を迫られます。それが自己意識をどのように捉えるかという難問です。

 リオタールの近代の大きな物語は、デカルト的自己意識(「われ思う、ゆえにわれあり」という有名な言葉にもとづく自立した個人の自己意識)が人びとをとらえていた時代の産物でした。ポスト・モダンとはデカルト的自我の崩壊が主張される時代でした。しかし、デカルト的自我の崩壊は論壇で論じられていただけで、その自我の崩壊を促進し、新しい人間像をつくりだすような社会運動は未展開でした。

 たまたま私は、商品とお金の弁証法的精神分析を始めているので、フェリックス・ガタリに注目していましたが、ガタリはデカルト的自我の代わりに、資本主義という機械に接続された機械としての労働力の担い手の自己意識を欲望機械と捉えて、このような機械への接続と自らの機械化によって、人間は、もはや統一した自我が持てなくなっていることを指摘しています。自我は一人の個人が構想する世界ではもはやなくて、個人を取り巻く資本主義という環境世界から機械的に構成されているのです。

 われわれ古い人間は、デカルト的自我を刷り込まれて育ちましたので、そこから脱却することは非常に困難です。どうやら古い政治運動や組織論は、デカルト的自我を統一し団結する形であって、デカルト的自我が崩壊した現代では、空回りせざるを得ないのでしょう。

さて、革命後の政治について、私はまだ定見を獲得しているわけではありません。いまだ探求途上の舞台裏を明かして共同開発の作業を提案したいと考えます。

 デカルト的自我の再検討の試みとして、コミュニケーション論があります。ブーバーが提起した二つの「根源語」である「我―汝」と「我―それ」は示唆的です。人はまず他者と関係し、「我―汝」関係として接するのですが、やがて他者をモノとして利用する「我―それ」関係に移行してしまいます。こちらの方は我以外のものを経験の対象と捉える立場となり、デカルト的自我の領域です。他方「我―汝」の方は関係そのもので、ブーバーはこの関係そのものに人間性を見ているのです。そして、汝の二重化という現実の諸条件の下で、「それ」の「汝」化を追求しようとしているのです。

 あと、発話に注目した人としてバフチンがいます。バフチンによれば、「言語活動(言語・発話)の真の現実とは、言語形態の抽象的な体系でもなければ、モノローグとしての発話でもありません。ましてや、モノローグ=発話を産出する心的・生理的な作用でもありません。それは、ひとつの発話と多くの発話とによって行われる、言語による相互作用(コミュニケーション)という、社会的な出来事(共起・共存)です。」(バフチン『言語と文化の記号論』新時代社、二〇八頁)

 つまり対話とは、情報伝達の仕組みというよりは、共存の場として開かれた社会的な生活そのものなのです。伊藤は、「両者(ブーバーとバフチン)が対話的な論理を問いかける際に、共通した原点に立っていることである。人間はけっして孤独な孤立した存在ではありえないこと、理性的な自立した個人という近代の原理が誤りであること、そしてそうした原理に立脚して構成された近代社会の社会的関係は、その内部に『非合理的』で『非人間的な』抑圧の体制を内在させているという認識である。これらの問題を析出し照射するものとして、コミュニケーションの理論が構想されたのである。」(伊藤守、小林直毅共著『情報社会とコミュニケーション』、福村書店、四〇~一頁)と述べています。

 ブーバーにしてもバフチンにしても第一次世界大戦の惨状に直面して近代的原理の批判に向かったのですが、しかし、ここで伊藤が述べているような知見は、戦後経済の高度成長と消費社会の実現によって、すっかり忘れ去られてしまっています。「自立した個人という近代の原理」は現在も大手を振って通用しているのです。

 近代的自我のもう一方からの批判はグレーバーによってなされました。大著『負債論』(以文社、二〇一七年)の該当箇所を引用して何度も報告したのですがなかなか理解されません。それでここではみなさんに検討していただけるように、ほぼ全文を引用しておきましょう。

 グレーバーは、貨幣が生まれる前とそれ以降の負債についての考え方を歴史的に解明しています。貨幣が生まれる前の負債は借金ではないのですが、しかし人は基本的に何かに負って(つまり何かのおかげで)生まれ生存しているのです。グレーバーは、自己の存在をなにに負っているか、ということについての古代人の考えを現代風に示して次のように述べています。

 

 「彼ら(古代インドのブラーフマナの作者たち――引用者)による答えに(古代インドにも王や政府が確実に存在していたにもかかわらず)『社会』にも国家にも言及がみられないのは意義深い。そのかわり負債は、神に、賢者に、父に、『人間たち』に〔個別的に〕定められている。彼らの定式をより現代的な言語に翻訳することはさほどむずかしくはなさそうだ。そこで次のようにまとめてみた。結局、わたしたちが自己の存在をなによりもまず負っているのは、

 ・宇宙、宇宙の力、現代的にいいかえると<自然>に対して。わたしたちの存在の基盤にたいして、である。それに対する負債は儀式によって返済される。儀式は小さきわれわれを凌駕する存在すべてへの敬意と承認の行為である。

 ・わたしたちにとって最も価値ある知識と文化的成果をなしえた人びとに対して。人間の存在は、それらの知識と文化的成果によって、枠組みと意味、そしてまた形態をも受け取る。ここには私たちの知的伝統を創造した哲学者や科学者だけでなく、ウイリアム・シェイクスピアから中東のどこかでイースト菌入りのパンを発明したが忘れ去られたままの女性までふくまれる。それらの人びとに対する負債は、わたしたち自身が学習し人間の知識と文化に貢献することで支払われる。

 ・私たちの両親、およびその両親――つまり祖先に対して。じぶん自身が祖先となることで返済される。

 ・人類全体に対して。異邦人に対する寛容によって、人間的諸関係つまり生を可能なものにする、社会性にかかわる基本的なコミュニズム的土台を維持することによって返済する。

このように整理してみると、議論が前提そのものをむしばみはじめる。これらは商業的負債とはなんの関係もない。」(『負債論』、一〇一~二頁)

 

 このように貨幣が生まれる前の時代の人々の負っているものへの返済の仕方について述べた後、グレーバーは貨幣が生まれた後の借金(債務)の返済を要求する倫理のなかに、すべての存在を取引の対象とするとみなし、宇宙や神との取引も想定していることについて次のように述べています。

 「すでに万物を有しているゆえに神々との取引が不可能であるとすれば、宇宙との取引もまちがいなく不可能なのだ。・・・人類または宇宙から分離した存在としておのれをみたて、こうして一対一の取引を可能であるとする想定自体が、死によってのみ返答の与えられる犯罪なのである。わたしたちの罪責性は、宇宙に対する負債を返済できないことによるものではない。わたしたちの罪責性とは<存在するすべて、またはこれまで存在してきたすべて>と、いかなる意味であれ同等のものであると考えるほどおもいあがっているため、そもそもそのような負債を構想できてしまうことにあるのだ。」(同書、一〇二~三頁)

グレーバーの批判は、この万物との取引を可能とする負債についての考え方にとどまりません。さらに現代の確立された権威のすべてのシステムの欺瞞性について次のように述べています。

 

 「今日の個人主義的な社会にふさわしいエートスを求めるとするならば、次のようにいえるだろうか。ひとはみな人類、社会、自然または宇宙に対して無限の負債を負っているが、べつのだれかが支払い方法を指示できるわけではない、と。これは少なくとも知的には筋が通っている。もしそうだとすれば、確立された権威のシステムのほとんどすべて――宗教、道徳、政治、経済、刑事司法体制――をそれぞれ異なる欺瞞の方法とみなすことができる。それらは計算不可能なものを計算できるとうそぶき、制約なき負債のうちのあれこれの部分をかくかくしかじかのように返済せよと指令する権限を詐称するにすぎないのだ、と。だとすれば、人間の自由とは、返済方法をどうしたいかをじぶん自身で決定するわたしたちの能力ということになる。

 わたしの知るかぎりこれまでこのような発想をした者はいない。実存的〔存在的〕負債についての理論は、そのかわり権威の構造を正当化する――あるいは権威の座を主張する――手段に常に堕してきた。」(同書、一〇三頁)

 

 このグレーバーの近代の権威システムへの批判をどう生かしていくか、その際に浮かび上がるのは市場の問題です。昨年関西大学で、酒井隆史さんをお招きしてグレーバー『負債論』をめぐる講演会を実施しました。その時の内容は、『情況』二〇一九年冬号に掲載されています。

 この雑誌に寄稿を寄せた植村邦彦さんによれば、イヌイットたちは、野生動物を神とあがめ、そして、その神からの要請として、人間の共同体内部では、食べ物の分かち合いが行われ、分かち合いをしないと、神の掟に背くことになるというのです。植村さんは次のように述べています。

 

 「ここで重要な論点は、『他の人びとと分かち合う』ことが、『人間と野生動物との互恵的な関係』という想像上の関係によって命じられた『適切な態度と意図』の表現だと理解されていることである。このような倫理的行動規範を逆から言えば、『他の人びととの分かち合い』が行われないと、人間と野生動物との関係は『互恵的』なものではなくなってしまい、野生動物の『再生』(つまり食物の再獲得)が保証されなくなる、ということである。」(植村邦彦「贈与と分かち合い――グレーバーの『負債論』をめぐって」『情況』二〇一九年冬号所収、一五七頁)

 

 これと比べて、現在のお金は、市民社会の神の位置にあります。お金を神とあがめていながら現代人はなにをしているかといえば、分かち合いではなくて、自己利益だけを追求しています。これは一体なぜなのでしょうか、と植村さんは問題提起しています。

 私はこの植村さんの問いにたいして、イヌイットが野生動物を神としてあがめたのは、自分たちの食べ物を持続的に確保しようという意志によるものであるのに対して、お金の場合は人間の無意識のうちでの本能的共同行為によって生成し、そして、いったん生成したお金を神としてあがめる、という仕組みになっていることが関係しているように思います。

 人間はもともと、共同体内では分かち合いを実現してきましたが、資本主義的市場社会になったとき、市場は資源配分能力をもっていますから、その自生的秩序にまかしておけば、社会全体の経済はうまく運営される、という市場信仰のもとに、個々人は勝手に振るまえばいいという、それまでの歴史にはなかった「自由」な個人が誕生することになったのですが、そのことが大いに関係していると思われます。つまり、ブーバーやバフチンの提起、さらにはグレーバーの問題提起を活かしていくためには市場批判との関連で問題をとらえる必要があるということです。そして革命後の政治も、市場をどうとらえるかという難問を解決しなければなりません。

 

大きな物語を紡ぎだすことは万人の課題

 私は、革命後の政治の解明のために、意図的にナマの素材を出しました。それは、新しい大きな物語を紡ぎだすという課題の実現のためには、紡ぎ手が大勢の人々となることでしかなされえない、という認識からです。

 私は、かつて「資本主義を超えるプロジェクト」を提起しました。それは次の通りです。

 

 「このプロジェクトは次の五点の確認から始まります。

(一)資本主義を超えることが課題となっている。

(二)そのためには、社会のあらゆる領域から超えていくデザインとプログラムとが構想され、それにもとづいた取組みがなされなければならない。

(三)多数のプロジェクトが必要である。しかしそれは世界中の意志ある人々の全員参加のプロジェクトでないと成功しないだろう。

(四)資本主義を超えるという問題意識をそれぞれの持ち場で具体化していくこと。

(五)差異を力に変えうる組織を生み出すこと。」(拙著『「資本論」の核心』情況新書、九~一〇頁、二〇一四年)

 

 私の今回の提案は、この提起の延長にあります。かつてのように、どこかの大知識人が物語を語れるような時代は過ぎ去っています。大勢の人たちが物語を紡ぎだせるような技術的条件は、SNSなどの技術によって保障されています。問題は、大勢の人たちが新しい大きな物語を紡ぎだそうという意志を持ち、それを企てることです。この意味で革命後の政治の解明は、ひとりひとりの問題なのです。