一般社団法人 文化知普及協会
The association for diffusing cultural wisdom,a general corporation aggregate
縮小社会研究会/母なる地球を守ろう研究所連続セミナー 労働者協同組合学習会
第3回報告 協同組合を通じた社会的連帯経済に関する最近の動き 境 毅(生活クラブ京都エル・コープ)
連絡先:sakatake2000@yahoo.co.jp
目次
はじめに
1.社会的経済と連帯経済(本の紹介)
1)社会的経済
2)連帯経済
3)スペイン事情
2.スペインの深堀
1)15M(キンセ・エメ=5月15日)の衝撃
2)広場占拠から地区評議会へ
3)注目すべき動き「住宅ローン被害者プラットフォーム」(PAH)
4)15Mから始まった運動の特徴
5)運動の疲労とポデモスの登場
6)ポデモスの限界
7)課題は代表関係の克服
3.バルセロナに注目
1)2015年バルサロナ・アン・クムーが、女性市長を誕生させる
2)バルサロナ・アン・クムー編集の「世界都市」のガイドブック
3)市長就任後のバルセロナのスマートシティの市民化
4)工藤律子の報告は、時間銀行等の補完通貨(地域通貨)
① 2017.10.21、共生型経済推進フォーラムでの工藤律子報告
② 『雇用なしで生きる』と『つながりの経済を創る』に見る根っこ
4.根っことしての地域通貨(私の経験の報告)
地域通貨の原理と実践(2000年作成したものを改訂)
原理的考察、実践論、チラシ
はじめに
私はいろいろ運動をやってきて、成果が期待したものにならないことにずっと気になっていました。日本では自治体が運動に寄り添わない(例えば、私は90年代に新規就農者への聞き取りをやりましたが、彼らへの援助は全くなかったのです)ことは目につくのですが、もうひとつ商品(雇用されている人は労働力を商品にし、自営業者は作ったものを商品にする)の魔力についてずっと考えてきたのですが、それについて第2回目で報告させてもらいました。終わってからまた新しい気づきがありました。
変態という発想の延長ですが、資本の謎が比ゆ的に表現できるのです。
お蚕さんの繭を考えてください。労働者であるお蚕さんは、糸を紡いで繭を作ります。これは労働者が不払い労働で資本を作っているのですね。この資本はやがて繭になってお蚕さんを閉じ込め、そして幼虫はその中で蛹になります。
だから我々は資本という繭を自ら作り出して、今その繭のなかで労働力商品として繭を強化し、それに飽きてきて蛹になろうとしているのです。この蛹のなかで、労働者協同組合や社会的連帯経済が動き始めて、やがて脱皮し、繭も突き破る。
つまり我々がやろうとしていることは、この繭や蛹のようないろいろな困難(政治的・経済的・思想的)に取り囲まれているのではないか。そのように感じ、第3回目の社会的連帯経済の調査に取り組みました。
実は私は、商品・貨幣・資本の秘密については『モモと考える時間とお金の秘密』に書いていました。いま取り出してみると、2回目の報告の後半部分の事柄は平易に説明されています。エンデ自身晩年にはお金の研究に真剣に取り組み、それはインタビュー『エンデの遺言』(講談社α文庫)に記録されています。エンデの『モモ』は、資本を時間泥棒にファンタジー化し、資本の蓄積の秘密と、お金の秘密に迫っています。前回の報告で興味を持たれた方は、ぜひ拙著をお読みください。
境毅著『モモと考える時間とお金の秘密』(書肆心水、2600円+税)
購入は出版社まで
http://www.shoshi-shinsui.com/buying.htm
エンデに言及しましたので、ついでに、エンデが『モモ』を書くのに6年間もかかった、と述べていて、その原因は、時間泥棒がひとびとからは時間を盗めるのに、なぜ主人公のモモからは盗めないのか、という理由についてのゲームのルールがわからなかったといっています。そして、ある日の朝食時に稲妻のようにひらめいた、というのです。そのルールは時間は節約してため込んでいる人からは盗めるが、モモはそれをしないというものでした。こうして時間貯蓄銀行のアイデアが生まれ、物語全体が動き出したといっています(拙著、12~3頁)。
私はいま、これに似た体験をしています。今回のセミナーでの報告を用意する過程で、テレストリアルからのグレート・リセットというアイデアに巡り合ったのです。そして私の報告は当初の計画からはみ出して勝手に動き出したのです。芸人ではないのでライブはやったことがありませんが、まさに参加してくださるみなさんとライブ感覚で過ごせています。みなさんはいかがでしょうか。
今回は社会的連帯経済の紹介がテーマですが、スペインを深堀します。今日の運動は、2008年のリーマンショック以降の、2010年のチュニジア発のアラブの春から始まり、2011年1月のエジプトでのタハリール広場の占拠、そして5月15日からのスペインマドリードの広場占拠、最後を締めたのが9月に始まるウォール街占拠でした。日本でもフクシマ原発事故を契機に久方ぶりに大きなデモが繰り返されました。しかし、日本ではごく一部の小規模な闘い以外(大飯原発包囲)は広場占拠にまでは進めませんでした。この経過については、後藤康夫「2011年グローバルな占拠闘争の人類史的意義」という論文に詳しいのでそれに譲ります。現在から顧みれば、2011年は、世界では下からのグレート・リセットの烽火だったのかもしれません。それでは本論に入りましょう。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/peq/50/1/50_KJ00009361245/_pdf
1.社会的経済と連帯経済
社会的経済と連帯経済についての本の紹介ですが読むのは大変です。研究者以外にはお勧めしません。
1)社会的経済
① ドゥフルニ、モンソン『社会的経済』(日本評論社、1995年、原書、1992年)
国際的な研究者集団「CARICE」(国際公共経済学会)の調査
EUでは当初、ソーシャル・ヨーロッパの建設という目標があり、EU政府23局がその担当であった。「社会的経済は、参加経済とも称されうるものであるが、経済的な統合過程と社会的な統合過程の双方にとって主要な要素となっている。」(序文ⅲ頁)
スペインには社会的経済助成局(INFES)がある。それがこの書の刊行を助成した。
冒頭論文はドゥフルニ「第3主要セクターの起源、形態および役割」
「過去10年ほどの間に、第3セクター、非営利セクター、そしてフランスの『社会的経済』セクターといった用語が使われることが多くなってきた。」(9頁)
これらは「協同組合、共済組合、非営利組織」からなる。
フランスの社会的経済の起源は古い。協同組合と共済組合誕生時に構想された。19世紀の概念は今日のそれよりも広い。そして20世紀を通じて混乱が続いた。
フランスでの社会的経済の再登場
1970年代になってフランスの協同組合と共済組合が接近し、1975年には「協同組合・共済組合・非営利組織全国連絡委員会」が結成された。78年にはこの委員会がヨーロッパ会議を開き、第3セクターという現実への認識が深まった。
1981年にはフランス政府(大統領は社会党のミッテラン)が「社会的経済各省代表者会議」を設置した。その後「社会的経済事務局」が政府内に設置され、80年には社会的経済憲章が採択され、81年には「社会的連帯基金」が設立され、83年には「社会的経済振興協会」が設置された。(上からの社会的経済の育成の時期)
週刊の定期刊行物、季刊の研究報告書などが発刊され、「社会的経済指導青年センター」も発展を促進した。
福祉国家の危機とソ連社会主義の崩壊が、社会的経済を注目させるようになった。EU全体に広がる。
スペイン政府の『社会的経済白書』
「社会的経済とは、主として協同組合である企業や、共済組合、非営利組織によってなされる経済活動からなり、以下のような原則を承認するものである。
――利益よりもむしろ構成員あるいはその集団に奉仕することを目的とする
――管理の独立
――民主的な意思決定過程
――収益の分配においては、資本より人間と労働を優先する」(19頁)
② ボルザガ、ドゥフルニ『社会的企業』(日本経済評論社、2004年、原書、2001年)
4年間のEMES(EUの社会的企業研究計画)の成果物
副題「雇用・福祉のEUサードセクター」
「社会的企業という言葉は、1990年代半ばにようやくヨーロッパに登場した。」(日本語版への序文、ⅲ頁)
サードセクターの内容が社会的経済であり、その中に民間営利セクターにも公的セクターにも属さない起業組織としての社会的企業という認識。
日本では、1999年にNPO法が制定された。また規模は小さいが、労働者協同組合運動やワーカーズ・コレクティブ運動も登場している。
アメリカ発の「非営利セクター論」アメリカでは協同組合は営利事業に分類されている。
社会的企業も、アメリカ型はベンチャー企業で、日本政府はそれを受け継いだ。ヨーロッパ型は労働統合型で、社会的排除にこうして社会的包摂をめざしている。
1991年にはイタリアで社会的協同組合法が制定された。(23頁)
社会的企業の定義
① 財・サービスの生産・供給の継続的活動
② 高度の自律性
③ 経済的リスクの高さ
④ 最小量の有償労働
⑤ コミュニティへの貢献という明確な目的
⑥ 市民グループが設立する組織
⑦ 資本所有に基づかない意思決定
⑧ 活動によって影響を受ける人々による参加
⑨ 利潤分配の制限
③ エバース、ラヴィル『欧州サードセクター』(日本経済評論社、2007年、原書、2004年)
アメリカの非営利セクター論とEUのそれとの違い。前者では協同組合は除外されている。
ヨーロッパでは、非営利組織は、共済組合、協同組合、アソシエーション、慈善団体、ボランタリー組織。(1頁)
④ 藤井敦史、原田晃樹、大高研道『闘う社会的企業』(勁草書房、2013年)
日本の事例の研究。
2)連帯経済
① ジャン=ルイ・ラヴィル『連帯経済』(生活書院)
② 幡谷則子編『ラテンアメリカの連帯経済』(上智大学出版、2019年)
③ 論文:北島健一「連帯経済と社会的経済」
サイト:https://core.ac.uk/download/pdf/60549302.pdf
④ 廣田裕之『社会的連帯経済』(集広舎、2016年)
3)スペイン事情
次の三つの文献はぜひお読みください。
① 工藤律子『雇用なしで生きる』(岩波書店、2016年)
② 工藤律子『つながりの経済を創る』(岩波書店、2020年)
③ 廣瀬純『資本の専制奴隷の叛乱』(航思社、2016年)
2.スペインの深堀
1)15M(キンセ・エメ=5月15日)の衝撃
これについては、廣瀬純が、運動参加者に取材した聞き取り記録『資本の専制奴隷の叛乱』から引用します。話し手のアマドール・フェルナンデス=サバテルは雑誌編集者でさまざまな運動に参加してきた人です。なお引用文作成者は、私が属するルネサンス研究所関西の後藤元です。論文は「2011年以降の占拠闘争の示すもの―民主主義の側面から」
「スペイン各都市での広場占拠は五週間続いたが、その効果としてスペイン社会全体が一つの非常に敏感な表面へと作り変えられた。」「この意味で、僕たちにとって重要だったのは15Mを「運動」「組織」としてではなく「気候、風土、雰囲気」として語るということだった。15Mは新たな「雰囲気」の出現、どんな特権的な地点にも収斂されない非常に流動的で開放的な情動的表皮の出現、プエルタ・デル・ソルでの総会(ジェネラル・アセンブリ)にすら還元されない表面の出現であると僕たちには思えたのである。五週間続いた広場占拠の後、多種多様な政治化が開始されることになる。たとえば医療従事者や病院利用者たちは「白の潮流」を結成して公共医療の私企業化に抗する闘いを開始し、教員や親そして学生たちは「緑の潮流」を結成して教育予算削減に抗する闘いを開始する。銀行に住居の明け渡しを迫られた住民たちと新旧の活動家グループとの共闘である「住宅ローン被害者プラットフォーム」(PAH)もある。全てはあたかも伝導体の表面に電流が走るかのように展開したのである。スペイン社会全体が一枚の表皮のようなものとなり、その表面上のある点で起きていることと他の点で起きていることとが互いに接続しあうといったことが自由に繰り返された。」(227-229頁)
「ソル占拠は2011年5月15日から同年6月23日まで続いた。この5週間はエネルギーの集中した暴風雨のような期間だった。占拠の終わりにたいへん困難であると同時にたいへん興味深い議論がなされた。「何をなすべきか」ということについての議論である。占拠を続けるべきだという者もいたけれど、もっと参加しやすい政治を行うべきだという者もいた。広場占拠という運動形態は家族のない人、働いていない人、学生には好都合だが、そうでない人には参加することがなかなか難しい。結果として、運動をそれぞれの地区へと移すことが決定された。つまり、各都市のそれぞれの地区に評議会を創設し15Mの脱中心化が図られた。そのようにして創設された地区評議会の多くは「15M評議会」と名づけられた。評議会には近隣住民による地区単位のもののほかにテーマ別のものもあった。」(243頁)
2)広場占拠から地区評議会へ
「広場占拠から地区評議会へというこの動きはスペイン全土で同じように進んだ」「これは改めて考えてみると驚くべきことだと思う。マドリードでソル占拠が始まったその一週間後、ぼくはラジオ番組に呼ばれたのだが、この番組には中継も含めてスペイン中の30箇所の広場占拠からの人々が出演した。出演者はそれぞれ自分たちの広場占拠について語ったわけだが、とりわけ興味深かったのはどの人の話もほとんど同じだったという点である。感じている情動も同じなら、問われている問題も同じ、語られている言葉も同じだった。この同時性が2011年5月から3年間続いたといっても良いだろう。」「運動のこの伝染、同時的拡散は驚くべき現象」(243-244頁)
3)注目すべき動き「住宅ローン被害者プラットフォーム」(PAH)
2013年、PAHの存在感が大きかった年。「15Mの時にはまだ小規模で、マドリードでは立ち退きをひとつも阻止できていなかった。しかし15Mの「表皮」が広がるにつれて多くの人がPAHの活動を支持するようになり、スペイン全土のすべての市町村にひとつずつ支部が創設されるまでにPAH自体の規模も拡大することになった。PAHは今日もなお精力的にその活動を続けている。「表皮」が「劇場」に転換した今日にあって、その「劇場」の陰で存続する「表皮」の主たる部分をなすのがPAHだといっても良いだろう。PAHは直接行動を精力的に展開するのと同時に被害者同士の助け合いを組織し、また銀行や政治家との交渉も進めるといったように闘争をマルチレベルで展開した。2013年にはスペイン中で誰もが立ち退きを話題にするようになり、PAHはいくつかの立ち退きの阻止に成功するようになる。」(248頁)
4)15Mから始まった運動の特徴
「15Mから三年間続いたこうした運動の展開はすべて15Mによって創出されたコードの実現であった」「あらゆる分割線を越えて差異やアイデンティティを二次的なものとし、具体的な問題の共有を第一のものとする包摂のコード。街頭に出るというアクションもあくまでも共有の精神において生きられる。」「他方、「非暴力」もまた15Mを特徴づける重要な要素である。15Mは非暴力をその絶対的前提とする運動であったが、これはスペインでは初めてのものだ。ブラックブロックやアナキストといった暴力的な傾向のあるグループですらもが15Mでは非暴力不服従というコードに従った。」「様々な「潮流」やPAH、道路清掃人運動や各地区での闘争、労働者協同組合といったように多岐にわたる運動が展開されたが、そうした運動はその多様性にもかかわらずいずれもが同じ特徴を共有し、また15Mを共通の起源としていた。自分たちは一つの同じ世界を共有しているという考えにすべての運動が立脚していたと言ってもいいかもしれない。たとえば2000年代初頭までの闘争サイクルを象徴する社会センターやスクワットといった試みにおいてはまだ、世界に抗して一つの強いアイデンティティを確立するという側面がはっきりと残っていた。しかし今日では「我々は一つの同じ世界の中で共存しており、その世界には我々みなで取り組むべき問題がある。政治が始まるのは我々の共存するこの世界についてみんなで共有できる問いを立てることによってであり、世界に対する感受性をそのように共有する限りにおいて我々は、たとえイデオロギー上の相違があろうとも、各自の思う仕方でアクションを試みることができる」といった発想になった。特定のアイデンティティに基づいた閉じた運動から、すべてを包摂する開かれた運動へ。要するに、新たな普遍性が発見されたということであり、「それはあなた方の運動で我々には関係がない」という発想が過去のものとされたのである。」(249-251頁)
5)運動の疲労とポデモスの登場
「15Mの運動は人々に日々の暮らしそのものの変革を強く求めるものだったが、問題は、みんなが各自の生活を変え続けていけるのかどうか、そのための意志あるいは勇気を持ち続けられるのかどうか、つねにいっそう強力な形で問いかけ変化を生み出し続けられるのかどうか、まるで定かではないという点にある。人々はむしろ、全てが変化してほしいが自分自身はできるだけ変わりたくないと思っているのではないか、そうしたことから運動の停滞が生じ、それがまた「劇場」の出現を許すのではないか。自分自身ではなく他の誰かに問題解決を引き受けてもらいたい…。主観性あるいは実存の変容に存する運動において求められる生活全体の変化は、多くの人にとって、いつまでも続けられるようなものではないだろう。」(231頁)
「2013年に入った頃から実際、「疲労」ということが頻繁に話題にされるようになった。運動が「袋小路」に陥ってしまっていることを説明するために「我々は疲れた」ということが言われるようになった。」(232頁)「これは持続可能な政治ではない」と。
ポデモスの議論:「社会は疲労しており、人々は自分の家に帰りたがっている。政治的責務から解放されて仕事に戻りたがっている。家族のもとに戻りたがっている。だからこそ我々は代表性のシステムの再建を考えなければならない。」「民主的エリート主義」批判、「水平型政治」や「下からの運動」といった発想にエリート主義をみてとる。「これらの発想は人々がみな活動家になることを欲しているということを前提としているが、実際にはそうではないのではないか、人々は家族との時間も大切にしたがっているのではないかというわけだ。」232ポデモスの一部の人々:「たくさんの人々の政治参加があったのはたいへん素晴らしいことだが、これには限界あるいは停滞が必ず伴う。社会は疲労するからだ。したがって我々は社会に休息を与えるために政治的代表性を再導入しなければならない」「要するに、人々が疲労しないためには「劇場」を再導入しイニゴ・エレホンやパブロ・イグレシアスが政治的責務を引き受けなければならないというわけだ。」速度やスケールにおける不均衡、変革の要請とそれによる疲労という問題。(232-233頁)
6)ポデモスの限界
「いかにすれば持続可能な政治は可能なのか、いかにすればそれとともに暮らしていけるような政治は可能なのかということが、僕たちにはまだまるきりわかっていないのだ。」(233頁)
「組織化の観点からも同じことが指摘できるだろう。15Mにおける組織化は基本的に「評議会」(総会)という形態をとったが、これは時間の経過とともにどんどんとその参加者数を減らしていった。日々の暮らしと評議会とのあいだに大きな隔たりがあったからに他ならない。政治をするには日々の暮らしを断念し活動家になるしかなかった。評議会のフォーマットは日常生活のそれと大きく異なる。評議会のフォーマットにおいては政治と生活とが分離され、生活を犠牲にし政治のプロになることが求められる。そのようなことを誰もが望んでいるわけではないことは明らかだ。だからこそポデモスは「劇場」への回帰を語るのであり、彼らが提起している問いはけっして現実離れしたものではないのである。しかし、やはり僕には、代表性構造へと回帰し、役者/観客の劇場的関係を再構築するという彼らの提案は受け入れられない。政治と生活とを何か別の形で結びつけるその方法を考えなければならないのだ。」(233頁)
「選挙に勝つことを明確に目的として位置づけたうえで、そのためにはリーダーを一人立て、単純化した言葉で現実を語り、メディア戦略を展開しなければならないとするポデモスが、当時の「雰囲気」のなかで現実的なオプションとして人々によって選択されることなどありえないだろうと思っていた」「いまから振り返れば、社会全体の政治化という当時の僕の考えは少しばかり無邪気に過ぎたのだと思う。ポデモスは実際には機能することになり、人々はみな「劇場」にすっぽりおさまり、舞台上でパブロ・イグレシアスらが演じるスペクタクルについて、批判するにせよ賛同するにせよ、客席にとどまってそこから議論するだけとなってしまった。」(234頁)
7)課題は代表関係の克服
話し手:フアン=ドミンゴ・サンチェス=エストップ(活動家で哲学者)が、15Mと政治的代表の問題:政治組織結成の要求について話します。
15Mの主張「我々は代表されない」。二つの解釈、一つは「誰かが誰かを代表するということそれ自体が不可能である」「我々は一切の代表関係を超えたところに存在する」。もう一つは、「いま代表の座に就いている者たちはわれわれの良き代表者ではない」「われわれは別の代表者を必要としている」。
「代表関係の拒否が代表関係それ自体の中にすでに含まれている」「代表とはつねに弁証法的であり、つねに不在の現前だからだ。」「我々の代表者は我々を別の仕方で再現前させるのであって我々をあるがままに再現前させるわけではない。いずれにせよ、15Mがその停滞をどう突破しようとしたのかは、不在と現前をめぐる代表性の弁証法という観点からよりよく検討することができるように思う。15Mでは代表関係が拒否されるのと同時に代表制度の空間における行動が緊急に求められてもいた。代表制度それ自体の拒否、ネットワークという方向での試みの一つとして「政党X」が挙げられる。この試みはとりわけバルセロナで力強く展開され、自治体選挙の際、アダ・クラウを筆頭とした民衆連合市民候補リスト「バルサロナ・アン・クムー」の形成において重要な役割を果たした。」(166頁) 政党X:15M運動から生まれた市民運動ネットワーク。既存の政党の形をとらず、水平的なつながりを強調する。(167頁)注「「政党X」と同様の方向性を持つものとしては、左右の区別を超えた横断的な政治・社会変革をめざす「民主主義プロジェクト」という試みもあった。」(166頁) 「いずれにおいても物事は思うようには進まなかった。」(166頁)
3.バルセロナに注目
1)2015年バルサロナ・アン・クムーが、女性市長を誕生させる
創立 2015年2月5日
バルサロナ・アン・クムー(カタルーニャ語: Barcelona en Comú)はグアニェム・バルサローナ(カタルーニャ語: Guanyem Barcelona)という名称で設立された市民プラットフォームで2015年の自治体選挙においてバルセロナでの選挙に参加する目的で政党として再結成された。このプロジェクトの主要な推進者はローン被害者団体(Plataforma de Afectados por la Hipoteca、PAH)の元代表のアダ・クラウ・バリャーヌである。
現在このプロジェクトにはカタルーニャ緑のためのイニシアティブ(ICV)、カタルーニャ統一左翼(EUiA)、Equo、Procés Constituent、ポデーモスなどの政党が参加している。
ウイキペディア参照
2)バルサロナ・アン・クムー編集の「世界都市」のガイドブック
この出典も、後藤元の報告「ミニュシパリズム―力の水平主義と垂直主義の接合点としての民主主義」
ミュニシパリズムの動きは、ヨーロッパに留まらない。2019年にバルセロナのミュニシパリスト・プラットフォーム「バルサロナ・アン・クムー」が中心となって編集・出版された「フィアレス・シティー グローバル・ミュニシパリスト運動へのガイド」には、19か国50のミュニシパリスト組織が紹介されているが、スペイン・イタリア・フランス・ポルトガル・ポーランド・英国・セルビア・ベルギー・クロアチアといったヨーロッパの諸都市の他に、ブラジル・アルゼンチン・チリ・米国・カナダといった米州、中東のレバノン・クルディスタン・トルコ、それに南アフリカと香港の組織も含まれている。
2015年、バルサロナ・アン・クムーがバルセロナ市長選でアダ・クラウの当選を勝ち取って以降、バルサロナ・アン・クムーは世界各国の100以上ものミュニシパリスト諸組織とのネットワークを拡げ、お互いの経験の交流・共有を開始した。そして2017年6月、バルセロナにおいて最初のミュニシパリスト・サミット「フィアレス・シティー」を開催し、各都市の実践は決して孤立しているわけではないこと、「それぞれのイニシアティブは都市の範囲を超え、国境を越えて現出しつつあるグローバルな運動の一部を構成していること」を確認しあった。
『フィアレス・シティー グローバル・ミュニシパリスト運動へのガイド』という冊子の編集・発行は、その結果である以上に、次のステップへと進むためのものである、という。それは、「成長・進化を続ける運動の論点および活動のスナップショットを提供している。それは、あまり派手ではないが、街や都市をボトムアップによって変容させてきた世界中の諸組織の非公式なネットワークを記録しようとする最初の、不可避的に不完全な、試みである。」「54の街や都市の144名の寄稿者によって書かれており、大半は女性である。それは、集団的、水平的過程の産物であり、市長・議員・草の根の活動家たちの知識や経験を持ち寄り、ミュニシパリズムのストーリーを世界と共有するためのものである。」(P7)
ここに見られるのは、教条から出発し演繹的に実践方針を導出しようとする、必然的に中央集権的な態度とは対極にある、水平主義的で構築主義的な態度であり、指向性だ。
なお、フランスの動きは、岸本聡子「ヨーロッパ・希望のポリティックスレポート 第12回:フランス地方選挙で起きた「躍進」―市民型選挙の戦い方を学ぶ」参照。
3)市長就任後のバルセロナのスマートシティの市民化
鷲尾和彦 「シティOS」で市民に還元。バルセロナが本当にスマートな理由
https://forbesjapan.com/articles/detail/36262
この素晴らしい報告を以下に引用しておきます。日本政府のスーパーシティ構想(スマートシティ構想)とは大違いです。
<バルセロナは、2014年に「欧州イノベーション首都」(European Capital of Innovation)に選ばれた。これは「革新的なソリューションを通して市民生活を改善した自治体」を評価するEUの制度で、バルセロナはそのタイトルを獲得したヨーロッパ最初の都市となった。
駐車場、街路灯、公共交通、ゴミ収集など、さまざまな行政サービスに積極的にICT(情報通信技術)を取り入れ、大気、騒音、水質、気温といった生活環境をリアルタイムに捉えることで、市民の生活の質の向上を目指す。そのバルセロナの先駆的な都市マネジメントの手法が評価された結果である。
以降、「スマートシティ」を目指すフロントランナーとして、バルセロナは世界的に大きな注目を集めてきた。
しかし翌2015年、バルセロナ市はこれまでのスマートシティ政策の成果に一定の評価を与えたうえで、その政策方針を大きく見直している。事実上「スマートシティ部門」は廃止され、新たに「バルセロナ・デジタル・シティ」(Barcelona Digital City)計画をスタートさせたのだ。
「バルセロナ・デジタル・シティ」計画では、それ以前の、先端技術を都市インフラに取り入れる「社会実装」の段階から、市民が新しいテクノロジーの可能性を活かし、都市をより良くするための新たなアイデアを自ら主体的に考え実現していく、そんな「真に民主的な都市」(デモクラティック・シティ)の実現へと進めることが目標とされた。
つまり、「テクノロジー」主導から、「市民」主導のスマートシティへのアップデートである。
確かに、これまでの「スマートシティ」政策では、都市インフラの整備と行政の効率化においての成果は生まれていたが、その一方で、スペイン国外の大手テクノロジー企業によるパブリックデータ独占の問題、またそこに膨大なコストがかかるという側面も指摘されていた。2015年に就任したコラウ現市長は、市民による自治とその進化を目指す方針を打ち出した。
市民生活に関する様々な情報やデータは、市民に属するものであり、市民に還元すべきものである。こうした理念に基づき、バルセロナ市では都市のリアルタイムデータを一元管理する統合プラットフォームと、それらを市民に公開するウェブポータル「City OS」の整備が進められた。いわゆる「オープンデータ・ガバナンス」の取り組みである。
バルセロナ市は、こうしたデータを公開するためのプロトコルやルールづくりも進めている。
都市の変化や状況をデータを通して市民に明らかにし、行政の政策決定のプロセスを透明化することで、行政と市民との間に信頼感を醸成すること、そして、都市の運営に市民が主体的に参加できる環境を育てることがその大きな目的である。
また、行政内部においても、都市に関する様々なデータを部署の垣根を超えて共有しあうことで、担当者間の新たな協働や連携を生み、より質の高い公共サービスを実現しようとする狙いも含まれている。
さらに、こうしたオープン・データの利用などを通し、市民自らが課題を発見・共有し新たな政策を提案するためのオンライン参加型プラットフォーム「デシディム」(Decidim)の運用も始まった。
交通渋滞や大気汚染、環境の悪化、社会的格差といった都市が抱えている課題は、決してインフラの効率化だけで解消されるものではない。市民の参加、行政との協働、お互いの関係を豊かにしていくことに解決の糸口があるという考えによって、この「デシディム」はつくられた。
2016年から2019年の3年間で、すでに市民の70%が登録しており、9000以上の市民からの新たな政策提案が集まっている。
しかし重要なことは、こうした市民参加の機会はオンラインだけが重視されているわけではないという点だ。
バルセロナ市では、「デシディム」のようなオンライン・プラットフォームを行政自らが開発し公開すると同時に、年間100回以上ものリアル(オフライン)の市民ミーティングも積極的に実施している。オンライン活用に慣れている市民だけを対象とするのではなく、むしろ苦手な人をも励まし、出来る限り誰をも取りこぼすことなく、広く市民の参加を促すことで、「市民」主体の社会の実現が目指されている。>
4)工藤律子の報告は、時間銀行等の補完通貨(地域通貨)
① 2017.10.21、共生型経済推進フォーラムでの工藤律子報告
「スペイン発 市民が創る『もうひとつの社会・世界・生き方』〜15M運動から生まれた政治・社会の動きと社会的連帯経済〜」
◯ 市民は気づいた! 既存の資本主義経済システムのもとでは真の幸福は生まれない
資本主義による経済成長とグローバル化 → それに合わせてつくられてきた日本人と日本社会果たしてそれは、人間世界を真に豊かにした・しているのか?
「資本主義は、人々から自ら考え行動する意識を奪い、依存的な人間をつくることに成功した」
リーマンショックで目が覚めたスペイン市民は、15M(5月15日運動)を起こした。
→ 地域での話し合いから生まれた気づき ・・・ 既存の政治・経済・社会体制に依存していてはダメだ。
◯「雇用」の有無に関わらず、多様性を活かして豊かに生きる
既存の資本主義経済の社会・世界では「難しい」、「避けるべき」とされる生き方は、本当に無謀で、貧困しかもたらさないのか?
↓
人の能力や個性、仕事の評価の仕方、人との繋がり方や人々の価値観を変えれば、実はそうでもない。
・補完通貨(例えば、地域通貨や時間銀行)をわが町、わが学校、わが職場で利用する 誰もが「仕事」をすることができ、それが「評価」される経済、
「自己肯定感」や「連帯意識」に支えられて生活できる社会 を目指して。
例/セビリアの地域通貨、マドリード郊外の町の時間銀行、 カタルーニャ州鉄道会社の時間銀行
・社会的連帯経済(労働者協同組合が多様な人の職場として機能し連帯することで、経済・社会が動く。) 生産者、労働者、経営者、投資者、消費者、皆が対等な立場で連携プレーすることで、「経済成長」や「昇進・昇給」を追うのではなく、皆が働きがいを感じる 、調和のとれた社会・世界を築く。例/La Fageda(ヨーグルト会社)、 GEDI(子ども・高齢者支援、国際協力)、 Coop57(倫理銀行)そして、XES(カタルーニャ連帯経済ネットワーク)
◯「もうひとつの社会、世界、生き方」を、市民主導の政治で創る
既存の資本主義を軸に政策を考え、外れるものを規制しようとする政治屋に、未来を任せない。
・市民政党の誕生と前進
・バルセロナ市役所による社会的連帯経済の推進政策
「もうひとつの世界は可能だ」と考える人たちによる政治
貧困も、格差も、今の「社会のあり方を変える」ことで解決できる部分が大きい。
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それを実行する主役は、私たち「市民」。
※日本でもようやく「ワーカーズ・コレクティブ」(労働者協同組合)のための法律づくりが進む?
②『雇用なしで生きる』と『つながりの経済を創る』に見る根っこ
二つの本のメインテーマは時間銀行などの地域通貨でした。これにあまりピンと来ていなかったのです。というのも私は2000年から地域通貨キョート・レッツを始めていて、地域通貨には既視感があったのです。
そして、この報告を作成している最中も、ミニュシパリズムの根っこは、社会的連帯経済の企業そのものだと考えていたのです。ところがこれが間違いだと気付きました。根っこはつながりであり、そのつながりが時間銀行などの補完通貨で形成されているからこそ工藤律子の報告は、これに焦点を当てていたのですね。まさに、ジャーナリストの慧眼でした。
4.根っことしての地域通貨(私の経験の報告)
根っこは比喩ですが、森にたとえれば、個々の樹木は個別企業であり、そして花が咲けばミニュシパリズムです。そして木々の根っこは実はつながりあっているのです。
経済で考えると、市場で生産物を売ろうとする生産者たちは相互に独立した人格であり、それが生産物に商品という社会的形態を与えることで、私的生産物を相互に交換し合います。だから市場は、上空にありますが実は今日の経済の根っこなんですね。地域通貨は上空にある根っこを自分たちで管理し、それを地上に引き戻すものではないでしょうか。以下に過去に書いた文章と実際に行われたレッツ市のチラシを引用しておきます。
地域通貨の原理と実践(2000年作成したものを改訂)
原理的考察
資本の運動は『資本論』で分析されているように、(1)資本の直接的生産過程、(2)資本の流通過程、(3)資本家的生産の総過程、とからなる。それぞれの分野での脱物象化の運動論が、信用制度における脱物象化の方向性が提示された時点で完結した。
(1)資本の直接的生産過程での脱物象化の中軸は、「もう一つの働き方」の実現である。これを主軸とし、生産協同組合論や株式会社の協同組合への改組や、 NPO論が描き出せる。
(2)資本の流通過程での脱物象化は、従来消費者主権論としてあったが、その論理が最近柄谷行人によって提示された。(『批評空間』22号の座談会参照 )資本の剰余価値は流通過程でしか実現されない以上、消費者としての労働が、剰余価値を無化し得る主体として登場しうる、というのである。
(3)資本家的生産の総過程に関しては、その最大の問題は信用制度の発達による資本蓄積様式の変化にあった。そして、その信用制度の根幹は、支払決済システムであり、その社会化こそが、債権・債務関係を意味する信用を全面的に発達させたのであった。
ところでLETSの試みは、実にこの支払決済システムの協同化であった。しかも地域通貨に利子を付さないことによって、資本の商品化の道をも閉ざしているのである。コンピューターの発達によって可能となったこの支払決済システムの協同化こそ、資本家階級の私的信用制度を脱物象化するものに他ならない。
実践論
(1)LETSの仕組
登記人(Registry)または記録調整者(Rcording Cordinator)は、参加者の口座を開設・管理し、取引を記録し、取引明細書を発送する。
参加者の口座はすべてゼロからスタートする。
参加者は提供したい財・サービスを目録(Directory)に載せ、それを見ながら取引を行い、登記人は取引額を、売り手の貸方に黒字として、買い手の借方に赤字として記録する。
執事(Steward)または受託人(Trustee)は、取引手数料を定め、システムを監視し、反社会的な行為を取締まる。また、他のLETSとの情報交換やシステム開発に従事する。
口座保有者は登記人に照会することで、他の口座保有者の口座残高や取引実績について知ることができる。
口座残高に対して利子は課されないし、支払われない。
事務費用は、サービスへの対価として参加者の口座から内部貨幣により支払われる。
(2)LETSの理論的意義
LETSと貨幣とのちがい
LETSは貨幣を脱物象化している。LETSは労働交換制であるが、その国の通貨とペッグさせることで、貨幣の価値尺度機能を労働交換の基準としている。計算貨幣としてLETSは機能しているが、しかし、それは流通手段でも支払手段でもない。LETSの赤字はサービスか生産物かを問わず労働提供によって補われねばならない。
LETSを発生させることが可能なのは支払決済システムが存在するからであり、そして、この支払決済システムの内部でのみ機能するLETSは市場をもたない。ここで市場とは相互に独立した商品生産者が商品を交換する場である。
LETSと信用制度とのちがい
信用制度における支払決済システムは私的資本の所有物であり、なおかつそこで取引される貨幣は資本が商品化したものである。
LETSにあっては支払決済システムの提供者はボランタリィであり、そのシステムは参加者全員の共同占有となっている。私的資本がつくり出した支払決済システムの技術を土台に誰もが支払決済システムを容易に使いこなせるようになったことが大きい。
(3)残された理論問題
LETSは貨幣か
商品所有者の無意識のうちでの本能的共同行為(価格付け)によって生成されるものを貨幣と定義するなら、LETSはこれに当らない。なぜならLETSを発行する人は、共同の支払決済システムの一員として、意識的に自分の口座に赤字を記入するのである。
しかしLETSが、国民通貨とペッグしている限りにおいて、それは貨幣金により価値尺度機能を残しており、計算貨幣として機能している。だが、この計算貨幣が尺度するものは、労働であって、商品で表示される労働ではない。だとすれば労働時間による等量労働交換への以降の形態として評価できないか。マルクスもどこかで言っている、商品生産はなくなっても価値規定は残る、と。
信用制度こそが弱い環。
支払決済システムが個別資本の所有物であり、これらをオンラインで結びつけている国際金融市場を頂点とする信用制度は、債権・債務関係を商品化された資本の価値増殖の場としているのであるが、これこそ現代資本主義の弱い環、脇腹ではあるまいか。
信用制度にあっては資本・賃労働関係ではなく、諸資本の競争が演じられ、社会的総資本の配分と再配分が成しとげられている。そしてこの信用制度が肥大化したことで高利資本を根に持つ負債経済が成長し、現実資本から本来の力を奪っている。ところが信用制度の構成員は同権である。ということからLETSのごとく、地域的な自主的協同的支払決済システムが出来ても、資本はこれを駆逐することは困難である。というのも、LETSは諸資本の競争の土台である現実の信用制度としてある支払決済システムとは別の、もう一つの支払決済システムを土台としており、信用制度にとっては他者であるから。
チラシ紹介
KyotoLETS 祝スタート レッツ市/パーティのご案内
2001年1月28日 13:00~16:30
■レッツ市 13:00~
交換できそうなリサイクル品などをなるべくたくさん御持参下さい。
取引では、キョートレッツマネーとニチギンマネー(\)を合わせての値段設定が可能です。
お手製の食べ物のお店や屋台、古着屋、占屋さんなど、じゃんじゃん出店して下さい。
内容は何でもアリですが、機材や燃料は各自で御用意下さい。
■パーティー 15:00~
お一人一品を持ちよる形にします。食べ物を用意してきてください。
ドリンクは会場で販売されます。
■アコースティックライブ、奇術パフォーマンスなどの飛入り歓迎。
■入会を希望するお友達を連れてきて下さい。
場所:京都学生研修会館
参加費:300 point(キョートレッツマネー)+\300(ニチギンマネー)
※会員以外の方の見学大歓迎。
ただし、キョートレッツマネーでの取引は会員および入会希望の方だけに限らせてもらいます。
5)KyotoLETSについて
準備過程で色々な議論がなされましたが、私としてはLETSのイメージを次のように捉えています。
KyotoLETSは、会員が自らの口座を共同管理することにもとづく支払決済のシステムです。
会員は、口座の管理を事務局に委任し、会員相互の間で財やサービスの交換をします。
事務局は、会員から委任された口座の管理に責任をもち、目録発行などの必要な事務を非営利で行います。
LETSは、Local Exchange Trading System の略称で、日本語に訳せば、地域交易決済システムという意味になります。これは、経済的な制度ですから、会員は思想や信条で統一されているわけではありません。色々な考えをもった人々が自由に交易できる場として育てていくことが事務局に期待されています。
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