一般社団法人 文化知普及協会
The association for diffusing cultural wisdom,a general corporation aggregate
崇拝物としての商品・貨幣の仕様書-ラトゥール宛手紙 境毅
親愛なるブルーノ・ラトゥールさま。
初めまして
1.まずは私のあなたの著作との関係について
私は外国語を理解できませんので、海外の書物は翻訳書に頼っています。あなたの『社会的なものを組み直す』(法政大学出版局)、は、2019年に訳書が出版されましたが、私が読んだのは2020年1月中旬でした。一読して興味を持ち、あなたの他の訳書『虚構の「近代」』(新評論)と、『近代の<物神事実>崇拝』(以文社)、他に『科学が作られているとき』(産業図書)を買い求め、『リヴァイアサンと空気ポンプ』(名古屋大学出版会)も訳されていましたので、それらを紐解いているうちに新型コロナのパンデミックが始まりました。
4月に入ってあなたの新著『地球に降り立つ』(新評論)を読んでびっくりしました。それまでのあなたの著作は、ANTの方法論であり、サイエンススタディーズであり、近代特有の思想への批判でした。ところが『地球に降り立つ』は、新しい政治の提案とテレストリアルの住民への呼びかけだったからです。
私はこの新しい著作を読みながら、同時に私が属している京都の縮小社会研究会(そこにはテレストリアルの住民たちがいます)の皆さんに「『地球に降り立つ』の勧め」を書き、そうこうしているうちに、あなたのHPに気づいて、アンケートと時評を翻訳してもらって、同じく縮小社会研究会のメンバーにアンケートへの回答を呼びかけました。
2.1990年代初頭の社会主義崩壊の原因解明の不足
あなたが提案した新しい政治に共感し、実践的には協力を惜しまないのですが、『虚構の「近代」』を読んだとき、私から見れば、あなたの理論には穴が開いているように見え、そこを補修する必要性をずっと感じていました。その穴はマルクス主義に依拠したソ連社会主義の失敗の原因をめぐるものです。あなたにとっては、この問題は近代思想の欠陥の領域に含まれるものとみなされているのでしょうが、私からすれば、この問題を解きほぐすことで、あなたが提案した新しい政治が、もっと豊かな内容を持ったものとなると思われるのです。
3.フレデリック・ロルドンあて手紙を参照ください
私が解明したソ連社会主義崩壊の原因は次のように要約できます。まず、私が「忘れられたマルクス」を発掘したのは『資本論』初版本文価値形態論と交換過程論の新しい観点からの解読でした。それによれば、マルクスの貨幣生成論は、商品からの貨幣の生成が、商品所有者たちの無意識のうちでの本能的共同行為による、というものでした。にも拘らず、ソ連共産党は、1917年の革命直後には、政治権力という意志の力で商品・貨幣を廃止しようと試みました。これは無意識の領域にある社会的行為を政治権力の意志の力で廃止しようという背理を含んでいました。その後の70年の経過は述べませんが、この背理がソ連崩壊の根本的原因だと私は考えています。
マルクスの貨幣生成論の復元については、「フレデリック・ロルドンあて手紙」https://www.cultural-wisdom.com/blank-26を参照ください。
4.「新しい政治」について
あなたの「新しい政治」は、『地球に降り立つ』で明快に提起されています。私は、あなたが1991年に「モノの議会」を構想して以降、第3のアトラクター発見による「新しい政治」の定式化に至る過程について振り返りました。そして、『近代の<物神事実>崇拝』での政治についての見解の転換があったことに気づきました。あなたはこの転換点で、「支配者なしで生きること」と「支配性なしで生きること」を区別し、「支配性なしで生きること」という政治を新たに構想しています。「この支配性なしで生きる」ということは当然「君主としての私なしで」生きるということを含んでいます。
私はこの着想は素晴らしいと思いました。私は自分の政治的経験知から、「革命後の政治」についてずっと考えてきました。ロシア革命や中国革命で、共産党は権力を取ったものの、新しい政治を開発することはできませんでした。現在の中国もそれはできてはいません。晩年のレーニンが提起した「文化革命」にはその萌芽がありましたが、これは育てられることはありませんでした。
このような現状であなたが提起したテレストリアルの詳細な調査にもとづく新しい政治は、文字通り現在の政治に代わる次の政治の輪郭を描いています。この新しい政治のための仕様書づくりに私も参加したいです。
5.崇拝物の仕様書の追加
あなたが言うように「崇拝物なしでは我々は死ぬ」し、「崇拝物の各々は、一つの反崇拝物として現れる」のですが、ここではそれをもっとも端的に示している、商品と貨幣を取りあげましょう。
商品と貨幣なしでは我々は死ぬし、また、それ自体は神秘的なものとしてあるのではなくて、素材は自然物です。それは関係のなかでだけ社会的な力を持ち、超越的な存在になるのですが、しかし、人々の理性と言語は関係の認識には向いていません。これについて私たちは「文化知」として定式化していますので、「文化知の提案」https://www.cultural-wisdom.com/blank-6を参照ください。
いまは、商品から貨幣が生成される仕様書だけに絞ります。商品自体は私的所有物ですが、同時にそれは社会的なものである価値の担い手です。この価値の担い手としての諸商品が取り結ぶ諸関係が価値形態ですが、この価値形態のなかの一般的価値形態が生じることではじめて、諸商品は社会的な形態を取ることができます。しかし、商品所有者が自分の利害しか頭になければ、一般的価値形態は崩れ去って、『資本論』初版本文価値形態論だけに採用されている第Ⅳ形態となり、商品の社会的形態は消失してしまいます。実はここがヤマなのです。
価値形態論では商品の所有者たちは主体として登場していません。そこでの主体は諸商品でした。現実の市場での諸商品の社会的形態は諸商品の価格です。そこにはすでに貨幣が存在しているのですが、この貨幣の生成過程を、マルクスは価値形態論と交換過程論という二つの領域を横断することで明らかにしたのです。前者では諸商品が主体で後者では諸人格が主体です。まず、貨幣の概念の生成過程を、諸商品を主体として語らせている、これがマルクスによって解明された価値形態論でした。
他方、商品所有者たちが登場するのは、価値形態論の次に用意されている交換過程論です。そこで、商品所有者たちは、価値形態論の最終帰結である、貨幣形態が形成できない第Ⅳ形態を迎えるのです。というのも、この第Ⅳ形態は、商品所有者たちが自分の商品でほかの商品を買おうとする当たり前の意志をもつときに生まれます。ところがみんながそうすると、誰も買えないことになります。
商品所有者たちは当惑しますが、自分の意志ではなくて、商品を主体としてそれに従うことで共同行為が生み出され、貨幣が生成されます。こうして形成される貨幣の生成については商品所有者たちに意識の中では、概念化されません。商品所有者たちは単に自分の商品に値付けをするという意識しかないのですが、この行為が実は無意識のうちでの本能的共同行為への参加なのです。つまり今日においても、商品所有者たちは、値付けをするつど貨幣を生成しているのです。
この、いままでマルクス主義者が決して気づくことのなかったマルクスの貨幣生成論は、ANTの方法論と親和的です。というのもマルクスは商品を単なる物として欲望の対象として扱うのではなくて、それを主体とみなし、大勢の商品所有者、それぞれの諸商品、これらが織りなす各種の価値形態を、アクターのネットワークとして分析しているからです。
ここから判明する仕様書の概略を記述しておきましょう。
① 諸商品の関係そのものは超感性的であり、その認識は人々の理性の彼方にあります。
② この超感性的なものは、感性的に把握できる関係の両極に注目し、それが単なる物としてではなくて、新しく社会的役割の担い手となっていることを発見することを要請しています。マルクスはこの仕様書を形態規定と名づけました。
③ 例えば商品の価格のように、貨幣は商品の価値がいくらかという情報を人間に伝えることができます。ここではあたかも商品が思考し、価値の量を判断する材料として貨幣を利用しているかのようです。つまり、諸商品はお互いに関係しあうことで、思考し判断するある種の概念的存在となっているのです。
④ その際、関係の両極は、関係しあうことでお互いに抽象し合い、判断を析出するのですが、商品にあっての概念の生成は、思考による分析的抽象とは違って、関係の両極がお互いに働きかけ合う、総合によってなされています。いわゆる事態抽象がそこではなされるのです。
⑤ したがって、思考における分析的抽象とは区別されたものとして、関係における総合による抽象化を思考が了解することが問われているのです。
6.新しい政治の豊富化
アクターネットワークにおいては、思考とは異なる仕方での概念の形成がなされていること、このことを考慮した政治はいかなるものとなるのでしょうか。
「支配性なして生きること」「君主としての私なしで」生きること、これは現実には、思考による抽象作用の限界を知り、事態抽象の世界が開けていることの了解によって支えられるのではないでしょうか。たとえば人々が政治的関係において両極として形態規定されるときに、ミードが言う一般的他者の態度を取るのではなくて、他の選択肢を選べるような政治の仕様書の作成など。あなたの新しい政治の提案に励まされて、今後も研究を続けていくつもりです。